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モンスーンの雨と硝煙 そして君  作者: 菅谷 ケント
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壮行会

カイトが前線に赴くのは三日後と決まった。後任もいないので引き継ぎ業務もない。カイトは取り敢えず仕事部屋の自分の私物を片付けることにした。だが大して荷物はない。


「こいつは……もう必要ないかな」


カイトがそう言って手にしたのはカイトが学生時代から使っているベイ語とドク語の辞書であった。分厚くて重いその2つの辞書はさすがに戦場では不要だろうと思ってカイトはそれらを部屋へ置いていくことにした。サ・ガンに使ってもらおうと思ったのである。するとちょうどそこへサ・ガンが入ってきて突然こんな質問をした。


「カイト、お前明日の夜空いているか? 」

「ロングーン最後の夜ですね。空いてますよ」


カイトはそう言って笑顔を作って見せた。だが内心は不安だらけだ。思い起こせばこの二年間はサ・ガンと一緒に得意の語学を駆使して仕事を出来たことが本当に幸せだったのだ。だがカイトも軍人の端くれ、不安な様子をサ・ガンには見せられない。


「司令部の若手の壮行会が開かれるのだ。行かないか? 」

「壮行会ですか? あ(・)の(・)人も来るんですか?」


あ(・)の(・)人とは勿論ノザワである。サ・ガンはにやりと笑って言った。


「あ(・)い(・)つ(・)は呼ばれてもいない。主催はヤチヨ銀行の人達だ。彼らもあ(・)い(・)つ(・)には良い感情を持っていないのだ」


一人でいても不安で押しつぶされそうなだけだと思いカイトは壮行会に行くことにした。


「壮行会は明日の夜七時からヤチヨ銀行のロングーン支店で開催だ。明日は現地集合、時間厳守で頼むぞ」

「分かりました」


翌日カイトは早めに仕事部屋を出た。どうせやる気もないしやる仕事もないのだ。カイトはロングーンの中央に通っているヤチヨ銀行ロングーン支店への石畳の道をゆっくり踏みしめるように歩いた。この道を通るのも今日が最後かもしれない、そんなことを考えながら。


「カイトさ~ん! 」


すると背後からカイトを呼ぶ声がした。カイトが振り返るとそこには大きな紙袋を抱えて小走りで近づいてくるマリィがいるではないか! 白いブラウスに淡いピンク色のスカートを履いたマリィはいつも通り笑顔を浮かべて顔をやや赤らめている。カイトは思わず手を振った。


「マリィさん! 」

「カイトさんも今日のパーティーに参加されるのですか? 」

「え……えぇ」

「あたしもお父様に言われて準備をお手伝いしに来たんです。ふふっ」


マリィは嬉しそうな顔でそう言った。だがカイトはいつもの笑顔にはなれなかった。自分がこれから最前線に送られるのにマリィは嬉しそうにしているのだ。彼女の感情がカイトには理解出来ずカイトは暫く黙っていた。するとマリィが少し口を尖らせてこう言った。


「……どうしたんですか? 」

「え……? 」


するとマリィが顔を俯けてこう言った。


「あたしはカイトさんに会えて凄く嬉しいのに」

「えっ……!? 」


カイトは思わずマリィの方へ向き直った。マリィは赤くなった顔を俯けてたままだ。だがその時だった。


「少尉! こっちです! 早く来て下さい! 」


目の前を見るともうそこは既にヤチヨ銀行ロングーン支店の出入口でアキヨシが笑顔を浮かべながらカイトに向かって大きく手を振っている。アキヨシはいつも元気だが今日は既に何杯か飲んでいるようで顔を赤らめておりいつも以上に活力に満ちているように見えた。


「マリィさん、では後ほど」


そう言うとカイトは足早にマリィの前から去った。実際のところカイトはマリィに何と声を掛けて良いのか分からなかったのだ。大学を出てすぐに陸軍に入隊しヒルマンに赴任したカイトには恋愛の経験はこれまで殆ど無かった。


「あっ! あの娘、この前の可愛い子ちゃんじゃないですか! 」

「煩いよ」


アキヨシは既にベロベロだった。彼も最前線に赴く不安を酒で紛らわせているのだろう。カイトはアキヨシのところへ小走りに駆けつけると振り向いてマリィに小さくお辞儀をしてヤチヨ銀行ロングーン支店の正門をマリィより先にくぐった。壮行会の会場となっている部屋に入ると既にそこは酔っ払った兵士だらけであった。テーブルがいくつも並べてあって何処に座ろうかとカイトが思案していると誰かがカイトの背後から声を掛けた。


