プロローグ:雨の街
時は遡って数千年前、地球から遠く離れた銀河の端にテルーサという惑星があった。テルーサには地球と同じ様に人間が暮らしており彼らは数千年に及ぶ農耕と狩猟の生活を経て社会を形成しいくつかの国家を作り上げた。
だが人間という種族はいつどのような世界でも争いを起こす。
彼らは領土拡大と資源獲得という欲望の為に国家間で争いを始めた。
多くの人間は生活習慣や宗教、そして考え方が違うといとも簡単に他人を殺めることが出来る。
そして誰もそれを罪と思わないのだ。
テルーサの北半球にヤポン王国という領土が狭く資源も少ない島国の国家がある。
ヤポンにはまともな産業は農業しかなく貧しい国であった。
そして海に囲まれたヤポンの周囲にはその小さな領土さえも奪わんとする大国がひしめいている。
ヤポンは外国から工業を学び取り入れて国力を増強し軍隊を整備して大国に肩を並べようとした。
僅かな国家予算の中で兵士を育成し鋼鉄の戦艦や当時の最新兵器である航空機を輸入した。
そして数度の諸外国からの侵略を彼らは独力で振り払った。
だが彼らはその後進む方向を間違った。
ヤポンは自らの実力を過大評価し遂には海を隔てた大国、ベイ国へ戦いを仕掛けてしまった。
戦争開始直後は優勢に戦争を推移させていたヤポンであったが国力の差は歴然としており戦争が長引いて消耗戦になってくると徐々に劣勢になっていった。
勝ち目の無い戦いを始めて2年半が過ぎ敗色が濃くなってきた中、ヤポンの占領地ヒルマンからこの物語は始まる。
テルーサの南半球に位置するヒルマンという地域はベイ国によって植民地化されていたがヤポン王国が彼らの独立を支援するという目的で戦争開始直後に軍隊を送り込みベイ国の勢力を追い払った地域であった。年間を通じて高温な地域で5月から10月にかけては雨季であり降水量が多く常に蒸し暑い。北半球に位置し四季をもつヤポン王国の人間にとってこの蒸し暑さは閉口するものであった。
その日はまだ蒸し暑さが酷くなる前の3月初旬のある日であった。ヒルマンで最大の都市であるロング-ンの中にある一つの小さなレストランで一人の初老の紳士が白いクロスを掛けられた丸テーブルの前に姿勢良く座っている。
白いワイシャツに茶色のネクタイという出立のその男は年齢に似合わない毛量の白い頭髪の前髪を七三に分けて銀縁の眼鏡を掛けていた。彼は目の前に置かれたグラスを口に運びつつチラチラと自分の左腕に巻かれた時計を見ていた。
「……そろそろですかな」
彼がそう独り言を呟いた後に時計の針が午後5時58分を指した。するとレストランの入口にある木製の大きな扉が開きカーキ色の軍服を着た二人の男が入ってきた。
「よぉ! 待たせてしまったかな? 」
二人のうち一人の男が笑顔でそう叫んだ。短く刈り込まれた頭髪に眼鏡を掛け身長は150cmを少し超えた程の小柄な男であった。その男の顔には今までの彼の苦労を表すような深い皺が刻まれている。年齢は丸テーブルに座る紳士と同じぐらいであろうか。すると紳士がグラスを額の付近にかざして笑顔でこう返した。
「まだ約束の6時になっとらんよ、お先に失礼している」
「おぅ、そうだったか」
その小柄な軍人は紳士の目の前の椅子にドサッと座り込んだ。そして額や首筋にうっすらと浮かんだ汗をハンカチで拭いながら自分の後ろに従っていた若いもう一人の軍人に手招きをしてこう言った。
「お前も座れ」
するとその若い軍人が紳士に一礼をして座った。身長が180cm程の背の高い男でなかなかの美男子である。そして小柄な軍人がその美男子を紳士に紹介した。
「スガイヤ、紹介するよ。俺の部下のカイト少尉だ。一度お前に会わせておこうと思ってな」
「カイトです。宜しくお願い致します」
その美男子が紳士に会釈をした。すると紳士が笑顔でこう言った。
「カイト少尉、君はなかなか男前だね。サ・ガンと大違いだ」
「スガイヤよ、こいつは顔だけじゃない。外国語を2か国語話せるんだ。能力も高いぞ」
「そりゃ凄い」
先に丸テーブルに座っていたワイシャツ姿の男は名をスガイヤといい彼はヤポンにあるヤチヨという名の銀行からヒルマンに派遣された銀行員であった。ヤチヨ銀行は占領地でのヤポン陸軍の戦費調達等に深く関わっておりヤポン陸軍とヤチヨ銀行は占領地において密接に関わっていたのだ。
そして小柄な軍人の方は名をサ・ガンといいヤポン陸軍ヒルマン方面軍本部通信隊の隊長を務める男で階級は中将であった。スガイヤとは付き合いが長く二人は民間と軍属という違いはあるものの気が合いよくこうして会っている。サ・ガンは笑顔でこう言った。
「お前は何を飲んでいるんだ? 」
「いつものウイスキーだ」
「では俺も同じにしようかな、腹も減った」
するとスガイヤがカイトに顔を向けてこう言った。
「君もウイスキーで良いかね? 肴も適当に頼むが良いかね? 」
「はい、お願い致します」
