712手間
エサをくれる良い人という認識ではあるが子オオカミがアニスにも少し慣れた頃、ようやく神前街という仰々しい名前が付いた街まで戻ってきてその街の門をくぐる、ことなく馬車は通り過ぎる。
「む? 何故通り過ぎるのじゃ?」
「湖の水位があがり、神都へと続く橋が水没し使えなくなっておりますので」
「む、それは一大事ではないかえ」
「ご心配には及びません、早ければ二日ほどで元に戻りますので。それに頻度は高くありませんが珍しいことでもありませんのでご安心を」
元々湖面が波立てば水が入ってくる様な橋だったのだ、水位が上がれば水没するのは当然だ。アニスの落ち着きぶりからして大丈夫なのは分かる、彼女らからすればたまに見れる自然現象か風物詩といったところなのだろう。
「しかしじゃ、橋が通れんのは分かったが、何故通り過ぎるのじゃ?」
「今回は陸路から神都へと入るそうですので」
「そう言えばそんな場所があると言っておったな」
「はい、三重の防壁とそれに一体化した砦に守られた入り口だそうで、ここを使えるのは平時では神王様だけでしたが、今は王家とその関係者のみと変わったそうです」
「ワシは王家の者では無いのじゃが?」
「クリストファー様の婚約者ですので、何の問題もありません」
「あぁ、なるほどのぉ」
橋一本だけが生命線では危険すぎるので他に入り口があるのは当たり前か、専用通路とか隠し通路などなど史実や物語問わず良く聞く話だ。
「通り過ぎた理由は分かったのじゃが。なんぞアニスや、ずいぶんと楽しそうじゃな?」
「そ、そうでしょうか?」
ワシに言われアニスはぺとりと右手を頬にあて小首を傾げる、それほど大仰にではなく身近に居るものであれば、そう言えばいつもより上機嫌だなと思う程度の差ではあるのだが声が弾んでいるように聞こえる。
「お恥ずかしい話ですが、ちょっと……その、隠し通路などそういう所を通るというのが……」
「あぁ、まぁ、気持ちはわかるのじゃ。しかし、隠し通路とかであればエヴェリウスの城にもありそうなものじゃが?」
「恐らくあるとは思うのですが、閣下付きでもない限りその手の情報を知らされることは無いので」
あれだけ立派な城なのだ、それもお飾りでは無く戦を見越した城であれば隠し通路の一つや二つくらい、そう思ったのだがアニスの言うことにそれもそうかと納得する。
隠しとは知られていないからこそ隠しなのであって知られていたらただの通路だ、下手をすれば……いや、高確率で当主のみが知っているという可能性もある。
「ふぅむ、話を聞く限り隠し通路と言うよりも、裏口やら非常口の様な気がするのじゃが」
「己が分は弁えておりますので知りたいとか行きたいとは思いませぬが、やはり秘されている場所に行くというのは何とも言い難い気持ちになりまして」
「ふぅむ……」
立ち入り禁止とか見ては駄目とかそう言うものに惹かれるという奴だろうか、そう言うのは何処へ行っても魅力的なモノなのだなぁとアニスに相槌を打ちつつ馬車の窓から、さてその砦は何処にあるのかなと探すのだった……。




