1 聖騎士アルゴス
アルゴスは、王都を離れた北の地にある伯爵家の三男として生まれた。長男は家督を継ぎ、次男は政の世界へ進むのが習わし。彼に残された道は、騎士となることだった。しかし、アルゴスはただの騎士を目指したわけではない。彼は、この国で最も清廉潔白な存在と称される聖騎士団への入団を心から望んでいた。
彼の性格は、一言で言えば「真面目」と「実直」。嘘を嫌い、不正を許さず、常に正しい道を選ぼうと努めた。それは、彼が深く信仰する女神イリアスの教えそのものだった。女神イリアスは、この国の守護神であり、その教えは「真実と正義」。国民の誰もが彼女の慈悲を信じ、その教えに従って生きることを善としていた。聖騎士団は、その女神イリアスに直接仕える、いわば信仰の象徴だ。彼らは国の秩序を守るだけでなく、信仰の純粋さを保つ役割も担っていた。
アルゴスの信仰の根源は、幼少期の経験にある。 伯爵家で育った彼は、常に「正しい行いをすれば、必ず報われる」と教えられた。例えば、幼い頃の教育だ。彼は手伝いを完璧に終えた日、母から褒美の菓子をもらった。一度でも雑な仕事をすると、褒美はもらえない。この「行いと報いの確実な因果律」が、彼の信仰の雛形となった。騎士になってからも、その信仰は変わらない。訓練で努力した分だけ剣技は向上し、任務を完璧にこなせば評価される。
彼の信仰は、「真実と正義に従えば、必ずこの世界は正しい結果をもたらす」という、極めて単純で具体的で確実性の高い契約の上に成り立っていた。だからこそ、彼は騎士団内の些細な不正すら許せなかった。それは、彼の信じる世界の秩序を揺るがす、致命的な亀裂に思えたからだ。
だが、騎士団でのアルゴスの評価は、「実直だが、融通が利かない」というものだった。訓練では誰よりも真剣に取り組み、任務は完璧にこなす。しかし、上官や同僚が多少の不正に目をつぶるような場面でも、彼は決して妥協しなかった。その姿勢は、周りから敬意を払われる一方で、どこか煙たがられることもあった。
ある日、アルゴスは、いつものように剣の訓練を終え、汗を拭っていた。そこに、副団長が険しい顔でやってきた。
「アルゴス。お前に任務を命じる」
副団長の言葉に、アルゴスは背筋を伸ばした。それは、かねてより彼が望んでいた騎士団からイリアス聖騎士団への、転団試験を兼ねた任務だった。
「偽の聖女を捕らえよ」
その少女は、この数年、各地で奇跡を起こし、人々の心を掴んでいた。彼女の噂は王都にまで届くほどだった。だが、彼女に聖なる力はなく、人々を騙す詐欺師であるという情報が、騎士団には寄せられていた。女神イリアスの名を騙り、奇跡をたばかり、金銭を巻き上げているというのだ。
アルゴスの心は震えた。聖女を名乗る偽聖女を捕らえること。それは、彼の信仰に深く関わることだった。彼にとって最も重要なのは、女神イリアスの教えを守り、真実と正義を示すことだったからだ。
「承知いたしました。必ずや、その偽りを暴き、正義を遂行してまいります」
アルゴスは力強く答えた。彼はこの任務を、イリアス聖騎士団への道だけでなく、自身の信仰の真価を問う試練だと心に刻んだ。彼の実直さと信仰が、試される時が来たのだ。
※
偽りの聖女シレネの捜索を開始したアルゴスの心は、奇妙な焦りで満ちていた。何が彼をそこまで駆り立てるのか。それは、ただ、女神イリアスの教えを守りたいという、純粋な思いである。彼の信じる「真実と正義」が、この国の秩序を保つ唯一の剣だと固く信じていた。
彼は、彼女を捕らえるべく、噂を頼りに捜索を続けた。しかし、彼女はいつも一足早く、次の村へと旅立っていた。まるで、アルゴスの動きを読んでいるかのように、彼の「清廉潔白」な追跡は、ことごとく空振りに終わった。
「くそっ、また間に合わなかったか!」
アルゴスの追跡が難航した最大の原因は、騙されてた被害者であるはずの、民の壁だった。
彼は行く先々で、シレネの「奇跡」によって救われたと信じる人々に出会った。彼らは、病から回復し、飢餓から逃れられたのは、シレネのおかげだと盲目的に信じていた。アルゴスがシレネの居場所を尋ねると、人々は口を閉ざすか、あるいは偽りの情報を与えて彼をあらぬ方向へ誘導したのだ。
