初めてのデート 2
「ジェシカ、今日はどうだった?」
夕方それほど遅くない時間に、フェルナンはジェシカを自宅に送り届けた。しきりに上がっていくように勧めるマーカスに、フェルナンは〝近いうちにきちんとした形で伺わせてください。今日は彼女も疲れているでしょうから、早めに休ませてあげてください〟と帰っていった。満足そうなフェルナンに対して、ジェシカはというと、どことなくふわふわとしているようだと、マーカスはいぶかしんでいた。
「た、楽しかったわよ」
娘は確かに楽しんできたようだけれども、どこか落ち着きがない。紳士であると有名なフェルナンのこと。まだ婚約すら結んでいないジェシカに、まさか手を出すようなことはしていないと思うが……。
しかし、目の前の娘の様子は、やはりなんとなくおかしい。
「魚を釣ったの。たくさん釣れたし、その場で調理もしてもらったわ」
「そうか」
(うん。それは予定通りのことだ)
自然の中ですごすことが好きなジェシカなら嬉々として釣っていたことだろうと、マーカスはその姿を想像した。
「サンドウィッチも言っていた通り、ハムがすごく美味しくて」
おそらく味を思い出しているのだろう。謎のふわふわ感だけでなくてうっとりとした顔になったジェシカに、マーカスは恐る恐る質問をする。
「その後は、どうすごしたのかい?」
なんだか聞くのが怖くなるが、父親として聞かないわけにはいかない。
「その後……」
わずかに思案したジェシカは、そわそわし出した。
「な、なにか、あったのかい?」
娘が答えるまでの沈黙に、マーカスもそわそわとしていた。
「フェルナン様って、大きいのね」
(な、なにがあったんだ……)
フェルナンがずいぶん大柄なことは、もとよりわかっていること。それをわざわざ言葉にした娘の真意が読めず、マーカスは顔をひきつらせた。
「それに……フェルナン様は温かいわ」
(何が!?)
温かいと言えば、手をつないだということだろうか?
うん。それぐらいならもちろん、許容範囲だ。
「優しくしてくださいました」
(だから、何をだ!?)
もちろん、二人が訪れたのは公共の場だ。手をつなぐぐらいならともかく、それ以上変な……不埒なふれあいはしていないはずだとわかっている。いや、願っている。
けれど、この意味深な言い回しはなんなのだ。
これが母親だったら、もっとうまく聞き出せていただろう。しかし、異性の自分ではなかなか聞き出せそうにもない。まして、オリヴァーに任せられるはずもない。
「そ、そうか。なにか……へ、変なことはなかったかい?」
自分で言っておきながら実にあいまいな言い回しだと、マーカスは焦れ、内心うなだれてもいた。
「変なこと、ですか?うーん……特にはなかったと思いますけど」
「そ、そうか」
結局、マーカスには詳細を聞き出すことができなかった。
* * *
夕飯と湯あみを済ませると、さすがに疲れていたジェシカはベッドにダイブした。枕に顔を押し付けて目を閉じると、浮かんでくるのはフェルナンと過ごした時間ばかり。
ランチを食べるまでは、何のことのない友人同士のお出かけだった。
きっかけはなんだっただろうか……サンドウィッチを頬張っていると、フェルナンが横から手を伸ばしてきて、顔にかかっていたジェシカの横髪をそっと避けて耳にかけてくれた。不意打ちのことに一瞬ドキリとしたジェシカだったが、そこはすぐに持ち直した。
「ジェシカ、これも美味しそうだぞ。食べてみるといい」
そう言って差し出されたのはジェシカが見たこともないもので、フルーツとクリームがたっぷりと挟まれたサンドウィッチだった。
「スイーツみたい!!」
甘いものが大好きなジェシカは、フェルナンが自分の口元に近付けてきたそれを、何の迷いもなくパクリと一口かじった。もちろんこの時点でフェルナンに食べさせてもらった……いや、恋人のように〝あーん〟とされていたなどとは意識していなかった。
「美味しい!!」
興奮するジェシカに、〝そんなに美味しいのか。どれ〟と返したフェルナンは、まるで見せつけるようにして彼女の食べかけのサンドウィッチを頬張った。
さすがのジェシカもハッとした。
弟妹となら、幼い頃のよくある光景だった。しかし大人になった今、相手が双子の妹達だったとしてもそんなことはさすがにしない。それが家族以外の、しかも大人の男性が相手だということに、ジェシカの胸がドキリと跳ねた。
「フェ、フェルナン様!?」
「ん?甘いサンドウィッチもいいな」
「そ、そうね……」
ジェシカが何かを意識したことを察知したフェルナンは、ここぞとばかりに攻撃を仕掛けた。
それは食後のこと。
「このまま少し、休憩しようか」
お腹が満たされた中、その意見にジェシカも賛成した。
「ジェシカ、ちょっといいか?」
自分がいいとも悪いとも答える前に、片づけを済ませたフェルナンは隣に座っていたジェシカの足に、自身の頭を乗せて寝転がってしまった。
「!?」
(一体、何が起きているの!?)
