婚約は最短距離で
騎士団が戦の狼煙を上げ……いや、騎士団長フェルナン・タウンゼンドとその婚約者であるジェシカ・ミッドロージアン嬢を全力で見守ると誓うに至った少し前のこと。そう。ジェシカとフェルナンが逢瀬を重ねていた頃に話はもどる。
「どうしよう。次は何を着ていったらいいの?」
三回目のデートを前に、ジェシカは狼狽えていた。着ていく服はどれがいいのかしら?などという乙女な悩みではなく、着ていく服がないという現実的で切実な悩みだ。が、それもその後すぐに解決することになる。
「ジェ、ジェシカ」
例のごとく、〝うひょっ〟と奇妙な声を上げた執事ウォルターから受け取った大きめな箱を開けて、マーカスが腰を抜かしそうになったことは、娘には内緒だ。
「お父様、どうかしました?」
「こ、これを、ジェシカにと……」
大きな箱を前に、訝しげな顔をするジェシカ。
「フェルナン殿からだ」
「え?」
〝フェルナン〟と聞いて一気に体のこわばりが解けたジェシカは、部屋に父を招き入れて箱を開けた。早くも、ジェシカにとってフェルナンという存在は、心を許せるものとなっている。
箱の中には、お出かけ用のドレスと靴が入っていた。
「次のデートで、これを着たジェシカに会えることを楽しみにしている……だそうだ」
添えられていたカードを読み上げたのはマーカスだ。中身を再度見て、ものすごく高級ではないものの決して安物ではない代物に、マーカスは先ほどとは違う意味で驚いていた。
この贈り物からは、フェルナンの本気度が伝わってくる。着るものがないとわかっていて、贈ってきたことや、高級過ぎればジェシカは着ないだろうと理解した上でのこのチョイス。極めつけは、むずがゆいこの手紙。ここまでされて拒否することができようか?いや、できるはずがない。
「まあ、素敵!!」
あたたかな淡いオレンジ色のドレスは、ジェシカによく似合う。ここに宝石までは添えられていないあたり、ジェシカのことをわかった上での思いやりだと、ある意味感心していたマーカス。が、このドレスを着て出かけたデートから帰宅した娘の首元に、初めて見る豪華なネックレスが居座っていたのには大いに驚かされた。
* * *
「ジェシカ、今日は王都を案内しようと思う」
「王都はすごく賑やかなんですってね。楽しみだわ」
自分の贈ったドレスで着飾ったジェシカは、本当に美しかった。それに気をよくしたフェルナンは、馬車に隣り合わせで座り、彼女の小さな手を取って口付けた。
「可愛いジェシカ。君をもっと、私のものにしたい」
真っ赤になったジェシカに満足したフェルナンは、その後暴走した。
到着するまでの間、ずっとジェシカに触れ続けるフェルナン。彼女の髪を掬って口付け、手の甲を撫で、肩を抱き寄せ耳元に口を寄せ……合間に挟むのは彼女の美しさを称賛する言葉と、ほんの少しだけ告げるこの後の予定。フェルナンと打ち解けてきたとはいえ、恋愛経験のないジェシカに、この甘々な攻撃はなかなか刺激が強すぎた。
(う、嬉しいけれど、ドキドキしすぎて心臓が壊れてしまいそうだわ)
嫌じゃない。嫌じゃないけれど、とにかく恥ずかしい。
そうこうしている間に連れてこられたのは、王都の一角にある美しい噴水の広場だった。流れる水は、陽の光を反射して、七色の奇麗な虹を作り出している。辺りには花々が植えられ、時折小鳥が舞い降りる様子には、ここが王都であることを忘れてしまいそうになるほど長閑で美しい。
フェルナンはジェシカをエスコートして、花々の間に置かれたベンチに座らせた。
てっきり彼も隣に座るものだと思っていたジェシカは、フェルナンが突然自分の前にひざまずいたことに心底驚いた。フェルナンは落ち着いた様子で〝ジェシカ〟と囁きながら手を取ると、じっと視線を合わせてきた。
その瞬間、ジェシカには鳥のさえずりも噴水の音も、何も耳に入ってこなかった。咲きほこる花々も水に映し出された虹も、一つも視界に入らない。
まるで、この世界には自分とフェルナンしかいないような錯覚に陥っていた。
「ジェシカ・ミッドロージアン」
そのかしこまった声音に、さすがのジェシカもフェルナンがしようとしていることを察した。今までにないほどドクドクと強く速く打ち付けてくる胸が苦しかったけれど、ここは一言も聞き漏らしてはいけないと、瞬きも忘れて一心にフェルナンを見つめた。
「は、はい」
「私はあなたの明るさ、優しさ、聡明さに、どうしようもなく惹かれてしまった。一緒に過ごす時間は何時でも楽しく、あなたへの愛しさは募るばかり。一日を共に過ごしたというのに、別れた途端にまた会いたくなる。あなたのことばかり考えて、苦しくなるほど」
