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モンスーンの雨と硝煙 そして君  作者: 菅谷 ケント
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空からの洗礼

次の日の朝、出征兵士は司令部の中庭に集められた。荷物を背嚢に纏めてヘルメットを被り小銃を右肩に背負って二十名の兵士全員が二列になって整列していた。士官であるカイトは右側の列の先頭に立っている。カイトだけは小銃はなく拳銃を腰のホルダーに指して真っすぐに立ち前を見つめていた。


「……面倒臭えなぁ」


カイトはそう小さく呟いた。今日は出征兵士に対してヒルマン方面軍総司令官であるノザワから訓示があるのだ。カイトは欠伸を噛み殺しながらノザワが来るのを待っていた。そして待つこと十分、ノザワが何人かの兵士を連れて歩いて来るとカイトの目の前に据えられた司令台に登った。ノザワの従兵の一人が「全員気を付け! 敬礼! 」と号令を掛ける。カイト達は一斉にノザワに対して敬礼をした。ノザワがそれに対して答礼をする。するとまた「全員休め! 」の号令が掛かり出征兵士全員が直立不動の状態から足の幅を広げる姿勢を取った。するとノザワが喋り始めた。


「諸君、このロングーンと私を敵から護る為、死んできてくれ! 」


いきなりのその台詞にカイトは内心呆れかえった。思わず「はぁ? 」と言いかけてしまう程であった。


「今リンパール作戦は佳境を迎えている。今を耐えればリンド侵攻という私の夢は潰えず輝きを保つのだ。ヤポン軍の勝利の為の礎となって死んでこい! 」


ノザワの言っていることは妄想だ、そう思うとカイトはもうそれ以上聞くのを止めた。それ以上聞くと殺意のあまり腰の拳銃を抜いてしまいそうになるからだ。怒りのあまりカイトは頭の中ではノザワのことを黒豚と呼ぶことにした。そしてカイトは今の無意味な訓示の時間を思い出に浸る時間に充てがうことにした。忙しかった翻訳の日々やヒルマン歓楽街でのサ・ガンとの数々の宴会、そしてマリィとの出会い。その時には分からなかったが今振り返れば何気ない出来事が全て楽しかったように思い出される。それに引き換えこれからは泥にまみれて戦場を駆け回る日々が始まるのだ。ちょっと想像しただけでカイトはまた悲しくなった。


「……以上だ! 」


ふと気が付くとちょうどその時ノザワの演説が終わった瞬間であった。カイトは反射的に敬礼するとこう叫んだ。


「ありがとうございます! 我ら二十名、お国の為に精一杯頑張ってきます! 」


カイトがそう言ってこの訓示の儀式は終わる予定であった。だがノザワは突然司令台から降りてくるとつかつかとカイトの方に歩み寄ってきた。「何をするのだ? 」と訝しんでいるとノザワがニヤニヤしながらカイトのすぐ近くまでその顔を近づけてきた。ノザワの使う整髪料の不快な匂いがカイトを襲う。そしてノザワはカイトだけに聞こえるように小声でこう言った。


「大して役には立たないだろうがな、まぁ頑張って死んでこい」


そしてノザワはカイトから離れて敬礼をした。周囲から見れば激励の言葉を囁いたように見えただろうが勿論ノザワがそんなことをする訳が無い。カイトは怒りのあまり顔の筋肉がピクピクとしていたがどうにかそれを鎮めると「全体! 前へ! 」と叫んで行進を始めて中庭を後にした。






ロングーンからカイト達の目的地であるペイテーラーという町までは徒歩で5日程掛かる。トラックの手配はその数が足りない為出来ずカイト達は徒歩による行軍であった。彼らは草木が生えていない広大な荒れ地の中で車が一台通れる程の広さの舗装された一本道を徒歩で進んだ。すると誰からということも無く先ほどのノザワの訓示についてのお喋りが始まった。


「あいつ……何なんですか? 」

「あんなこと言われたらやる気も無くなるぜ! 」

「偉そうにしてるくせに夜は売春宿に入り浸ってるらしいよ」

「そういえばあいつがロングーンで女物のドレスを買ってるとこを見ましたわ。売春宿の女にプレゼントでもしてるんでしょうね」


皆のノザワへの悪口は止まりそうもなかった。カイトは行軍の先頭をアキヨシに任せてその後ろを歩きながら皆の愚痴を聞きつつ歩いていた。ヒルマン方面軍本部付けの兵士二十人が全員黒豚のことを悪く言っているのだ。カイトはふと呟いた。