返事をしたカイトという男はサ・ガンの部下でありヤポン陸軍ヒルマン方面軍本部通信隊に所属する少尉であった。ヒルマンに来てもう2年以上になる。主な仕事は単なる通信をすることではなく海外から入ってくる情報を自国語に翻訳することであった。彼は敵国であるベイ国のベイ語とヤポン王国との同盟国であるドク王国の言語が理解し翻訳出来る秀才であった。だが彼には実戦経験は無く銃を撃ったのは3年前の陸軍入隊時の基礎訓練の時だけであった。サ・ガンもここ数年銃を撃っておらず外国語の翻訳を主な仕事としている為か軍人独特の偉そうなところは無い。スガイヤとサ・ガンのウマが合ったのはそういうサ・ガンの親しみやすさにも大きく関係があったのであろう。
「オーダー良いかね? 」
スガイヤがそう言ってパンパンと手を2回叩く。すると近くにいたウェイターがすっと近づいてきて丸テーブルの脇に立った。ウェイターは白いタキシードを着た肌の浅黒い現地人だ。スガイヤが現地語で何事かを告げるとその現地人は頷いてレストランのカウンターの奥へ姿を消し、その後すぐに琥珀色の液体が注がれたグラスを2つと酒の肴の盛られた大きな皿をトレーにのせて持ってきた。3人は乾杯した後食事をしながらヒルマンにおけるお互いの近況を話し合った。雑談は程よく進み特にスガイヤとサ・ガンの二人の酒量が勢いよく増えていった。するとスガイヤがふとこう言った。
「……ところで、戦局はどうなんだ? 」
一瞬の沈黙が三人を包む。すると暫くしてサ・ガンが口を開いた。
「……近々大規模な作戦が始まるらしい」
「ほぅ? 」
「ロングーンの北西に位置する敵軍に対して大規模な攻撃を仕掛けるそうだ」
「狙いは……リンドか? 」
「その通りだ」
ヒルマン地方の西方にはリンドと呼ばれる地域がありそこはベイ国の植民地となっていた。サ・ガンの話によればヤポンはそのリンドを植民地支配から開放させて独立を後押ししベイ国の影響力を排除する狙いがあるとのことだった。その後サ・ガンがこう付け加えた。
「このヒルマン地方では敵の目立った動きは無いが……他の地域ではベイ国の本格的な反撃が始まっている。どうにかこの作戦は成功してほしいね」
「勝算はあるのか? 」
スガイヤがそう尋ねた。その瞳には先程までの柔和なものは浮かんでいない。戦局の推移にそれだけ関心があるのだ、横で見ていたカイトはそう思った。
「俺は聞いただけだが……かなり無茶な作戦を立てているらしい。作戦を発案した軍司令官以外は全員反対しているそうだ」
「これから雨季に入るんだぞ。大丈夫なのか? 」
ロングーンの雨季には激しいスコールが頻繁に発生する。それはこの地方独特のものであった。
「制空権の無い中ではスコールがあった方が動きやすいらしい」
「リンドに向かうルートは基本的に山岳地を通ることになる。補給は大丈夫なのか? 」
「……食糧になる牛を連れていくそうだ」
「はぁ? 」
二人の会話を横で聞いていたカイトは思った、この作戦は成功しないと。カイトの両親はヤポン国内で当時まだ珍しかった自動車やオートバイの販売・整備の仕事をしており裕福であった為大学まで学ぶことの出来た彼はそれなりの頭脳と見識を持っている。そもそも国力に10倍の差があるベイ国と貧乏国家であるヤポンが戦争をすること自体に無理があると彼は考えていた。だがこの時のヤポン王国内ではそういうことを口にするとすぐに反逆者として逮捕されてしまうのである。二言目には「我が国は神国であるから負けることはない」「物量の差は精神力で乗り超えられる 」「鬼畜ベイ国の兵士には気合が足りぬ。最後に勝つのは我々である」といった根拠の無い精神論が軍の中枢部ですら語られるのであった。そんな軍部にカイトは内心辟易としていた。
「現代の戦争は全て機械化されている。発動機が発明されて以降ベイ国は戦場に自動車や戦車を大量に投入しているが我が軍のその数は僅かだ。食糧を運ぶ車両は無く牛に弾薬や砲を運ばせて戦場ではその牛を食べると言う。正直俺も上手くいくとは思えない」
サ・ガンが呆れたようにそう言った。まさにその通りだとカイトは思った。カイトは親の仕事の関係で学生時代に自動車やオートバイに乗ったことがあったが軍に入ってからはそのような経験は無い。するとスガイヤがふと会話を変えた。
「そういえばドク王国はどうなのかね? 彼らは戦局を有利に進めているのかね? 」
その言葉を聞いてサ・ガンがカイトを見た。カイトはスガイヤにこう言った。
「有利に進めているという情報もあればそうでもないという情報もあり釈然としておりません」
「……そうか」
三人を再び沈黙が襲った。カイトには海外から入る情報やヤポン王国のドク国駐留武官からの報告なども入ってくるのでサ・ガンは彼に発言を促したのであったがカイトのもつ情報は不確かなものが多かったので彼はそう発言したのであった。するとサ・ガンがこう付け加えた。
「あまり有益な情報が入ってこず申し訳ない」
「私は君と友人として付き合っているのだ。君達が持つ軍の情報を欲しい為に君とこうして酒を酌み交わしている訳ではない。まぁ勿論そういった情報が私の経営判断に役に立つことはあるがね。気にしないでくれ。さぁ飲もう」
三人はその後話題を変えて飲み続けた。レストランの外はしとしとと雨が降り始めていた。




