爆走300km
近付いてくるオートバイを睨みながらカイトは拳銃をホルスターから抜いた。マリィが横で息を呑んでいるのがはっきりと感じられる。そしてカイトが拳銃の安全装置を外したその時だった。オートバイが突然停止した。カイト達の目の前10mでの出来事だった。
「見つかったのか? 」
カイトはそう思い慌てて拳銃を構えたがオートバイを運転していた男は降りるとカイト達に背を向けて草叢の中へ入っていった。
「どうしたのかしら? 」
マリィがそう呟く。女であるマリィには分からないが男であるカイトにはその男が何故オートバイを降りたのかすぐにピンときた。
「マリィさん! ついてきて下さい」
「えっ!? 」
「バイクを盗みます! 」
カイトはそうマリィの耳元で囁いてから彼女の手を引き草叢を出るとそっとオートバイに近付いた。幸運なことにバイクにはキーが付いたままである。カイトはオートバイに跨った。その数m先の茂みの中では一人の男がカイト達に背を向けてお尻を出しておりカイト達に気が付く様子は全くない。カイトはその男が用を足すのだと直感的に思ったがそれは大正解だったのだ、流石に大便だとは思わなかったが。
「行きますよ、しっかり掴まっていて下さい」
「カイトさん、運転出来るんですか? 」
「両親がこういうの好きだったので。大丈夫です! 」
カイトはマリィがオートバイの後ろに乗ったのを確認するとエンジンを掛けて急発進した。前輪が少し浮いた後オートバイが勢いよく走り出す。すると茂みから何事かをヒルマン語で叫ばれたがカイトは勿論それを無視した。そのまま森から抜け出すと荒野をぐんぐんとスピードを上げて疾走した。マリィが背中越しにカイトに笑顔で話し掛ける。
「上手くいきましたね!」
「あのウンコ男、怒ってるだろうなぁ」
「まぁ! お下品ね! ふふっ」
これでもう歩かなくて済むと思うと二人はいつの間にか満面の笑みになっていた。二人とも口にはしなかったが体力的にはかなり辛かったのだ。
背後からぎゅっとしがみつくマリィの匂いがカイトを包む。その匂いはまるでカイトに希望を運び込んでくれているようだとカイトは思った。
「この辺りで一旦休憩しましょう」
「はい」
一時間程走ると周囲がかなり明るくなってきたのでカイトは発見されることを恐れて小さな森を見つけるとその中に入ってオートバイを止めた。そこには小さな川が流れておりその脇で二人は乾パンだけの質素な食事を取った。チョコレートは遂に無くなり乾パンももう残り少ない。二人のお腹はぐぅぐぅ鳴りっぱなしであった。そんな時マリィがオートバイを見ながらこう言った。
「カイトさん、バイクの横に鞄みたいなものが付いてますよ」
「えっ!? あっ! 本当ですね」
カイトはオートバイの運転に夢中で気が付かなかったがマリィの言う通りオートバイの後輪の左右には革で出来た鞄が吊り下げられている。カイトは慌ててその鞄を開けると中を漁った。
「マリィさん! 缶詰がありますよ! 缶切もある! 」
「きゃあっ! 」
マリィが歓喜の悲鳴をあげた。缶詰の中身はコンビーフであった。だが箸やスプーン、フォークといったものは無い。どうしようかとカイトが思っているとマリィが笑顔でこう言った。
「手掴みで食べちゃいましょ! 」
お金持ちのお嬢様らしからぬ発言にカイトは驚いたがその逞しさにカイトは思わず笑みを浮かべた。二人は川で手を洗った後順番にコンビーフを手掴みで口に運びむしゃむしゃと食べ始めた。湿気の多いヒルマンでは肉は保存出来ない。二人は一気に缶詰一つを空にした。
「ちょっと落ち着きました! 」
コンビーフ塗れの両手を舌を出してペロっとしながらマリィが笑顔でそう言った。そんなマリィを見てカイトも笑みを浮かべる。カイトも両手についたコンビーフを一片残らず綺麗に口に運ぶとその後またオートバイの鞄の中を漁った。すると今度は鞄の底から石鹸が出てきた。
「マリィさん! 石鹸がありますよ! 小さなタオルもある! 」
「きゃあっ! 」
マリィが再び歓喜の悲鳴を上げた。カイトは川の方を見ながらこう付け加えた。
「この川は小さいですね。鰐とかはいなさそうです。水浴びでもして下さい」
するとその瞬間マリィが突然俯き顔を赤くした。カイトは何事かと思ってこう尋ねた。
「どうしました? 」
「……絶対こっちを見ないで下さいね」
