虚栄心と捕虜
サ・ガンとスガイヤ、そしてカイトの三人がウイスキーを散々飲んだ夜の数日後サ・ガンが話していたリンド攻略作戦「リンパール作戦」が開始された。この作戦はヤポン王国政府内でも大きく宣伝されヤポンの国王であるラムセスもこの作戦に大きく期待しているとのことだった。だがヒルマン現地の軍司令部はやや冷めた雰囲気があり鼻息が荒いのは作戦立案とその全体指揮を取っているノザワという将軍一人だけという有り様であった。
「早急に部隊を前進させろ! 」
「何故出来ないのか! 貴様が無能だからだろう! 」
「早くしろ! 馬鹿者! 」
ロングーンの街中にあるヤポン陸軍の軍司令部建物内にはノザワの怒号がしょっちゅう響き渡るようになった。前線部隊の苦労はサ・ガンやカイトの耳にも届いており山岳地を徒歩で移動するヤポン軍には火砲は僅かにしかなく敵軍への攻撃方法は常に昔ながらの歩兵による突撃攻撃であった。敵の要衝を攻める度に突撃攻撃を繰り返すヤポン軍兵士には機関銃と砲火による洗礼が待ち受けており彼らはバタバタと倒れていった。山岳地を移動している間だけでもヤポン軍兵士達は豊富な火砲を持つベイ国軍から砲撃を繰り返し受けてそれだけでも兵力は削られていった。残された兵士に補給は届かず糧食として連れて行った牛はその殆どが山岳地やその合間に流れる川を移動していく際に脱落していき彼らは敵砲火だけでなく餓えにも苦しめられるようになっていた。だがそれでもヤポン陸軍は前進を止めずリンド国境近くまで進出した。
「皆が懐疑的であったこのリンパール作戦ももう作戦成功は目の前である。全ては私の指揮遂行能力と忍耐力の高き故である! 」
色黒ででっぷりと太っているノザワはそう言って周囲に吹聴した。彼の自己顕示欲の高さは軍司令部では有名であった。その上ノザワには黒い噂が絶えなかった。ヒルマンの一部の富裕層に便宜を図って裏金をせっせと集めているという話はカイトですら聞いたことがあった。だがその事実を突き止めた者は皆容赦無く前線に送られるという。そんなノザワを周囲は忌み嫌っていた。だがそのような状況の中でもカイト自身はノザワに対してそれほど嫌な感情というものは持っていなかった。通信部隊の中でも翻訳を専門とするカイトはノザワと直接関わることが無かった為である。カイトは軍自体に嫌悪感を覚えてはいたが純粋にヤポンが勝利を掴んで欲しいとも思っていた。
そして作戦開始から2週間程経ったある日最初の捕虜がロングーンに連行されてきた。カイトは彼らへの尋問の際の通訳としてロングーンの郊外にある臨時の捕虜収容施設へ赴いた。捕虜は20人いたがその中のリーダー格である男にカイトは尋問を開始した。時刻は朝の9時を回っていた。
「君の名前は? 」
「イーサン・ハントだ」
「階級は? 」
「軍曹だ。生年月日は1923年7月3日、識別番号は2271459、それ以上の質問には答えない」
イーサンは平均身長が150cm程度のヤポン人から見ると背が高く身長は190cm程あってカイトより大きい。そして彼の身体は筋骨隆々としていて白い肌に金髪が映えるなかなかの男前であった。また彼は捕虜の扱いは人道的でなければならないという国際人道法というものが定められていることを知っていて態度は堂々としたものであった。基本的に捕虜への尋問というのは氏名、階級、生年月日、識別番号程度に限定されるのだ。カイトのイーサンへの尋問は雑談に変わった。
「ミスターハント、君はもう故郷を離れて長いのか? 」
「そうだな、もう10ヶ月になるかな。君は? 」
「私は2年になる」
「2年? そりゃ大変だな、ヤポンは負け戦が続いて兵力不足だからなかなか故郷には帰れないのだろう? ふふっ」
その後イーサンはリラックスしたのかカイトにヤポンを小馬鹿にした言葉を並べてきた。
「ヤポン人は皆背が低いが君は大きいな。そこから考えると君は本当にヤポン人なのか? 」
「ヤポン人の文明は進みすぎている。ハラキリなど我々ベイ国人には理解すら出来ないよ」
「ヤポン人は蛆虫の混じったライスを食って戦っていると聞いた。我々にはそのような忍耐力はない。そういう意味では私はヤポン人を尊敬している。ハハッ! 」
カイトは最初の方こそ内心苛々したがそのうちイーサンの言うことにいちいち反応するのも面倒臭いと思った。暫くしてカイトはイーサンに冷静にこう言った。
「ミスターハント、君の気持ちも分からないではないがその態度はマイナスだと思う。余計な感情のもつれを生み出してもお互いに得なことはない」
するとイーサンは黙って俯いた。そして暫くした後顔を上げてこう言った。
「ミスターカイト、すまない。悪かった」
「分かってくれれば良いんだ」
話をするとイーサンはベイ国で高校を卒業した後に志願して陸軍に入ったとのことだった。カイトも自分が大学を卒業した後に陸軍に入りその語学を活かして翻訳の仕事がメインであることを伝えた。
「ミスターカイト、君はエリートだな」
「エリート? そんなことはない。正直なところ私は実戦の経験など無いのだ。兵士としては半人前だ」
「戦場なんて行かなくて済むのであれば絶対に行かない方が良いぜ。そういえばヤポンにはベイ国語を話せる人間は殆どいないと聞いたことがある。君は自分のその能力を活かして戦地の後方で仕事をしていれば良いのさ。その方が死ぬ心配が無いじゃないか」
