733手間
横にある紙束の上に書かれた文字をねめつけ、カリカリと犢皮紙にペンを躍らせてはむぅっと唇を尖らせて唸る、そんな作業をここ一週間根を詰めてこそいないがずっと繰り返している。
それというのもワシがクリスに例の本の翻訳をすると言ってしまったから、ワシとしては翻訳作業は暇を見てぼちぼちとなどと思っていた。
しかし、クリスが父親に……要は国王陛下に報告してしまったからさぁ大変、革新的技術、特に暖房に興味津々でワシのお仕事として翻訳作業にかかることになってしまったのだ。
「うぅ、こんなはずではなかったのじゃ……」
ぼそりと嘆き、書類やインク壺などを脇に避けてから机の上へと倒れこむ。公爵夫人時代に比べれば、この国でも文官の仕事に比べれば随分と生温い事だろう、しかし元からの性分か獣人の特性か机に長いことかじりつくのはつらい。
しかも問題なのがこの本に載っていた暖房の仕組みはかなり実験的な意味合いの強いモノな上に技術的に数世代前のモノらしいので比較的構造が簡単な分とても大きいのだ。
具体的に言えば家族三人つつましく生活するには十分な大きさの部屋くらいには大きい、コンニャクだったか星座だかの計算機かよと、口の中でぶつくさ文句を言う。
「よし、今日はもうやめじゃ!」
「よろしいのですかお嬢様、あまり進んでないように見えるのですが」
「よいのじゃ、そもそも訳せぬ語彙が多すぎるのじゃ! 暖炉の代わりにと目論んでおるようじゃが、確実に暖炉の方が安上がりで効率が良いのじゃ、スペックを見る限り入力されるマナの量に比べて出力される熱量がダメダメすぎじゃ。絶望的なまでの変換効率の悪さ、晶石を使い当時でも型落ちとはいえ現代との技術差を考えれば諦めた方がよいのじゃ!」
「え、えっと……」
ガバッと体を起こし吠えるように文句を言えば、アニスは困ったような疑問符を沢山浮かべた表情で苦笑する。
「ふぅ。何にせよ役に立つ技術ならばもうちょっと頑張れるのじゃが……出来る目が無い上によしんば出来たとしても貴族の道楽にもならぬ、技術の向上という点でも役に立ちそうに無いからのぉ」
「それはどういうことでしょうか?」
さっぱり理解できないといった顔をしているアニスだが、やはり役に立たない役に立たないと言われたらどんなものか気になるのだろう、さっさと書類を片付けたワシの前にタイミングよくお茶を置きながら首を傾げる。
「ワシも素人じゃから絶対にそうとは言い切れぬが、装置一つ一つに応用が効きそうにないのじゃ」
もちろん現代の技術で、という注釈が付くがそれよりも問題なのが。
「何よりもじゃ、肝心な部分だけがすべて秘匿されておる、当たり前といえば当たり前じゃが……これでは本当にガワをなぞっただけのガラクタが出来るだけじゃ」
「魔導具のようにですか?」
「んむ、正しくそうじゃな」
これはもう陛下にちゃんと言って諦めてもらうしか無いだろう、クロスボウだけでも量産し兵たちに配備できれば魔物退治の被害も減って結果的に民の生活が向上するはず。
早速そう提言しようと考えお茶をすすっていると、侍女の一人がクリスが部屋にやって来たと告げに来るのだった……。