恥ずかしそうにそう言うマリィを見てカイトは苦笑いしながらマリィに背を向けた。マリィはその後行水をしたがカイトはうとうとしてそのまま寝てしまった。カイトが目を覚ますとマリィが地面に敷いた毛布の横で軽く寝息を立てている。カイトの身体の傍には「次に使って下さい」と言わんばかりに石鹸が置いてあった。カイトもその後川に浸かって身体を石鹸で洗った。石鹸を身体に擦りつけるだけで皮膚から大きな垢の塊が取れて川を流れていく。少しは綺麗になったかと思いカイトは川から上がると再び毛布の上で横になった。雨季が終わろうとしているようでここ数日は雨が降っていない。ジメジメとはしているが雨が降らないことは二人にとって幸運だとカイトは思った。そしてカイトはまた数時間寝た。
「マリィさん! さぁ行きますよ! 」
「はい! 」
周囲はまだ明るく陽がやや傾き始めた時に二人は移動を始めた。闇夜にオートバイで森の中を走ることは危険だからだ。明るいうちに森の中の小道をカイトはオートバイを操り進む。カイトはマリィと石鹸の匂いに包まれて走った。そして2時間も走るとカイト達の乗るオートバイは森を抜けて木々の殆ど生えていない荒地に入った。森を出るタイミングで周囲は丁度暗くなってきている。衝突するような障害物が無さそうなのでカイトはライトを付けてそのまま走り続けた。敵に出会う危険もあったがそんなことを考え出してしまえばオートバイでの移動など出来ないのだ。その日カイトは荒地を朝まで駆け抜けた。すると丁度早朝に身を隠せそうな森を見つけたので二人はそこに潜んだ。
「凄い! だいぶ進みましたね! 」
「頑張りました」
マリィとカイトの笑顔が弾ける。するとカイトは乾パンが僅かに残った袋を広げながらこう付け加えた。
「オートバイの燃料もまだ残っています。上手くいけば明日か明後日にはモールメンに到着出来るかもしれませんね」
「乾パン三昧のお食事とはもうお別れかしら、ふふっ」
そう言ってマリィは子供のような笑顔を見せる。そんなマリィにカイトは真顔でこう言葉を掛けた。
「マリィさん……」
「何です? 」
「ありがとう」
お屋敷で贅沢な生活をしていた筈のマリィは何も文句を言わない。そのことにカイトは思わず礼を言ったのであった。
「あたし何もしていません。お礼ならあたしに言わせて下さい。カイトさん、助けてくれて本当にありがとう」
「ヤポン軍の軍人として自国の民間人を助けるのは当然の義務です」
「あら、あたしのことは義務で助けて下さったの? 」
マリィは上目遣いになって少し拗ねたような視線をカイトに送った。するとカイトは小さくこう言った。
「義務ですが……義務だけではありません」
「あら、どういうこと? 」
マリィはそう言って少し悪戯っぽく微笑んだ。するとカイトはふっと息を吐いてから困ったような顔をしてこう言った。
「意地悪な人だなぁ」
「何がですか? 」
そう答えるマリィの顔は少しニヤけている。カイトは再び真顔になると心臓の鼓動が大きくなるのを感じつつマリィの顔を真正面から見据えてこう言った。
「マリィさん。あなたのこと、好きです」
真正面からはっきりとそう言われて今度はマリィの方が少し息が荒くなった。マリィは少し俯いて顔を赤らめている。
「マリィさん。必ず生きて……一緒に祖国へ帰りましょう」
「……はい」
マリィが顔を上げてカイトの顔を見た。マリィの目は少し潤んでいるようにカイトには見えた。
「……マリィ」
「……カイトさん」
二人の唇が接近する。それと同時に二人の鼓動の高鳴りも最高潮に達していた。だがその時だった。
「ドーン!」
突然遠くから爆発音が聞こえてきた。それを合図として二人は我に返りお互いの顔を見つめ合った。
「今のって……」
「おそらく……近くで戦いが起きてますね」
二人は暫くの間耳を澄ませた。するとその後銃声が散発的に聞こえてきた。
「マリィさん、今はここで少し休憩してその後は様子を見ながら慎重に進みましょう」
「……はい」
先程までの甘い雰囲気は一瞬で無くなりマリィは少し心配そうな表情になっている。接吻どころではないのだ。マリィはこう呟いた。
「お父様とお母様は大丈夫かしら……? 」
その言葉を聞くとカイトは何と答えて良いか一瞬分からなかった。カイトは「大丈夫ですよ」とだけどうにか言葉を発するとマリィに早く仮眠を取るように促した。




