出会い
「いてて……」
イーサンの悲劇から1週間ほど経ってもカイトにはノザワから蹴られた横っ腹の痛みが残っていた。捕虜への尋問は別の人間が担当しカイトはその任務から外されたがその担当者のベイ国語の能力が低い為尋問は上手くいかなかったと後にカイトは聞いた。ノザワは自分が気に入らない人間をすぐに自分の周囲から追い出すという習性があることをカイトはこの時学んだ。だがカイトはそれで良かった。あんな黒豚とは二度と顔を合わせたくないと思っていたからだ。横っ腹の痛みを感じる度にカイトは髪の毛が逆立つ程の怒りを覚えていた。
「カイト、大丈夫か? 」
「大丈夫ですよ」
サ・ガンは仕事の合間によくカイトに声を掛けてくれた。サ・ガンにもノザワとカイトのいざこざは耳に入っていたが彼は何も言わなかった。その頃はたまたま外国からの情報が普段より多く入ってきた時期でもあったので二人はかなりハードに働いていたがサ・ガンはカイトに対する気配りを怠らなかったのだ。そんなある日のことであった。
「カイト、明日の夜スガイヤの家に行かないか?食事に誘われているんだが良かったらお前にも是非来てほしいとのことだ」
「良いんですか? じゃあ是非」
スガイヤは銀行の経営者でもある為色々な情報が欲しいのだろうということはカイトにも分かっていた。カイトもまた経済界の要人とのパイプは自分にとってプラスになると思っていたのである。軍人の多くはそのような人付き合いを煩わしいと嫌うがサ・ガンとカイトは違っていて当時としては珍しい存在だった。翌日カイトは仕事を早目に切り替えてスガイヤの家に向かった。サ・ガンとはスガイヤの家の前で午後6時に待ち合わせであったがカイトは早く着いてしまい家の前で待っていた。
「あ〜三十分も早く着いちゃったなぁ〜」
ロングーンの郊外にあるスガイヤの家は屋根が赤、壁が白で塗られたコンクリート造の大きな家だった。ヤポン王国の本土では紙と木で出来た家が多いがそれと比べるとスガイヤの家は豪勢で立派だった。カイトはスガイヤの豪邸の前でぼけっと突っ立っていた。するとカイトの方に向かって一人の女性が歩いてきた。背は160cmぐらいでスラッとしていて肌の色は透き通るほど白くカイトは最初ベイ国人かと思った程であった。するとその女性はカイトの近くまで来ると笑顔でこう言った。
「こんばんは」
「こ、こんばんは」
突然のヤポン語にカイトは驚いて彼女を見た。肩まで伸びた髪の毛とふっくらとした艶やかな唇が素敵な笑顔を作っている。彼女はカイトに話しかけてきた。
「お父様のお客様ですか? 」
「お父様?君はひょっとしてスガイヤさんの……」
「娘のマリィです。はじめまして」
「こりゃどうも。私はカイトといいます。今日はスガイヤさんに夕食を誘って頂きまして」
「あら、そうでしたか。こちらへどうぞ」
マリィはカイトを門の中へ案内した。家の扉を開けると現地人らしき背の高い召使いがそこにいて「お帰りなさいませ、お嬢様」と言った。彼女は笑顔で「ただいま」と言ってそのまま広い廊下を歩き続けた。カイトは彼女の後に続いた。その時にマリィが振り向いてこう言った。
「カイトさんは背がお高いですね」
「マリィさんも高いですよ」
「お父様によく言われるんです。背の高い女は幸せになれないって」
そう言ってマリィは笑った。カイトはどういう表情をして良いか分からずほんのり苦笑いを浮かべた。
「何故幸せになれないのです? 」
「背が高いと可愛く見えないそうです」
「そんなことないですよ」
「あら、お優しいのね、ふふっ」
そう言ってまたマリィは笑った。その笑顔は本当に可愛らしいとカイトは思った。二人は歩みを止め一瞬笑顔で見つめあったがマリィはすぐに俯くと笑顔のままこう言った。