「カイトさん、こちらです」


振り向くとそこにはインギーが笑顔で立っていた。白いワイシャツに黒いズボンという格好で右手に丸い銀の盆をのせている。


「インギー、今日は手伝いで駆り出されたのかい? 」

「はい、そうです」


するとインギーがカイトに顔を近付けて小声でこう言った。


「スガイヤさんが手当を弾んでくれまして」

「ははっ! それは良かったね! 」


二人は笑顔でその後二言三言言葉をかわした。インギーは相変わらず感じの良い男であった。インギーは既にその場にいたサ・ガンのところまでカイトを誘導してくれた。カイトはインギーに礼を言うとサ・ガンが陣取るテーブルでサ・ガンの右横に座った。


「まぁ、飲め、カイト」


サ・ガンがカイトに葡萄酒を注ぐ。サ・ガンが酒好きで酒量が多いことを勿論カイトは知っている。だがサ・ガンと共に飲む酒はいつも美味かった。彼は説教をしたり訳の分からないことで怒ったりしない、ただ単に場を愉快に出来る人なのだ。だが今日は少し雰囲気が違った。


「お前には二年間助けられたな。ありがとう」

「とんでもないです。助けられたのは私の方ですよ。中将の下で仕事を出来たことは自分にとって本当に良かったと思ってます」


少ししんみりした空気が漂う。するとサ・ガンがカイトの右横に座ったアキヨシにも語りかけた。


「アキヨシにも本当に世話になった。ありがとう」

「……」


アキヨシからの返事がない。おかしいと思ってカイトが右横を見るとアキヨシは既に潰れてテーブルの上に頭を突っ伏して寝ていた。サ・ガンとカイトは顔を見合わせて笑った。


「ふふ。可愛いガキンチョだな」

「そうですね」


二人は暫く寝ているアキヨシを見ていたがふとサ・ガンがこう言った。


「カイト、死ぬなよ」

「……」

「絶対に死ぬな。手柄を立てて勲章を貰おうなどとと思っちゃ駄目だ。自分と自分の周囲の人間が生き延びることだけを考えろ」

「……はい」


サ・ガンの助言は心に染みるものだった。それに加えてサ・ガンと酒を酌み交わすのはこれが最後かもしれないと思うとカイトは内心泣きそうになった。するとその時だった。


「出征兵士の皆様、お集まり下さい」


突然誰かがそう叫んだ。壮行の儀式でもやるつもりらしい。カイトを含めた出征兵士二十人が会場の一箇所に集められた。酔いつぶれたアキヨシもカイトが無理矢理起こして引っ張っていった。するとヤチヨ銀行の主催者の一人らしき白髪の老人が兵士達の前に立ち挨拶を始めた。


「私はヤチヨ銀行で顧問をさせて頂いておりますバイデンと申します。皆さんのお陰で我々は銀行の業務を続けられております。いつもご苦労様です」


場は静まり返った。後で聞いた話ではその男はスガイヤの先輩にあたる人だということだった。


「戦いの勝ち負けも皆様にとっては大事かとは思いますが私のような民間人からしますと是非皆様生きて帰ってきて下さい!」


その男はそう力強く言い切った。そしてこう続けた。


「ヤポン国内でこのような発言をするとすぐに国家の勝利を最優先しないということで非国民扱いされますがここはヤポンではありませんので敢えて私は言います。若い皆さんの命が今後のヤポンの財産となるのです。お願いですから生きて帰って下さい!」


すると突然カイトの隣でかろうじて立っていたアキヨシが無言のまま涙を流し始めた。他の兵士も何人かは涙ぐんでいる。皆怖いのだ。それはカイトも同じだった。そして場は完全に静まり返ってしまった。しんみりしすぎたこの雰囲気があまり良くないと思ったカイトは咄嗟にこう叫んだ。


「はい! 我々は必ず生きて帰ります! ありがとうございます! 」


すると拍手が沸き起こった。心の温まるようなその優しい拍手にカイトも泣きそうになった。すると最後にサ・ガンがこう言い放った。


「皆様、温かいお言葉をありがとうございます。本日は頭の堅い軍人がこの場に呼ばれていないことが幸いでした。最後に一つ、私から皆様へのお願いですが本日の会合のこととバイデン様の発言は何卒内緒でお願い致します。特に秘密警察などへのタレコミは御遠慮下さいませ。宜しくお願い致します」


会場は笑いに包まれた。スガイヤが笑顔になっているのがカイトからも見えた。ふんわりとした空気になったところで宴は終わりとなった。

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