(私と同じだわ。大人なフェルナン様ですら、同じ気持ちになっていたなんて……)
頬を赤らめ、気恥ずかしさから俯きそうになるのをぐっとこらえたジェシカは、わずかに潤んだ瞳で一心にフェルナンを見つめ続けた。
「ジェシカ。私はあなたのことを、誰よりも何よりも愛している。一生、あなただけを愛し、守ると誓う。どうか私の求婚を受け入れてくれないだろうか?」
ジェシカの頭の中から、弟妹や領地のことといった懸念事項は一切なくなっていた。あれほど条件の良いお相手をとオリヴァーに言われて、渋々ながらにも従ってきたのに、そんなことも全て頭にはなかった。
あるのはただただ〝嬉しい〟という気持ちと、自分もフェルナンを愛しているということだけ。
「はい。よろしくお願いします」
やっとの思いで告げた言葉は、ややかすれ気味の声で小さかったものの、目の前のフェルナンにはしっかり伝わった。がばりと抱きすくめるその逞しい背中に、自分もそっと手を添えた。
(恥ずかしいけれど……フェルナン様に抱きしめられると、なんだかホッとするわ)
やがて、フェルナンはそっと体を放すと、流れるような仕草でジェシカの顎を掬い、その苺のように赤く熟れた小さな唇に自身のそれを重ねた。
ポーッとしたままのジェシカにくすりと笑いをこぼしたフェルナンは、彼女が呆けているうちにと王都でも有名な宝飾店に連れ込んだ。そこであらかじめ頼んでおいた指輪をジェシカに贈った。さすがにサイズまではわからなかったため、直しが必要でその日のうちには受け取れず。代わりにと、自分の瞳の色に近いマンダリンガーネットを中心に据えた、豪華なネックレスを購入し、ジェシカの正気がもどりきる前にその白くほっそりとした首につけてしまった。〝次の夜会にこれをつけて一緒に参加して欲しい〟という言葉を添えて。
もちろん、フェルナンは指輪の直しが必要なことも想定していたし、それは代わりのものを贈るための口実でもあった。
フェルナンは、その日は先に約束していなかったことと、彼にとっては一番手ごわい相手であるオリヴァーが不在だということで、ミッドロージアン邸へ上がることは控えた。だが、そこでも一言、〝後日、改めて挨拶に伺わせてもらう〟と添えることも忘れなかった。決して、マーカスに許しを請うようなものではない。もはや、事実上の婚約宣言だ。
かくしてその数日後、正装姿のフェルナンはミッドロージアン邸を訪れ、少しの反対の声も上がらせないまま、ジェシカと婚約を結ぶことに成功したのだった。
* * *
「もう少し、一緒にいたい」
マーカスらへの挨拶を終えた後、そう切なげにフェルナンに囁かれたジェシカは、一も二もなく頷き、そのまま王都へ向かった。最初に訪れたのは、数日前フェルナンがプロポーズしてくれた噴水の広場だった。ベンチに並んで座り、水遊びする小鳥を見つめていると、その長閑な様子にジェシカの浮ついていた心も次第に落ち着いていった。
「こうやって、ずっとずっと穏やかに暮らしていきたいわ」
思わず漏らしたジェシカの言葉に、フェルナンが頷いて返す。
「そうだな。だが、それだけで終わらないのがジェシカだ。これからも一緒に釣りに行きたいし、ピクニックにも行きたい。田舎でこっそり木登りも……」
「もう!!」
茶化し始めたフェルナンを、ジェシカが遮る。
「ははは。それに……そうだな。一緒に馬にも乗りたい」
「馬?私、大丈夫かしら?」
乗馬が苦手なジェシカは、わずかに表情を強張らせた。それをなだめるように、フェルナンは彼女を抱き寄せて優しく髪をなでた。
「ああ。私が付いている。馬に乗れれば一緒に遠乗りもできる。まだ行ったことのない土地にも行けるな」
「ふふふ。やりたいことがいっぱいね。時間が足りるかしら?」
「そうだな。だから、少しでも早く一緒になりたい」
熱に浮かされたような掠れた声になったフェルナンに、ジェシカはぶるりと体を震わせた。
「ジェシカ、手を」
さっとジェシカの手を掬い取ったフェルナンは、いつの間にか持っていた指輪を、そっとジェシカの指にはめた。
「よく似合っている」
「あ、ありがとう」
豪華すぎる指輪に気後れしそうになっていたジェシカだったが、拒むことはしなかった。
この人が自分がいいと言ってくれて、私に似合うと用意してくれた指輪だ。拒めるわけがない。
その後、カフェで過ごしていたところを、まさかフェルナンの部下に見られているとは思わなかったが、二人は終始仲睦まじく幸せな時間を過ごしていた。