ヤポンでは国の為に死ぬことが美徳のような教育がなされている。カイトが学生として学んでいた戦争が始まる前のヤポン王国ではそのような教育は無く個人の幸せを追求することに何の問題も無かった。だが戦争が迫ってくるに連れて情報は統制され国家に都合の良い教育が施されるようになっていったのだ。カイトはイーサンが少し羨ましいと思った。二人はその後もお互いの国の話をしたりして親しくなり尋問という名の雑談は昼前に終わった。
「じゃあな、イーサン」
「あぁ、カイト」
二人はまるで友人のようにその場を離れ捕虜達はいくつかの部屋に分けて収容された。だが午後になって捕虜収容施設の空気が一変した。ノザワが急遽その場所に現れたからであった。ノザワはカイトのところへ歩いてくるとこう言った。
「お前、名前は? 」
「カイト少尉であります! 」
従兵を引き連れてカイトの目の前に現れたノザワはカーキ色の軍服を身に着け左胸には勲章がこれ見よがしにぶら下がっている。でっぷりと突き出た腹に黒く日焼けした肌はなるほど陰で「黒豚」と仇名をつけられているだけのことはあると敬礼をしながらカイトは思った。ノザワの白髪混じりの髪の毛は整髪料でオールバックにされテカテカになっている。整髪料の匂いがカイトには不快に思えた。
「これより尋問を開始する。捕虜を全員この部屋に連れてこい」
ノザワはそう言ってカイトに捕虜を収容施設内の大きな部屋の一室に集めさせた。手には大きなサーベルを持っている。カイトは捕虜を集めると5人ずつ4列に並ばせた。その前にノザワは立ち捕虜達の顔を眺めている。カイトはノザワの横に立ったがその時一番右の列の先頭に立つイーサンと目が合った。カイトは思わず目を逸らした。するとその次の瞬間ノザワの罵声が部屋の中に響き渡った。
「貴様ら! ベイ国のクソ共が! 捕虜になってまで命が惜しいか!? 」
ヤポンでは敵の捕虜になることは恥ずべきことだと教えられている。だが世の中の常識はそうではない。世界の大多数の国では精一杯戦って捕虜になることに何も恥じることはないという考えが一般的なのだ。そのことを知っていたカイトはノザワの言葉を「お前達! 俺の話を聞け! 」と適当に訳したふりだけをした。するとノザワはとんでもないことを話始めた。
「これから貴様らにワシが質問をする! 答えなくても良いが答えない奴はこうなる」
そう言うとノザワはサーベルを鞘から抜いた。捕虜達の顔が一瞬で青ざめたのがカイトには分かった。言葉は分からなくとも光り輝くサーベルを目の前で振り回されれば誰でも恐怖を覚えるだろう。するとイーサンが真っ青な顔のまま「これは威嚇行為だ! 捕虜虐待だ! 」と叫んだ。そしてカイトの方を見ると「ミスターカイト! これはどういうことだ!? 」と再び叫んだ。
「煩い! 黙れ! 」
激しい剣幕で怒鳴ったイーサンに向かってノザワは駆けていき手にしたサーベルを振り下ろした。その瞬間鮮血が飛び散りイーサンの悲鳴が響き渡った。
「うわぁ! 」
「イーサン! 」
思わずカイトはその場に倒れ込んだイーサンに駆け寄った。左肩辺りから腹にかけて深い裂傷を負ったイーサンを抱き起こしたがイーサンは天井に虚ろな視線を向けたまま身体がガクガクと震えている。カイトは血まみれになりながら叫んだ。
「衛生兵を呼べ! 」
だがその場で捕虜を取り囲んでいた兵士は誰も動く様子がない。皆やや俯き加減でカイトと目を合わさないようにしている。カイトはもう一度叫んだ。
「衛生兵を呼べと言っているんだ! 」
だがその声を打ち消すようにノザワが大声でこう叫んだ。
「その必要はない! 」
カイトはノザワの方を向くと睨みつけてこう言った。
「将軍、これは重大なジュネーブ条約違反です! 無抵抗の捕虜に斬りつけるなんて……ヤポン軍人は未開の野蛮人に成り下がったのですか!? 」
「貴様! ワシに向かって何という暴言を! 」
激怒したノザワは顔を真っ赤にしてカイトの前に立ちはだかると渾身の力でカイトを蹴り上げた。カイトは後ろに吹っ飛びそのまま仰向けに倒れ込んだ。するとノザワはカイトの横腹にもう一発激しい蹴りを叩き込んだ。
「ぐえっ……! 」
カイトは一瞬呼吸が出来なくなりその場で横腹を押さえたまま動けなくなった。
「この馬鹿者めが! 」
ノザワは怒ってその場を出ていってしまった。そして放置されたイーサンの痙攣はいつの間にか止まっている。
「……イーサン」
カイトがそう言ってよろよろと上体を起こしイーサンの顔を覗き込むとイーサンは目を見開いたまま絶命していた。するとカイトのところへノザワの従兵が今更ながらに駆けつけてこう言った。
「少尉殿、申し訳ありません」
その言葉を聞いてカイトは理解した、ノザワの従兵達はノザワの許可無しに他者の命令を聞き入れることは許されないのだと。そして従兵はこう付け加えた。
「将軍は捕虜が連行されるといつも何人か殺すのです。まるで自分の力を誇示するかのように……」
「噂通りのクズ野郎だな」
カイトはそう呟くとよろよろと立ち上がった。カイトの心にはイーサンの死相とノザワに対する嫌悪が深く刻まれた。




