726手間
宮殿の浴場でしっかりと温まり汗が引くまでゆっくりとティータイムを設けてから、のんびりとフロイス子爵の下へと向かう。
白いスズランに似た花柄に染め抜かれた甚三紅の浴衣に、淡紅藤の無地の帯、カランコロンと下駄を履きそんな姿で宮殿を歩くのは何とも不思議な気分だ。
フロイス子爵を待たせているのは宮殿では無く、文官たちが仕事をする棟の一角。一応宮殿の敷地内ではあるものの貴族を待たせる場所としてはかなり低ランクの場所らしい、ちなみに最低ランクは地下牢だ。
文官たちが務める棟に入り、ワシらを待っていたのであろう騎士たちに比べるとやや痩せぎすの男が丁寧に頭を下げる。
文官と挨拶を交わしやって来たのは如何にも応接室といった内装の部屋、宮殿にある同目的の場所よりも質素ではあるが、それでも質の良い家具などが揃えられた部屋のソファーにこちらに背を向ける形でフロイス子爵が居た。
しかし、彼は立ち上がるでもなくちらりとワシらを見るとペコリと軽く会釈するばかり、その態度にムッとしつつ彼が座る一人掛けのソファーの向かいにある二人掛けのソファーへとどっかりと腰を下ろす。
「お初に御目に掛かります、私フロイス子爵にございます」
「ふぅむ、これがフロイス商会の頭目のぉ……」
目の前の男は如何にも敬意を持っていますといった笑顔に慇懃で声音であるが、実際は首を少し揺らす程度のお辞儀であり、どうみてもワシを舐めくさっている。ならばお返しとばかりに少し顎を引き見下ろすように相手を見て鼻を鳴らす。
フロイス子爵家はその財力、商会の規模の割に上位の貴族からは見向きもされていないという、なるほどフロイス子爵の容姿はお世辞にも良いとは言えない、一言で言えば小太りで不健康な冴えない壮年期も終わりに差し掛かったおっさん。
しかし、所詮はその程度の表現で収まる容姿、見るも悍ましい醜男でも無く座るも苦労する肥満児でもない。
対峙してきて思ったのだが、それ以上に彼らの態度が上位の貴族に気に入られなかったから、彼らは縁を結ぶことが出来なかったのではないだろうか。
商人であれば不俱戴天の仇であろうと表面上はにこやかに握手をするべきでは無いだろうか、無論決して超えてはならぬ一線くらいは誰にでもあるだろう。
しかし、ワシは養子といえど侯爵令嬢、更には王太子の婚約者。ワシに顔を売っておけば王家御用達の名も思うが儘、それを今の一瞬でふいにしたのだ。
こんなものでよく商会が潰れないモノだと思ったが、息の長い商会なら優秀な部下ももちろん育っているだろう、だからこそフロイス商会はまだあるのだと目の前の男を見て嘆息する。
「この度私めを召喚なさったのは、何でも我が家の蔵書の中にご所望の品があるとか」
ワシがじろじろと観察するだけだったからか、焦れたのだろう口を開いた男から飛び出したのは如何にもこれから商談をしますといった言葉。
これはよもやあのころころ太った娘っ子がちゃんと伝えていないのではないだろうかと、頬に手を当てもう一度嘆息するのだった……。




