デートの誘いとは 2
「父上、入りますよ」
「ああ」
マーカスの執務室に、オリヴァーが来た。学校に通うオリヴァーは、その移動だけでもかなり時間がかかってしまう上に、帰宅後も出された課題をこなさなければならず、忙しくしている。少しばかり心苦しく思いつつも、マーカスは息子を呼び出していた。
入室してすぐ、若干青ざめている父に気付いたオリヴァーは、心配そうな顔をした。
「どうかされましたか?」
「ああ、オリヴァー。ちょっと座ろうか」
父から手渡された白い封筒を、オリヴァーはじっと見た。そして裏返して差出人を見た時、彼の形の良い眉は、片方だけひゅっと器用に上がった。
「本気か」
オリヴァーがぼそりとこぼした独り言に、マーカスは心の中で〝そう思うよな〟と同意していた。
「父上。これはどういうことか……聞くまでもないことはわかっていますが、父上の捉え方を教えてください」
賢いオリヴァーのこと。ジェシカとは違って、手紙を送ってきたフェルナンの意図は正確に理解していた。しかし、聞かずにはいられなかった。
「これは、まぎれもなく求婚につながる誘い、なのだろうね。私宛の方には、ジェシカの意思に沿わない話の進め方はしてくれるなとある。つまりジェシカの意思を尊重し、あの子の望まない縁談は進めるなということだね。今後は夜会の参加も考えないとね。毎回フェルナン殿にお知らせする必要があるだろう」
「やはり、そうですよね。しかも、僕にまでやんわりと釘を刺している」
この話を――正確には、まだ何も申し込まれたわけではないが――受けるかどうかは別として、自分達よりも身分も高い、しかも陛下の覚えの明るい騎士団長からの言葉を無視することはできない。
「ほら、これも」
もう一通手渡された封筒に、オリヴァーは目を細めた。
「姉さん宛て、ですね」
早速中身に目を通していくうちに、オリヴァーの眉間のしわが深くなっていく。
「どう思う?」
「どうもなにも、デートの誘いでしょう。サンドウィッチのハムに魚釣りに、わかりやすい餌までまいて」
「だよね。私もそう思ったよ」
思わずという雰囲気で前のめりになって、ガシリと肩を掴んでくる父に対し、いたって通常モードで〝それ以外に何があるんです?〟と返すオリヴァー。
フェルナンがジェシカに宛てた手紙には、決して恋だの愛だのといった直接的な言葉は、一言も出てこない。けれどこの手紙は、誰がどう見ても好意を寄せる相手をデートに誘っているものだとわかる。
「なんだか聞くのが怖くなりますが、姉さんはこれについてなんと?」
「ジェシカはなあ、これを友人で同志だから遊びに連れていってくれるのだと」
「はあ……」
オリヴァーが盛大なため息を吐くのももっともだ。恋愛経験のない4歳年下の自分でもわかることなのに、なぜあの人は気が付かないのかと。もう少しこういうことに敏感になって欲しいと頭を抱えたくなるオリヴァーに、マーカスは激しく同意した。
「オリヴァーは、フェルナン殿をどう思う?」
「逆に、父上は相手に不満でも?」
こちらからの問いに、自分の意見を見せずに問い返してきた長男に、マーカスは内心感心していた。自分やジェシカにはない貴族らしさが、息子にはあるのだと。
「人柄も家柄も申し分ないお方だ。不満どころか、むしろうちにはもったいないぐらいだよ」
「そうですね。僕もそう思います。あの方に関する悪い噂なんて聞いたことがありませんし、なによりあの方のことを話していた姉さんは、すごく楽しそうです」
その〝楽しそう〟の中に、今はまだ恋愛的な要素などないのかもしれない。けれど、人と人とのことだ。いつ何時、その思いが変化するかはわからない。
「そうだなあ。あれほど夜会で仲良さげな姿を見せていたんだ。彼は本気なのだろう」
夜会でのフェルナンの振舞は、オリヴァーにも話してある。
「おそらく」
「ただ……」
不満はなくとも、不安なことはいくらでも出てくる。
机上の封筒に視線を落としたマーカスは、なんと言ったものかと考えをめぐらせた。
「年の差も大きい」
「そうですね」