「こちらが応接室です」
「案内してくれてありがとう」
カイトは応接室に入ると大きなソファに座った。その様子を見届けたマリィは一礼をしてその場を離れた。
「感じの良い娘だな」
カイトはそんなことを考えながらソファに座った。すると先程の召使いらしき男がカイトのところへやってきて笑顔でこう言った。
「何か御用がありましたらお言いつけ下さい」
それは流暢なヤポン語だった。カイトはその男に尋ねた。
「ヤポン語が上手だね」
「私は大学でヤポン語を学んでいました」
そう言って笑顔を浮かべるその男は浅黒い肌で短い頭髪にはウェーブが掛かっている。身長はカイトより少し低いぐらいであろうか、愛想の良い男であった。
「出身はロングーンかい? 」
「いいえ、もっと田舎のパゴダという町で生まれました。大学に通う為にロングーンに出てきました」
「スガイヤさんの屋敷で働いて長いのかい? 」
「もう二年になります。スガイヤさんの家族は皆とても優しく私がそれまで知らなかったヤポン語やヤポンの作法などがあれば丁寧に教えて下さいました。お給料も他の仕事に比べると破格です。私はスガイヤさんに感謝しています」
「それは良かったね。君の名前は? 」
「私の名前はインギーといいます」
二人はその後暫くの間会話を楽しんだ。インギーは真面目で愛想の良い男で話を聞いているとヤポンに親しみを持っていることが感じられた。カイトはお喋りの最後にこう付け加えた。
「他の仕事もあるだろう? 引き留めて済まなかったね」
「大丈夫です。ありがとうございました」
インギーは笑顔でその場を去った。するとその後サ・ガンとスガイヤはすぐにやってきた。三人は食事をする部屋へと移動しそこにあった長テーブルの片側にスガイヤが、その反対側にサ・ガンとカイトが並んで座った。召使いが酒と料理を運んで来る。最初は雑談で始まった夕食であったが話はそのうちヒルマンの軍事行動に移っていった。
「リンパール作戦はどうだ? 」
「リンドの手前まで進出出来たようだ」
「それは凄いな! 」
「ただ大きな損害が出ているのも事実だ。まだ推移を見守る必要がある」
スガイヤがリンパール作戦の進捗を聞いてきたのでサ・ガンは知っていることを全て教えた。するとスガイヤはこんな質問をしてきた。
「仮にだが……リンパール作戦が失敗すればどうなる? 」
サ・ガンは一瞬驚いた表情になったがすぐに元に戻ってこう言った。
「残された兵力でヒルマンを守るしか……ないな」
するとそこへカイトが口を挟んだ。
「ヒルマン自体には資源がある訳でもなくベイ国にとっては戦略的にそれほど重要な地域ではありません。ベイ国がすぐに攻めてくるといったことは考えにくいです。ですが我々をいつまでも野放しにはしてくれないでしょうね」
「なるほど……」
スガイヤはそう言うと黙ってしまった。そして暫く沈黙した後こんなことを言った。
「私はヤチヨ銀行のヒルマン支店の経営を任されている。そこで働いている社員やその家族の安全がどうなのかということに私はいつも気を配っていなければならないのだ。変なことを聞いてしまって申し訳ない」
その場の雰囲気が少し盛り下がったことを気にしたらしくスガイヤは二人に詫びた。
「いや、良いのさ」
サ・ガンはさらりとそう言ってその後また別の話題をスガイヤへ提供したがカイトはずっと頭の片隅でロングーンの今後のことを考えていた。リンドを守るベイ国の兵力はそれほど多くないと聞いている。それにヒルマンに戦略的価値がベイ国にとって少ないのも事実だ。だがもしベイ国がヒルマン地域に攻撃を仕掛けてきたらヤポン陸軍はベイ国部隊を撃退出来るのであろうか?そんな不安がカイトの脳裏によぎっていた。