「本当のクソクズ野郎だな」


その日は朝から歩き続け途中何度か密林を抜けた。密林の中にはヒルマンのヤポン占領に反対するゲリラ兵が潜んでいる可能性があるとのことでカイト一行は密林の中を抜ける時だけは誰も喋らず警戒しながら素早く移動した。そうして荒れ地と密林の間を交互に縫うようにして歩く間に時計の針はいつの間にか午後一時を指していた。


「二百m先にまたジャングルがあります。そこで小休止しましょう」


荒れ地の真ん中でアキヨシがカイトにそう提案した。朝から歩き詰めで皆少し疲れてきているのだ。


「そうだな。飯にしよう」


飯といっても皆背嚢に入れた乾パンしかないのだ。しかもその量は三日分しかない。食事量を減らして最前線までもたすしかなかった。


「敵機! 」


その時誰かが突然そう叫んだ。カイトは反射的に空を見あげながら叫び返した。


「どこだ!? 」

「右上空です! 」


カイトが右の空を見上げるといくつかの黒い小さな点が空に見えた。ロングーンを出る時に制空権は敵の手中にある為上空を飛ぶ飛行機は全て敵機と思えと言われていたことをカイトは思い出し再びこう叫んだ。


「全員前の森まで走れ! 」


今カイト達が立っている場所は遮蔽物が何もない荒れ地のど真ん中なのだ。そんなところを敵機の警戒もせず歩くよう指示していたのは他の誰でもない、カイト本人なのだ。カイトは自分の戦場での経験の無さに怒りを覚えたがもうどうしようもない。全員が一斉に走り出した。敵機が気付いていないことをカイトは願ったがそれは叶わなかった。敵機は高度を下げてカイト達に向かってくる。流線型の機首に鮫の口が描かれた戦闘機であった。爆音がどんどん大きく響いてくる。


「急げ! 」


カイトはそう叫びながら走ると密林の中へ一番に駆け込んだ。そして振り向くと皆が必死に駆けてくるのが見える。だがその後ろ上空から敵機がぐんぐん近づいてくるのも目に入った。


「早くしろ! 」


カイトがそう叫んだ瞬間であった。「ダダダダ! 」と機銃弾の発射音が響きカイトが潜む周辺にも土煙が舞った。ヒュンヒュンと唸りを上げて飛んでくる機銃弾は恐ろしいものであった。


「ひぃ! 」


カイトは思わず頭を両腕で抱え大きな木の陰に座り込んだ。身体はガクガクと震えている。カイトは目を瞑って心の中で必死に祈った、「早く行っちまえ! 」と。するとその後何度か敵機は密林への機銃掃射を行ったが暫くすると何処かへ行ってしまった。敵機が去った後もカイトは木の陰に身を潜めていた。目すら開けることが出来す身体の震えも止まりそうにない。


「カイト少尉、大丈夫ですか? 」


震えるカイトの耳にアキヨシの声がそう聞こえた。カイトはその時漸く目を開いた。目の前にアキヨシの顔がある。カイトは漸くこの時「あ、あぁ」と返事をした。だが手の震えは止まらない。階級が下のアキヨシはしっかりしているのに自分のこの様は何だ!そう思ってカイトは何とか立ち上がるとアキヨシに聞いた。


「損害は? 」

「……四人倒れております」


そう言ってアキヨシは自分達が走ってきた方向に顔を向けたのでカイトもそれに続いた。すると密林の手前で軍服を赤黒く染めて倒れている四人の兵士が目に入った。その後生き残った兵士で四人の救護をしたが三人は救護した時点で死んでおり一人はその一時間後に息を引き取った。この四人が死んだのは自分の責任だと思ったカイトは暫くの間動けなかった。その横でアキヨシがテキパキと動き四人の遺体から小銃と弾薬に乾パンと認識票を回収すると今度は地面を掘り始めた。その時カイトも漸く動き出し四人の埋葬を手伝ったがカイトは戦場で何も出来ない自分に不安と嫌悪を覚えざるを得なかった。

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