裏切り
カイトは塹壕の中にオーキの姿を認めると続けてこう叫んだ。
「オーキさん! 高射砲は潰されました! 急いで撤退して下さい! 」
「何だと! 」
「早く! 」
カイトは森林の中を駆け回り皆に撤退の指示を出した。戦車に唯一対抗出来た8.8cm高射砲を沈黙させたものの敵には一気に突入してくる気配がなかった。おそらく他にも砲があるのではないかと警戒しているのであろう。その分激しい砲撃が我が陣地には浴びせられているがこの砲撃が終われば間違いなく敵は陣地に侵入してくる。引き際は今しかなかった。
「カイト少尉! 」
「おぉ! アキヨシ! 生きていたか! 」
森林に掘り巡らされた塹壕からヨロヨロとヤポン軍兵士が這い出して森林の奥に歩いていく。敵の砲火で薙ぎ倒される兵士も多数いたが生きて動ける者は皆その屍の上を歩いて退避していくしかなかった。森林の奥を五百m程進んだ少し高台となっているところに「ゴリョウカク」と名付けられた塹壕がありそこが撤退する兵士の集合地点となっていたのだ。カイトはゴリョウカクに辿り着くとそこに既に待機していた工兵に言った。
「何時でも点火出来るようにしておけ! 」
工兵が「はいっ! 」と返事をする。その後塹壕の中へ次々とヤポン軍兵士がなだれ込んできた。だがその数は二十人もいない。怪我をした箇所を手で押さえたり小銃を杖のようにしたりしながら皆必死でどうにかゴリョウカクに辿り着いたのだ。
「砲火が止んだぞ! 」
塹壕から僅かに頭を出して前方を注視していたオーキがそう叫んだ。それまで8.8cm高射砲が設置されていた付近に盛んに行われていた敵の砲撃が止んだのだ。カイトは首から下げた双眼鏡を覗き込んだ。敵の砲撃のお陰で木々が打ち倒されているのでカイトのいる場所からは敵の動きが良く見える。小雨の中を敵の戦車と兵士達が近づいてくるのが双眼鏡ではっきりと見えた。オーキがカイトの横に来て囁く。
「例の手を使うのか? 」
「はい」
「なるべく敵を引きつけて……な」
「勿論です」
カイトは息を潜めて敵の様子を覗う。するとそこへアキヨシがやってきてこうカイトに尋ねた。
「例の手って何です? 」
「まぁ見てなよ」
カイトはそう答えてポンとアキヨシの肩を叩いた。そうしているうちに敵兵がカイト達のいた森林の中の塹壕陣地付近にどんどん集まってくる。するとカイトが突然工兵に叫んだ。
「点火しろ! 」
「了解ですっ! 」
雷のような大きな爆音と地震かと思わせる程の振動がカイト達を襲った。これがカイト達の言う例の手であった。これはミヒャエルの考案によるものでドク国の潜水艦に積まれていた魚雷を地雷としてヤポン軍陣地手前の荒地に巧妙に仕掛けたのであった。陣地撤退後に侵攻してきた敵兵に大きなダメージを与えようというもので敵はまんまとこの罠にはまった。敵兵の泣き喚く声がカイト達の耳に響く。それに加えて動いている敵戦車は一台もいない。どうやら魚雷の爆発で全ての敵戦車が何らかのダメージを受けたようであった。それを見てカイトはこう呟いた。
「魚雷の爆発というのは……凄まじいものだな」
「あれを喰らえば戦艦でも沈没するんですからね」
オーキがそう答えた。するとアキヨシがそこに加わる。
「ちょっとはやり返せましたでしょうか? 」
「……あぁ」
カイトはぼんやりとそんな返事をした。やれるだけのことはやって敵にも大きなダメージを与えたという達成感とミヒャエルや他の若い兵士の命を多く散らせてしまったという自責の念がカイトの心に交差する。するとそんなカイトの心を見透かしたかのようにオーキがカイトにこう声を掛けた。
「カイト少尉、あなたは良くやりましたよ。当初の目的通り敵の装甲兵力に大きな損害を与えることが出来たのです。さぁ、一旦ロングーンに戻りましょう」
「……はい」
