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モンスーンの雨と硝煙 そして君  作者: 菅谷 ケント
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戦局悪化

マリィがパンを差し入れてくれた翌日ヒルマン方面軍司令部の雰囲気はそれまでとはガラッと変わった。カイトの大嫌いなノザワの声が今まで以上に司令部建物内にひっきりなしに響くようになったからであった。


「撤退は許さん! 前進あるのみだと伝えろ! 」

「それは現地指揮官である貴様が無能だからだろうが! 」

「ワシが直接指揮すればそんな敵陣地など1日で落とせたのだ! 」


その怒号、罵声でカイトはヤポン軍のリンパール作戦が劣勢に転じていることをはっきりと悟った。カイトは自分の仕事部屋の隣にある大型通信機が設置された通信隊の別部屋に行き戦況を細かく聞いてみた。するとそこにいた若い通信兵がカイトにこう言った。


「リンド付近まで我が軍は進出していたのですがそこで敵の大規模な反撃が始まったようです」

「反撃だと? 」

「はい。敵は我が軍の補給線が伸び切るのを待つ為わざとリンド付近まで後退していた可能性があります。我が軍はその誘いにまんまと乗ってしまい今手痛い反撃を受けて総崩れの状態です」


事態は深刻だった。攻撃を受けた我が軍の中には全滅した部隊も多くもはや戦線の綻びは繕いようもない。ノザワが一人で死守を叫んでいるが前線部隊はその命令を無視して後退しつつあるという。それを聞いたカイトは緊張した面持ちで自分の仕事部屋に戻るとサ・ガンにこう言った。


「サ・ガン中将! 聞きましたか!? リンパール作戦は完全に頓挫してしまったようです! 」

「……らしいな」


カイトの叫び声を聞いてもサ・ガンは落ち着き払っている。カイトはこう続けた。


「ヒルマンに駐留している我が軍の大半が攻撃に参加したのに……この有り様です」

「カイト、我が陸軍の戦い方はこの四十年変わっていない。それに比べてベイ国は豊富な火力と戦車を上手く活用している。おまけに指揮官はあのノザワの馬鹿だ。戦力と戦術が共に相当な差がついてしまったのだ。こんな結果になるんじゃないかと思っていたが案の定だ……残念だよ」


サ・ガンには狼狽えている様子は全くなかった。おそらく以前からこうなることを見越していたのだろう。カイトは改めてサ・ガンに尋ねた。


「これからどうしましょう? 」

「俺達はただ命令をこなすだけだ。浮足立ってもどうにもならん」


その後二人は本部からの要請で傍受した敵の無線の内容を翻訳したりした。するとすこしずつだが敵の内情も分かってきてベイ国はブルドーザーで山を切り開き道を作ってそこに戦車を進めて我が軍を蹴散らしているようだった。鉄の装甲相手では我が軍自慢の肉弾攻撃は何の効果も生み出せないのだ。サ・ガンはその傍受した敵無線の内容をヤポン語に翻訳して文書に纏めるとヒルマン方面軍司令官室へそれを持っていこうとした。


「珍しくノザワがワシに何か目新しい情報があれば教えてほしいと言っているのでな。では行ってくる 」


そう言うとサ・ガンは仕事部屋を出ていった。気になったカイトは暫くしてからゆっくりと仕事部屋を出てサ・ガンの後を尾行した。そしてサ・ガンが司令室に入ったのを確認してから司令室のドアの前に立ちこっそりと聞き耳を立てた。すると暫くしてまたノザワの罵声が響いた。


「敵戦車の存在など分かっている! 工兵に爆薬は持たせてあるのだ! 」

「爆薬を持って突撃しても敵戦車に近づく前に機関銃の餌食になっているようです」

「精神力が足りないのだ! それに戦い方を変えれば良いではないか! 夜襲や敵地を包囲して補給路を寸断するなど方法はあるだろう」

「夜間になっても敵は照明弾を使ってきます。それに敵陣地後方に回り込んで補給路を断っても敵は空輸で弾薬を補給してきます。現代の戦争では火砲の援護もなく戦車が据えられた敵陣地への突撃攻撃では敵陣地は夜でも落とせないのです」