「聖女様は、昨夜、西の山を越えられましたよ」と、悪意なく嘘をつく農夫。
「いえ、聖女様は東の森で傷病兵を癒やしておいでです」と、騎士の目をそらすために真顔で答える物乞い。
アルゴスは偽聖女をかばう彼らの行動に翻弄された。
「馬鹿げている! なぜ神を冒涜する詐欺師を庇うのだ! あの女の言葉に真実などない!」
彼は、副官や部下の騎士たちに八つ当たりにも似た愚痴をこぼした。
「私たちは、真実を守るために剣を振るっている。しかし、民は、その真実を私たちから隠す! 彼らの信仰は、そこまで歪んでしまったのか!」
アルゴスは追跡の傍ら、各地で集会を開いて、女神イリアスの教えを訴えた。
「女神イリアスの教えは、真実と正義を重んじる。女神の慈悲は、そうした人々の清らかな信仰に応えてくださるのだ。偽りの聖女の言葉ではなく、真の信仰の素晴らしさを思い出せ!」
しかし、彼の熱心な説教は、シレネの「奇跡」という具体的な「恩恵」を体験した民衆には響かなかった。
アルゴスは、シレネの奇跡の手口を広めることにした。
「いいか、民よ! あの女の行う奇跡は、聖なるものではない! それは、貴様らの純粋な信仰を食い物にする、単なるまやかしに過ぎないのだ!」
アルゴスは、集まった民衆の前で、シレネの偽りを暴くように、剣の切っ先を天に向けた。
「あの女が与える『聖なる水』とは、ただの井戸水を煮沸しハーブを混ぜたものだ! 病が治ったのは、偽聖女の力ではない! 現に、すべての人々を救えていないではないか! そして、その色鮮やかな『癒やしの水』も、底に仕込まれた染料による、目くらましだ!」
彼は、民衆の動揺を一切無視し、言葉を続けた。
「予言もそうだ! あの女の言葉は、黒とも白とも取れる曖昧な言い回しで、貴様らの心に潜む不安や恐れを巧妙に利用しているにすぎない! 彼女は、神の真実を語っているのではない! 貴様らの心の弱さを語り、貴様らから金を奪うための欺瞞の台本を読んでいるだけだ!」
アルゴスは、シレネの行為を、彼の信じる「真実と正義」への冒涜として、断罪した。
「女神イリアスの教えは『真実と正義』の上に成り立つ! まやかしに頼るな! 真の信仰とは、確かな努力と正しい行いにのみ宿るのだ!」
だが、シレネを偽聖女だと考え直す民衆は、多くはなかった。
※
偽聖女シレネの組織は、アルゴスらの騎士の行動を常に監視し、情報網を使って先手を打ち続けていた。彼らの巧妙な逃走経路によって、アルゴスの追跡は半年以上にわたって頓挫した。
だが、今回ばかりは違った。
「アルゴス様。偽聖女の協力者を捕らえました」
副官の言葉に、アルゴスは驚き、顔を上げた。協力者の名はパルカス。彼は、貴族から巻き上げた寄付金の一部を横領し、組織を裏切り国外へ逃亡する計画を立てていた。彼は、莫大な金銭を持ったまま、単独で国境を目指していたところを騎士団の密偵に抑えられた。
バルガスは拷問にも似た厳しい尋問に対し、すぐに口を割った。彼は、シレネの手口、付き添う協力者のすべてを吐き出し、そして、自らの命を救うため、シレネの次の目的地を告白した。
我々は、パスカルの告白を頼りに先回りし、彼女が通過する予定の山間の街道で待ち伏せをした。
静かな夕暮れ時、馬車が街道の角を曲がってきた。数十名の騎士が馬車を取り囲むと、白い法衣に身を包んだシレネが、馬車から降りた。
シレネは、剣を構える騎士たちを見て、一切の抵抗を見せなかった。 彼女はまるで、それが自分に用意された定められた結末であるかのように、静かに、そして優雅に、騎士たちが動くのを待っていた。
アルゴスは、彼女の前に進み出た。彼の心臓は激しく鼓動していたが、その声は鋼のように冷たかった。
「聖女シレネ。貴様を、偽りの奇跡で人々を欺き、女神イリアスの名を冒涜した罪で逮捕する」
シレネは、アルゴスの言葉に、ただ静かに頷いた。彼女の表情には、後悔の色はなかった。むしろ、その澄んだ瞳の奥には、すべてを見通すような、神秘的な光が宿っているように見えた。まるで、この結末を予期し、あるいは望んでいたかのように。
アルゴスは、彼女の冷たい美しさに一瞬たじろいだが、すぐに剣を収めた。彼にとって、真実と正義が、今、ここに成就した瞬間だった。




