愛と使命感の間で
ロングーンの街中をカイトは自転車で走る。商店街では多くの人々が行き来して買物をしたり路上でお喋りを楽しんだりしていた。カイトはそんな人々の脇をすり抜けつつスガイヤの家に通じる石畳の路の上を駆け抜けた。
「ごめんください!」
カイトはスガイヤの家の門を叩いた。腕時計を見ると時刻は七時半を回っている。少し遅い時間の訪問となってしまったが明日になればカイトはもうロングーンにはいない。最前線に向かって8.8cm高射砲と共に出発してしまうのだ。カイトがスガイヤの家に来れるのは今日しかなくヤポン軍の劣勢が書き綴ってあるサ・ガンの手紙をスガイヤに持って行く用事を頼んでくれたサ・ガンの優しさにカイトは今更ながらに気付き、そして感謝した。
「どなた様ですか? 」
門の小窓が開けられた瞬間にそう声がした。その声はマリィのそれに違いなかった。
「カイトです」
「えっ!? 」
ガチャガチャと鍵を外す音がした後に門が開いた。するとそこには白いワンピースを着たマリィが既に目を赤らめて立っていた。マリィはこう声を絞り出した。
「カイトさん……よくご無事で……」
「えぇ、元気ですよ」
「良かった……」
マリィはしくしくと泣き始めた。たまたまハンカチも持っていなかったようで手で溢れる涙を拭っている。その様子を見ていたカイトは自分も貰い泣きしそうになったがどうにか堪えると笑顔を作ってこう言った。
「……泣き虫ですね」
「もう! 馬鹿! 」
マリィは涙ながらにそう声を荒げるとカイトの胸に顔を埋めた。マリィの良い匂いがカイトを包む。その大胆な行動にカイトはドキリとしたが彼女は衝動的にそのような行動を取ってしまう程自分の身を案じてくれていたのだ。カイトはマリィの頭に右手をポンと優しく置き左手は彼女の背中に回して優しく抱擁した。
「会いたかった……」
「私もです」
マリィが頭をカイトの胸から離して二人は暫くの間見つめ合った。恋愛経験の無いカイトは女性を抱擁することがこれほど心を温かい気持ちにさせてくれることをこの時初めて知った。
「あたし、あなたにもう戦場に行ってほしくない」
マリィは涙ながらにそう言った。彼女は思ったことをいつもはっきりと言う。カイトは苦笑いしながらこう答えた。
「前約束したでしょ? 必ず生きて戻ってきますって。次もちゃんと戻ってきますから」
マリィは目を逸らして口を尖らせている。あの激しい戦闘で生き残れたことが奇跡なのだがカイトは戦場で自分が体験した恐怖は一切彼女の前では口にしなかった。
「今日は……どうされたのです? 」
「お父様宛のサ・ガン中将からの手紙を預かってきました。お父様はいらっしゃいますか? 」
「父はまだ帰ってきておりません」
「ではこれをお父様にお渡し下さい」
カイトはそう言って上着の内ポケットからサ・ガンの封筒を取り出すとマリィに渡そうとした。だがマリィはまたカイトの胸に横顔を押し付けると封筒を受け取ろうとしない。
「マリィさん? 」
「……だって、その封筒を受け取ったらカイトさんは帰ってしまうもの」
マリィの言葉にカイトは嬉しくもまた泣きそうになった。次に生きて会えるという保証はどこにもない。全ての任務を放棄してこのままマリィといられたらどんなに幸せだろうとカイトは思った。だが勿論そんなことは出来ない。人間は常に自分の義務を果たさなければならないという考えをカイトは持っていた。
「マリィさん、また来ますから。約束しましょう」
二人は小指を絡めて指切りげんまんをした。マリィは渋々だったがそれでも漸く涙は止まりほんのりと笑顔を見せるようになってくれた。カイトはそんなマリィにこう付け加えた。
「今後は何が起きるか分かりません。危険なのは我々軍人だけではないのです。用心して下さい」
「……そうなのですか?」
マリィは少し不安な表情になったがすぐに再び口を尖らせてこう言った。
「あたしは……大丈夫ですもの」
「私もこう見えて意外とタフですから大丈夫ですよ。そうそう、約束に一つ追加しましょう。二人共生きる努力を絶対怠らないこと、良いですね?」
「……当たり前です」
「絶対ですよ」
二人は再び指切りげんまんをした。そして今度はお互いがお互いの身体を強く抱きしめた。
「ではまた」
カイトは短くそう言うとサ・ガンの封筒をマリィの手に無理矢理握らせてマリィに背を向けると慌ててその場を離れた。背中越しにマリィが叫ぶ。
「絶対帰ってきて!」
本当はUターンしてもう一度マリィを抱きしめたかった。だがそんなことをしてもきりがない。カイトは後ろ髪を引かれつつマリィに背を向けたまま黙って右手を軽く上げるとそのまま自転車のサドルを跨いでペダルを漕ぎ始めた。




