敵前逃亡
カイトは夜になるのを待った。
街中から銃声や爆発音が頻繁に聞こえてくるようになったからであった。ムルアカの言った通りヒルマン人が敗色濃厚なヤポン軍に対して組織的に反旗を翻したのであろうとカイトは思った。
しかもその銃声や爆発音はヤポン軍のロングーン司令部がある方向からひっきりなしに聞こえてくる。カイトはロングーン司令部をヒルマン軍が取り囲んで攻撃しているとも推測していた。カイトは闇夜に紛れて司令部に籠城しているヤポン軍と接触出来ないかと考えた。
「そういえば……司令部の地下にトンネルがあったな」
カイトは司令部の建物の造りを思い出していた。
司令部の地下には近くの川へ繋がる脱出用の地下道があったのだ。そこを逆に行けば司令部建物の内部まで辿り着けると考えたカイトは草叢を抜け出し暗闇の中を誰にも見つからないように慎重に歩き始めた。
人の気配がすれば路地裏に逃げ込んだりしながらカイトは夜道を進む。敵兵に鉢合わせした時の為にカイトの右手には拳銃が握られていたがその夜は幸運なことにその拳銃を使うような事態にはならずカイトは無事に地下道の出口に達した。地下道の出口は小さな川の草木が生い茂った土手に鉄の扉が設けてあり周囲からは目に付きにくくなっている。
だがカイトがその扉に近づいた時突然その扉が「ギイ」と音を立ててゆっくりと開き始めた。その後扉から頭だけを出して周囲の様子を窺っているヤポン兵の姿を視認したカイトはゆっくりと低い声でこう話し掛けた。
「軍司令部の方でしょうか? 通信隊にいたカイト少尉です! 」
「ヤポン語だぞ! 誰だ? 」
扉の周辺がざわついているのがカイトには分かった。カイトは少し声を大きくしてもう一度声を掛けた。
「通信隊のカイトです! 」
「おぉ!カイトか! 」
すると扉の陰からひょっこりと見慣れた顔が覗いた。カイトは思わず叫んだ。
「サ・ガン中将! 」
「カイトよ! 貴様まだ生きておったか! 」
カイトはサ・ガンの元に駆け寄る。サ・ガンはカイトの肩をポンと叩き満面の笑みを浮かべてくれた。カイトは嬉しくて思わず泣きそうになったが涙を堪えてサ・ガンにこう尋ねた。
「ロングーンの状況を教えて下さい。今どうなっていますか? 」
「カイト、今司令部の周囲は敵だらけだ。ヒルマン軍が我々の劣勢を悟りロングーンの各所で乱を起こしたのだ」
「……やはりそうですか」
カイトが想像していた通りのことがロングーンで起こっていたのだ。カイトはサ・ガンに再び尋ねた。
「これからどうするのです? 」
「司令部はヒルマン軍に包囲され激しい攻撃を受けて多数の死者が出ている。弾薬も尽きかけておりもうこれ以上戦えないと私は判断した。我々はまだ我が軍の勢力下である南方の都市モールメンへ向かって後退するのだ」
そこまで聞いてカイトは違和感を覚えた。通信隊の指揮官であるサ・ガンが退却の指示を皆に出すということは普通はあり得ない。本来であれば総司令官であるノザワが判断を下すべきなのだ。カイトは三度目の質問をした。
「ノザワ将軍はどうしたのです?」
するとサ・ガンは一瞬の躊躇いの後にこう言った。
「あいつは……逃げた」
「えっ!? 」
「あいつは逃げたんだよ」
「どういうことです? 」
カイトの眉間に皺が寄った。
「ヒルマン軍の武装蜂起の知らせを聞いて恐ろしくなったのだろう。自分の取り巻きだけを引き連れて輸送機に乗ってお先にモールメンへ飛んでいっちまった。しかもこっそりとな。指揮官が逃げ出した我が軍は大混乱だ。そんな状況でまともに戦える筈などないのだ」
サ・ガンの拳がいつの間にか怒りでブルブルと震えている。だがカイトの拳もいつの間にか同じようにブルブルと震えていた。だがその怒りを落ち着けるかのようにサ・ガンはこう付け加えた。
「カイト、これ以上の話は後だ。敵に見つかる前に逃げなければならん」
カイトはサ・ガンのグループに加わり川沿いの土手の草叢の中を南に向かって歩き始めた。
そしてカイトは歩きながらこう呟いた。
「命令を忠実に遂行した兵士の多くは死んで……腐りきった将軍様はのうのうと生きているって訳ですか……」
「どうした? 」
カイトの言葉に気が付いたサ・ガンがカイトの方を振り向いた。
カイトは力強くこう言い切った。
「あの黒豚は正真正銘のクソ野郎ですね……あいつだけは絶対に許さない! 」
「カイト……」
カイトの拳はまだ震えていた。




