別れと約束
「さぁ、帰るぞ」
サ・ガンがそうカイトに声を掛けた。それを聞いてカイトは地べたに座り込んで再び眠り惚けようとするアキヨシを起こそうとした。
「おい、起きろ! 」
するとサ・ガンが突然こんなことを言った。
「カイト、アキヨシは俺が連れて帰る」
「えっ? いいですよ、私が連れて帰ります」
「大丈夫だ、任せろ」
変なことを言うとカイトは思った。今まで三人で飲んだことが何回かあったがその時はいつもカイトがアキヨシを寮まで連れて帰っていたからだ。だがその時カイトは背後から視線を感じてふと振り向いた。するとそこにはマリィが立っていた。サ・ガンは小さく「行ってこい」と呟くようにカイトに言った。サ・ガンの優しさと気配りにカイトは会釈しながらこう言った。
「すみません。ありがとうございます」
カイトはマリィのところへ駆け寄った。そしてそのまま外へ出て建物の陰で二人きりになった。
「……カイトさん」
「何です? 」
よく見るとマリィはいつもの笑顔ではない。少し怒ったような表情だった。壮行会の始まる直前に一人にしてしまったことを怒っているのかとカイトは思った。だが次の瞬間予想外の言葉がマリィの口から発せられた。
「……ごめんなさい」
「えっ!? どうしたのです? 」
カイトは狼狽えた。するとマリィはシクシクと泣き始めた。
「あたし、今日はただのパーティーだと思っていたんです。そしたら皆さんの壮行会で……」
「……」
「カイトさんも戦地に行ってしまうということも知らず……あたし馬鹿みたいに笑顔でカイトさんに挨拶してしまいました……ごめんなさい! 」
カイトは漸く夕方のマリィの態度に合点がいった。
「カイトさん、あたしあなたに行ってほしくない! 」
「えっ……?! 」
マリィは自分の思ったことをはっきりと言う娘だった。そのことにカイトは少したじろいだ。そしてマリィの瞳にはもう涙が一杯に溜まっている。この時カイトはマリィの気持ちをはっきりと理解した。
「マリィさん……」
カイトは少し微笑みを浮かべてそう言った。
「……何ですか? 」
マリィは泣きながら怒っている。カイトは優しくこう言った。
「ありがとう。必ず私は生きて戻ってきますから。少しの間待っていて下さい」
正直なところ生きて帰ってこれるかは分からないが今はこう言わざるを得ないとカイトは思った。するとマリィは拗ねたままこう言った。
「……本当ですか?」
「はい」
「……約束ですよ」
「勿論。だからちょっと笑顔になって下さい」
そうカイトが言ってもマリィは拗ねたまま上目遣いでカイトを睨むように見つめてきた。あまりの可愛らしさにカイトはまた微笑みながらこう言った。
「次に会う時はまた美味しいパンを焼いて下さい」
「……もっと美味しいものを作ってあげます」
まだマリィは拗ねている。カイトはこう続けた。
「じゃあマリィさんの一番得意なお料理でお願いします」
「……はい」
二人は暫くの間見つめ合った。そしてやっとお互いにほんのりとではあるが微笑み合うことが出来た。カイトはこの時何となく思った、幸運の女神のお陰で生きて帰れるのではないかと。するとその時スガイヤの声が聞こえた。
「マリィ〜、何処だ〜?帰るぞ〜」
それを聞いてマリィが呟いた。
「お父様が探しにきちゃった」
「マリィさん、お父さんのところへ行って下さい。大丈夫、私は必ず帰ってきますから」
カイトはそう言って微笑んだ。マリィは伏し目がちになってまた唇を尖らせていたが突然顔を上げてカイトの方を見ると右手を差し出して握った掌から小指だけをカイトに差し向けた。
「約束ですよ」
「ふふ、疑り深いですね」
二人は小指を絡めて指切りげんまんをした。マリィの小指が妙に温かい。二人は暫くの間見つめ合った。するとその時スガイヤが突然現れた。スガイヤの後ろにはスガイヤの奥さんらしい女性もいるのがカイトの目に入った。
「マリィ、ここにいたのか」
スガイヤがそう言葉を掛ける直前に二人は素早く小指を解いていた。冷静を装いカイトがこう言った。
「スガイヤさん、マリィお嬢様はこちらです。どうぞお帰り下さい」
あたかも自分もマリィを探していたかのようにカイトは振る舞った。するとスガイヤの後ろにいた女性が笑顔で話し掛けてきた。
「あら! 良い男ね! 」
「カイト君、こちらは私のワイフだ。ちょっと酔っ払っている」
少し赤ら顔のマリィの母は体型がふっくらとした明るい女性だった。思ったことを初対面だろうが言ってしまうところがマリィと似ているとカイトは思った。
「初めまして、カイトです」
「初めまして、あたしはミツキといいます。ご紹介の通り彼の奥さんよ。うふふ、こんなところで二人で何してたの? 」
カイトはその単刀直入な質問に驚いてマリィと目を見合わせた。マリィは既に顔を真っ赤にしている。するとミツキは更にニヤニヤしながらこう言った。
「マリィ、あなたもやるわね」
「お母様! そんなんじゃありません! 」
マリィはそれだけ言うと顔を両手で覆いながら駆け出してしまった。その様子を見たミツキがニヤニヤしながらこう続けた。
「ふふ、我が娘ながら可愛いわね」
カイトはその言葉を聞きながらマリィが走り去った方向を何となく見つめていたがふと気が付くとスガイヤがいつの間にかカイトの顔をまじまじと見つめている。
「どうされました? 」
「カイト少尉……元気でな」
「……はい」
スガイヤはカイトをまるで親か親戚のような視線で見つめ続けている。するとスガイヤがまたポツリと口を開いた。
「……カイト少尉」
「何です?」
カイトがスガイヤの顔を改めて見るとスガイヤは目をほんのりと赤くしている。カイトは一瞬驚いたがその様子を無視してスガイヤはこう続けた。
「君のような男が前線に行かなければならん現状を憂うよ……絶対に死ぬなよ」
スガイヤが右手を差し出す。二人は握手をしたがそのうちにカイトも泣きそうになってきた。カイトは笑顔を無理矢理作ってスガイヤ夫妻を前にしてこう宣言した。
「必ず生きて……帰ります。ありがとうございます!」
「あなた……死んじゃ駄目よ」
いつの間にかミツキもその目に涙を溜めている。その時カイトは少し離れた建物の陰から顔を出して自分を見つめているマリィにも気が付いた。マリィも泣いている。カイトはスガイヤ一家の心遣いに感謝し深く会釈をして帰路についた。カイトの宿舎はヒルマン方面軍司令部の横にある木造のボロ家だった。街灯も殆どない星の明かりだけが頼りの夜、歩いて二十分の砂利道をカイトはトボトボと歩く。
一人になると不安と寂しさがこみ上げてきた。
カイトは泣きたくなるのを堪えながら夜道を歩き続けた。




