4 みぞおちにくる旅
バイトさきの店長から「急にシフトに穴が空いちゃってさ、でられる?」というメッセージがきた。
12月24日だが、栄二にはあまり影響はない。女友だちたちからも誘いはなかったため、フリーダム。
ちなみに栄二のバイトさきはパン屋(焼き菓子ふくむ)だった。
大学の学生課で募集をみつけ、おとずれて以来ずっとである。陳列したパンの山を崩してしまっても笑ってゆるしてくれる店長だし、ほかのバイトの女子たちやパートのおばさんたちからも好かれていたので辞める理由もなく、大学卒業以降も職にあぶれたこともあいまって、ずっとバイトをしている。人間関係って大事。
「イヴですね」
ミモがふるふるする。雪が積もったみたいに上部がにじんでいる。
「まァ、そういうこともある」
栄二が鼻をこすると、ミモは「たしかにそうですね。天気予報は雨です。寒くても雪にはならないそうですが、コートをお忘れなく」と送りだしてくれた。「いってらっしゃい――」
「悪いね、閉店までいなくていいから。彼女さん怒ってるでしょ」と店長が両手を合わせてきたが、栄二は微笑をかえす。
肯定も否定もしないにかぎる。
「パートさんたちが軒並み、病欠になっちゃってさ、私もちょっとこのあと急な来客で六時くらいまでは手が離せないものでね――」
6時の仕事あがりに、「これ、少ないけど特別手当。埋め合わせしてあげて」と店長が封筒をくれた。
栄二は無表情で受けとり、そういえばミモが家で待っていると思い、食べるかわからないけどケーキでも買っていこうと考えた。イヴだと気にしていたぐらいだから。
サンタの店員からタイムセールになっていたホールケーキを買って帰ると、栄二はアパートの部屋のあかりが消えていることに気づいた。
二階にあがって玄関ドアを開けて「ただいま」と声をかけたものの、大宇宙に呼びかけたかのような静けさだった。
まるでお客さんのような気まずさを感じながらごそごそと入室し、泥棒のような慎重さで台所に入ると、居間に小型のツリーが飾られていることに気づいた。
いつだったか、女友だちがもってきて一度だけ飾って、それきりふすまの奥にしまわれていたものだ。
単三電池による電飾が暗い部屋でちろちろとゆれている。
かろうじて、ミモがまぼろしだったというオチは回避できた。
栄二は台所の電灯をつける。
すると、台所のテーブルにはラップがかけられた料理がならんでいた。ローストチキンとコールスローサラダにホワイトシチュー、どれも手間暇がかけられていそうな。
栄二はケーキをとなりに置こうとして手紙に気づいた。
ていねいな毛筆だった。まさかの。
「メリークリスマス! エイジさん。
とつぜんですが、わたしはちがうところにたびにでることになりました。きょうだいたちといっしょに。
エイジさんとすごせてよかったです。おしあわせに――」
栄二はいったんコートを脱いで、手紙をもって居間に向かう。
そして、ちろちろ電飾がゆれるツリーの横に手紙をおいて、となりのヨガマットに坐り、いったん目を閉じた。
たしかに突然である。ちがうところ。旅。きょうだいたち……。
謎の物体が謎を残してすがたを消した。起きた現象はそれだけなのだが、栄二は強いショックをうけていた。
それは、おそろしいほどの喪失感だった。祖父母の他界や、ましてや女友だちとの別れでも、ついぞ経験したことのない、みぞおちにくる感じの。
栄二は長らく目を閉じたまま、坐っていた。
ミモの出現から失踪までを回想する。交わした言葉や、ころころと変化する見た目や色までを順繰りに思いかえす。
細部まで思いだそうとして、あまり思いだせないことに気づき、思いちがいや記憶ちがいを慎重に吟味する。
やがて、なにも考えられなくなる。
しばらくすると、雨が降りだした――。
予報があたった。
ふいに雷鳴がとどろく。アパートのまえの街路を歩く通行人が声をあげるほどの。
栄二は目を開けた。
たしかにこれは雪にはならない。なにかもっと、よくない雨だ。
栄二はたちあがって、ふすまを開ける――そして衣装ケースをひっぱりだし、セーターをとりだした。
耳の穴が修繕されたクマのセーター。栄二は装備をかためるつもりで慎重に着る。学生のとき、勢いでした失敗をくりかえさないために。
着心地は抜群だった。腕を通している最中、セーターのほつれと穴をちくちくと直しているミモのうしろすがたが脳裏に浮かんだ。
栄二はそのままコートを手にとり、羽織りながら玄関ドアに向かう。
ドアを開けると、バフッと風が吹きあげてきて前髪を跳ねあげてきた。
驟雨が耳を聾する。
大きな雨粒がざあざあと路面をたたき、街を紫色に煙らせている。
栄二は傘立てからビニール傘をとると、急ぎ足で階段を駆けおり、猛攻を押しとどめるように傘をひろげながら、街に向けて走りだした。
馬を呑みこんでしまう沼のような水たまりを跳びこえて、一直線に進んだ。
行く場所はただひとつ――東京タワーである。
栄二にはそれがわかっていた。ここまでなんの示唆もなかったけれど。
駅の改札も駅構内も、人であふれていたが、栄二からすれば影のようなものだった。
歯を喰いしばり使命感をもって歩んでいく栄二に、だれもかれもが驚き、目を瞠り、急いで横に退き、関わりを避けた。
電車でつり革をにぎっていても、栄二はまるで怒涛の勢いの大河のなかで踏んばっているかのようだった。
進まなければ押し流される――栄二にはそれがわかっていた。
だから歯噛みし、暗がりをみつめたあと、なるべくあかるいほうの未来を脳裏に描いた。
そして、ふたたび駅から傘をさすと、烈しく降りつづく雨をにらむようにしながら黙々と歩み、東京タワーに到着した。