いつの間にか目に溜まっていた涙を拭いつつカイトは立ち上がった。これからロングーンに戻ってベイ国の本格的な侵攻に備えなければならないのだ。余計なことを考えている暇はない。今回の反撃でどれだけ敵の侵攻を遅らせることが出来たかは分からないがいずれは必ずベイ国はやってくるのだから。カイト達は列を作り小雨の中を南へ歩き始めた。
撤退を開始して翌日の朝にカイト達はロングーンの街に達した。皆疲労困憊でかなりゆっくりなペースではあったが彼らは一人の脱落者も出さず歩き通してきたのだ。ロングーンの街並みが見えた瞬間カイトは涙が出る程嬉しくなり思わずこう呟いた。
「やっと……着いた」
カイトの脳裏にミヒャエルの顔が浮かぶ。生きて帰れたのもミヒャエルのお陰なのだ。カイトは心の中でミヒャエルに礼を言った。するとアキヨシがこう話しかけてきた。
「腹……減りましたね」
「ロングーンの司令部に着けば腹一杯食わして貰えるように頼んでやるよ」
カイトはそう言って笑った。カイト達は皆笑顔になりロングーンの街に続く道を進む。すると道の脇にヤポン軍の検問施設が見えてきた。検問施設といっても安っぽいゲートと掘っ立て小屋があるだけだがカイト達はその小屋へ立ち寄った。だがいつもそこにいる筈のヤポン軍兵士が一人もいなかった。検問施設が無人など普通ではあり得ないことであった。アキヨシがカイトにこう言った。
「何かあったのでしょうか? 」
「……分からん」
暫く考えてカイトはこう言った。
「敵が既にロングーンへ侵攻したのだろうか? 」
「今までのベイ国の攻撃のやり方を考えるとまず砲撃や航空機による爆撃を行う筈です。もうロングーンまで1kmもないのに爆発音が聞こえたことは一度もないし煙も上がっていない。まだ侵攻まではしていないでしょう」
カイトの発言を受けてオーキがそう言った。するとアキヨシが冗談ぽくこう付け加えた。
「とにかく行ってみましょうよ。当番の兵士がサボっているだけかもしれませんし。何せ腹が減りました」
「取り敢えず……進むか」
「そうしましょう」
カイト達はまた歩き始めた。だが戦闘を思わせるような気配は一切感じられない。雨季にしては珍しく小雨だった空に晴れ間が広がってきた。カイト達は敵の航空機の接近を警戒しつつ道を進む。すると前方の道の脇に小さな小屋があってその前に一人の男が立っているのが見えた。色が黒く背が高い男だ。カイトとアキヨシはその男に見覚えがあった。
「アキヨシ、あいつって……」
「ムルアカですよ! 」
その男はムルアカと言いヒルマン独立義勇軍の副官を務めている男だった。アキヨシが「おーい! 」と大きな声を出して手を振るとムルアカも笑顔で手を振り返してくる。その笑顔にカイト達は癒やされた。だがムルアカが小屋の前で一人でぽつんと立っているのがカイトにとっては不思議だった。「何をしているのだろう? 」とカイトは思った。
「ヘーイ! ミスターカイト! 」
ムルアカが笑顔でカイトをそう呼ぶ。カイト達はムルアカの立つところまで歩いていった。だがカイト達がムルアカの立つ場所まで10m程まで近づいた時突然それまでにこにことしていたムルアカの表情が真顔になった。それと同時にムルアカの背後にあった小屋の陰からヒルマンの兵士が数十人銃を構えて飛び出してきた。彼らはカイト達に銃を向けている。
「これはどういうことだ!? 」
顔をしかめたカイトがそうムルアカに叫ぶ。するとムルアカはこう言った。
「我々はヤポン軍にはもう協力しない。我々はベイ国と手を握ることにした」
「何だと!? 」
「君達が劣勢なことはもう知っている。負けている君達と手を組んでいてもヒルマンは独立出来ない。我々は強いベイ国に協力することにした。ベイ国はヤポンを追い払えるのなら独立の後押しをすると言ってくれている」
ムルアカの言葉を聞いてカイトは抑えがたい怒りを感じたがそれと同じ位に絶望も感じざるを得なかった。もはやロングーンにカイト達の居場所はないのだ。