膝枕などという経験のないジェシカは、同志とはいえ、自分よりうんと年上の大人の男性であるフェルナンがとった突然の行動に動揺した。
「フェ、フェルナン様?」
「少しだけ、こうさせてくれないか」
ジェシカの胸は痛いほどドキドキしている。けれど、切なげに乞うように見つめられたら頷くことしかできなかった。
(き、きっと、毎日のお仕事で疲れているのね)
騎士団長を務めるフェルナンのこと。今は戦がないとはいえ、夜会の警備だけでなく先日のように各地へ手伝いにも出向いており、疲れもたまっているのだろうと納得した。
事情がわかれば、うるさかった鼓動も次第に落ち着いていく。
(この真っ黒な短髪は、なんだかかたそうだわ)
平常心を取りもどせば、そこは自由奔放なジェシカのこと。フェルナンが自分に背を向けているのをいいことに、あろうことか断りもなく彼の髪に触れた。それはすぐに大胆になり、幼い頃オリヴァーにしていたようにガッツリと頭を撫でていた。
(思ったよりも柔らかいわ)
黒という色のイメージには似つかず、フェルナンの髪は意外と柔らかく、撫でている方もなんだか心地よくなってくる。
頃合いを見計らったフェルナンは、突然ぐるりと体の向きを変えた。驚いたジェシカはとっさに手を止めて、大きく目を見開いた。
「ご、ごめんなさい。休めなかったかしら」
(勝手に髪に触るだなんて……)
しゅんとしかけたジェシカの手を、フェルナンが掴んだ。
「すごく、心地よかった」
再び頭に手を導かれたということは、もっとしろということなのだろうか。
優しげでトロリととろけたようなフェルナンの表情に、何とも言えない愛しさが湧き起こったジェシカは、ドキドキしながら彼の髪に触れ続けた。
目を閉じてしまったフェルナンを見て、ジェシカはさらに彼の頭を撫でていく。そっと前髪に触れた時、額にうっすらと残る傷跡を見つけて思わず顔を近付けた。
(これは、戦の時のものかしら)
よく見れば、衣類から除く首元や腕に、小さな傷がいくつも見られる。おそらく、服の下にはもっとあるのだろう。
(フェルナン様は、この国のために体を張ってこられたのね)
そう思うと、そこには同志とは違う、尊敬の念が沸き起こってきた。
フェルナンを間近で見つめながら髪を撫でていると、しばらくして彼は突然目を開けた。そのまま何を思ったのか、その大きくて逞しい腕を伸ばしてジェシカに巻き付けてしまった。
「!?」
(ど、どういうことかしら?)
突然のことにパニックを起こしたジェシカだったが、フェルナンの方は何も言ってこない。
(ど、どうしたらいいの?)
とりあえず、ジェシカの手はフェルナンの頭を撫で続けている。
そのままジェシカの腹に顔を埋めていたフェルナンは、その後あろうことかぐりぐりと額を擦り付け出した。それにはさすがにジェシカの手も動きを止めた。
「ああ、悪い。寝ぼけてしまったかな」
オリヴァーがいたら、すかさず温度のない冷たい口調で言ったはずだ。〝嘘をつくな〟と。ついでに、底冷えするような鋭い視線付きで。
「ね、眠っていらしたの?」
「ああ。ジェシカは柔らかくてよい香りがするから、つい寝てしまったようだ」
「そ、そう」
それなら仕方がないわと、よくわからないまま無理やり納得したジェシカ。それからは抱き着かれたままだったものの、額を擦り付けてくるわけでもなくひとまず安心して、再びフェルナンの髪に触れていた。
(足が痺れてしまいそうだわ。でも……こうしていると、なんだか温かくてホッとする)
幼い頃、母のいない寂しさを紛らすためにオリヴァーや双子達とくっついて過ごしたことをジェシカは思い出していた。
(あの時も、お互いの温かさに無性に安心していたものだわ)
比べる対象としてはあまりにもかけ離れている。けれど、自身の足に感じる重みと温かさに、ジェシカは幸せな気分になっていた。
ほどなくして目を開けたフェルナンは、特に何もなかったかのように平然としていた。
「ありがとう、ジェシカ。心地よかった」
そして、なんとも甘い顔を見せて、さらに仕掛けてきた。
「お返しだ」
と言うが否やジェシカをぐっと抱き寄せると、自身の足を枕にするようにジェシカを導いた。
「フェ、フェルナン様!?」
ジェシカは、再びうるさくなった胸元をぐっと抑えた。名前を呼んではみたものの、フェルナンからの返答はない。
それどころか、さっきまでジェシカがしていたように、フェルナンが髪を撫で始めた。それが思いの外心地よくて、次第に緊張がほぐれていったジェシカは、無防備にも目を閉じてしまった。
このままでは本当に寝てしまいそうだと思い始めた頃、フェルナンが口を開いた。
「ジェシカの髪は、すごく奇麗だな。いつまでも触っていられる」
「え?」
思わず目を開けたジェシカの視界に飛び込んできたのは、自分の髪を一筋掬ったフェルナンが、目を閉じてそっと口付けするところだった。
「なっ!!」
ちらりと向けられた流し目は、それはもう大人の色気満載で、恥ずかしくて直視できないほどだった。
(か、顔が、熱いわ)
ジェシカは真っ赤になった頬に手を当てて、必死に落ち着こうとしていた。
フェルナンは、恥ずかしがるジェシカを見て満足していた。
やっと自分が異性だということに気付いてくれたと。