父が年齢のことをそこまで不安に思っていないことぐらい、オリヴァーにもわかっている。確かに気にはなるけれど、貴族間の結婚に年の差があることはそう珍しくもない。格上の相手がいいと言っている以上、こちらが心配する話ではないのだ。もちろんジェシカがどう思うのかは、親として大いに重要なことだが。
「ジェシカには、貴族の令嬢として十分な教育ができたのかと言われたら、できたとは言い切れない」
家庭教師をつけてあげられたのは まだ経済的に余裕のあった幼少期だけ。読み書きと算術ぐらいは問題なくできる。ダンスも得意だ。でも、マナーはどうか……はじめての夜会での食べっぷりを思えば、決して十分とは言えない。むしろ問題だらけに思える。
「フェルナン殿ほどの方となれば、王族と接することも多い。そういう付き合いに妻を同伴することも出てくるだろう。そういう局面で、ジェシカがうまく立ち回れるとは到底思えない。それが、あの子を不幸にしかねないと思うと……」
全て親である自分に責任のあることだと、マーカスは自分を責めていた。それではどうすればよかったのか、という答えを持ち合わせているわけでもない。いつでも、こうするのが最善でこうするしかなかったという判断をしてきた。もっと非情になって他人に厳しく接していればまた違ったのかもしれないが、マーカスにはそれができなかった。
「父上。僕は学校で勉強させていただいて、領地の運営のことも少しずつわかってきました。そうした中で、ここミッドロージアンの領地で試してみたい案も抱きつつあります。ですが、そういう想像ができるのは、これまで父上が治めてきた確かな基盤があるからです。苦しい時期もありましたが、父上のしてきたことは間違っていないと確信しています。ここは、領主と領民の間に確かな信頼関係があります。そういう基礎を築いてきた父上を、僕は尊敬しています」
「オリヴァー……」
いつの間にか、父に対して対等に物事を語れるようになった息子の成長に、マーカスは驚くと共に、誇らしくも感じていた。自分よりずっと賢いオリヴァーなら、この地をきっと盛り上げてくれるだろうと、マーカスもまた確信していた。
「姉さんはこの地で、マナーや教養以上に大切なものを身につけてきたと思います」
「ありがとう、オリヴァー。そう言ってもらえると、私も心が軽くなるよ」
「それは良かったです。まあ、姉さんは木登りや狩りなんてものまで身につけてしまいましたがね」
苦笑するオリヴァーに、マーカスも同じように笑い返した。
「ああ、そうだね。それらも、ここでは生きていくのに必要な技術であり知識だ」
「僕はここのところ、姉さんのそういった令嬢らしからぬ姿を無理やり隠そうとしてきました。しかし、それが姉さんを苦しめていたのかもしれません。同じようなことを言われてしまったんです。本来の姉さんらしさを隠して見初められても、その後姉さんは苦しむだけじゃないのかって」
ジェシカ本人もそれを心配していた。
娘の胸の内を聞いて以来、彼女の不利になってしまう部分を隠して見た目だけで相手を見つけてよいものなのかと、マーカスも悩んできた。
「オリヴァー、誰がそれを」
「フェルナン騎士団長に、です。以前夜会で話をした時に、そう言われました」
〝それでもやはり、はしたなさすぎる面は隠させようとしましたが〟と話すオリヴァーの表情を見れば、それも無駄な足掻きだったと思っているのが伝わってくる。そして、ついジェシカに口うるさく言ってしまうのはもはや癖のようなものであって、本気でそれを押し付けたいわけではないということも。
「そうか」
「ですから僕は、そのようにおっしゃっていたフェルナン様自身が姉さんを望んでくださるのなら、反対はありません。もちろん、姉さんの気持ちが第一ですが」
フェルナンはすでに、令嬢らしからぬジェシカの姿を何度か目にしている。おまけにこのデートの誘いも、餌だとはいえ本当に釣りもするのだろう。
そうであるならば……。
彼がジェシカの本来の姿を見てもなお欲しいと望むのなら、あれやこれやと心配する必要などないのではと思えてくる。
「私も、オリヴァーと同じ意見だ」
果たしてジェシカはどのような答えを出すのだろうか。
父と弟は、彼女がどのような判断をしようとも、本人の意思を尊重して受け入れようと心に決めた。