「貴様! ワシに説教するつもりか!? そんな情報なら必要ない! 出ていけ! 」


そこで会話が途切れたのでカイトは慌てて司令室のドアから離れて自分の仕事部屋に戻った。すると暫くしてサ・ガンが戻ってきた。カイトは冷静な素振りを装ってサ・ガンに話しかけた。


「如何でしたか? 」

「会話にならんわ」


そう言うとサ・ガンは椅子に座って目を閉じ腕を組んで顔を天井に向けたままボソリとこう言った。


「無謀な作戦で命を落とした兵士が無数にいると考えると……辛いな」


その通りだとカイトは思った。その後暫くの間二人は一言も言葉を発しなかった。






その日の夕方になると再びサ・ガンが司令室に呼ばれた。今度はカイトは尾行をしなかった。本来司令室の会話を盗み聞きするなどという行為は軍法会議ものなのである。カイトは仕事部屋でサ・ガンを待っていた。すると暫くしてサ・ガンが戻ってきた。


「何だったのです? 」


ソファに倒れ込むようにして座り込んだサ・ガンにカイトはそう話しかけた。カイトはサ・ガンの前にあるテーブルを挟んだ対面のソファに座った。するとサ・ガンはゆっくりとこう口を開いた。


「カイト……お前は前線に行くことになった」

「……! 」

「前線で戦う兵士の絶対数が足りないのだ。司令部所属でも年齢の若い者は皆前線に駆り出されることになった。アキヨシも一緒だ」

「翻訳の仕事は……? 」

「翻訳など大して役に立たないのでワシ一人で十分だそうだ」


司令部所属の若い士官を前線に送るというのは兵力不足を補う為にノザワが言い出したことだったらしい。戦局が悪化すればこのようなこともあるかもしれないと頭では理解していたカイトであったが実際に告げられるとそれは自分が想像していた以上にショッキングな出来事であった。カイトは学生時代にヤポン古来の拳法を習ったことがあり格闘技には自信があったが銃の扱いはさっぱりであった。戦場で戦う兵士としては素人なのである。そんな自分が戦場に行かねばならないということは即ち死を意味するのだ。いつかヒルマンからヤポン本国に戻りその語学力を活かしてヤポン陸軍大本営で働くというカイトの密かな妄想は今この瞬間に砕かれたのであった。


「銃の弾の込め方から再勉強しなければなりません」


カイトは場を和まそうと無理やり笑顔を作って冗談のつもりでサ・ガンにそう言った。だがサ・ガンはその言葉を無視してこう言った。


「おそらくお前が配備されるのはリンパール作戦に参加した部隊が退却した後の守備隊だ。今から陣地の構築を考えていかないと駄目だぞ。お前には実戦の経験が無いからまずは自分のブレインとなる経験豊富で助言をしてくれる兵士を探すことだ。分かったな? 」


軍隊では命令は絶対だ。遅かれ早かれカイトは前線に赴くことになる。サ・ガンはそこで生き延びれるようにカイトに具体的なアドバイスをしてくれているのであった。


「サ・ガン中将……ありがとうございます」

「ワシも一緒に行くと言ったがそれは駄目だと言われた。こんな爺では役に立たないそうだ。……お前達を行かせることになってすまん。ワシの力不足だ」


聞くとサ・ガンはかなりノザワに抗ったらしい。だが命令は絶対で結局はカイトとアキヨシを差し出すことをサ・ガンはノザワに押し付けられてしまったのだ。実戦経験の無い士官が一人前線に行ったところで戦局が変わるようなことは無い。無意味な昇天命令だがそれに抗ってくれたサ・ガンにカイトは再度礼を言った。


「この二年間、中将の元で仕事が出来たことを誇りに思っております」

「ワシもだ。ありがとう、カイト」


二人はがっちりと握手をした。

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