六話
料理人――コック。
宮仕えを示す金鷹の紋章ブローチをコック帽に貼り付けた、恰幅の良い男がそこに居る。
料理人としての戦闘服を着たまま、包丁を手に持って女子更衣室に急に現れた場違いな人物に、その場の全員が凍りつく。
騒ぎを聞きつけ、非戦闘員であるにも関わらず駆けつけた勇敢な男……
好意的に見ればその理屈もあり得そうだが。
否。
ただ一人、ロイ・マスタングだけが皆があっけに取られ言葉を失ってる最中。
「人間……じゃ、ないな」と、広がった静寂を貫く。
瞬間でククリカに戦慄が走った。
メイドだけでなく、金鷹ブローチを叙勲された宮廷コックにまで魔王の手が伸びている?
目に見える以上に、この王国は危機に瀕しているのかもしれない。
大魔導士がそんな逡巡を繰り返すのも束の間。
「ごあぁああぁっーーっ!」
コックが吠える。
その声は人間のようでいて獣の様でもあった。そんな獰猛な何かを即座に感じさせるほど、女子更衣室の空間を咆哮が揺らす。
瞬間で、人の形だったコックの身体が変容していく。
「くそっ! ニャームゥ!」
ククリカは近くの弟子の手を強引に引いて、緊急で後方へと飛び退る。
その刹那。
虫の羽音みたいな鈍い擦過音が鳴り、ククリカとニャームゥがそれまで居た場所の床を数十に斬り刻む。
そして破砕音とともに木端が宙に浮いた。
師匠と弟子の二人は勢い余って数メートルを転がるが、身体を刻まれた形跡は無い。
即座にククリカは膝をつき体勢を整えるが。そこでコックだった者の、その変わり果て、一目見て人ではないと分かる異形の姿形を視界に捉える。
例えるなら、ささくれだった枯れ木だろう。
かろうじてシルエットとして手足を残しているから、逆光なら人に見えなくもない。が、その程度の造形だ。
「素粒子結界っ!」
力ある言葉と同時にククリカは魔導を構築。
無数の次元素子が一糸の乱れもなく線対称を描いて、元コックとククリカとの間を埋めていく。
必至の魔導結界。
だが、
元コックは素早くその場を跳躍し、天井へとへばり付いた。
それは正解だ。
魔導士と相対すれば、結界内にいかに居ないか。
必殺必中の間合いを避けようと動くのは当たり前である。
一進一退。
それゆえ魔導士の格は、いかに己の魔導結界を、瞬時にどのくらい広げられるかで決まってしまう。
今のククリカはニャームゥの保護を優先したからこそ範囲を狭めた。
敢えて。
相手に距離を取らせる様に仕向ける結界を張ったのだ。
天井にどうやって張り付いているのか。元コックの両手には依然として二振りの牛刀は握られている。
それを握る腕が再び不快な擦過音を出して、砂漠の蜃気楼かのようにブレた。
「きしゃあーーーーっ!」と、枯れ木が声にならない声を発す。
ククリカは何かしらの攻撃がやってくると身構える。それと同時に近くのニャームゥを右手で抱き寄せ敵の射線上から外した。
が、
その瞬間。
間をロイ・マスタングが割って入った。
目にも止まらぬ速度で、天井に張り付く元コックに体当たりをブチかましたのだ。
「ぎゃぎゃぎゃーっ――」と苦痛そうに悲鳴らしきものをあげるコック。
相当な勢いでロイは突っ込んだらしく、勢いそのままに天井を割りながら壁際へ激突。
枯れ木の元コックはへしゃげる様な格好で壁にめり込んだ。
しかし、枯れ木もここで反撃にでる。
両手の牛刀を唸らせ、耳障りな擦過音が再び。
ギンギンギンギンギンッ――と、何かの金属同士がぶつかり合う様な音に変わる。
ロイは宙に浮いたまま応戦しているらしかったが(どう浮遊しているのかククリカには分からない)、その剣捌きは双方ともに早すぎて、常人には両腕が残像を残して無くなっている様に見えるだろう。
元コックとロイは、壁際の天井付近で目にも見えない剣戟の応酬を繰り広げる。
弾かれたと思わしき剣閃が、ロイとコックを中心に、あたりの壁や木棚に深い斬り跡を残していく。
ククリカはその様に息を呑み、ただただ傍観するしかなかった。
ニャームゥも同様に、目の前で起こっている事が信じられないのか、握った師匠の腕をさらに強く掴みロイを凝視する。
一体、何十合、何百合の斬り合いが行われたのか。
ギンッ。
ロイが右手の黒い剣を弾き飛ばされた。
手を離れた黒い剣は即座に虚空に消えて無くなってしまうが、ロイはそれを全く意に介さず、残った左手の黒い剣で元コックの首元を深々と突き刺す。
「ぎょぎゃっーー」
断末魔に近い汚い声が響く。
けれども絶命には至ってはいないだろう。
見ると元コックの両手にはすでに牛刀はなく、むしろ腕だと思われる部分の、その半分くらいをすでに失っていた。
ロイは突き刺した黒い剣の柄を離し、左手で元コックの枯れ木みたいな頭部(だと思われる)を掴む。
そしてなんの躊躇もなく、もぎり取った。
ぶちぶちと、枯れ木とは思えない音を出して、胴と頭が分断される。
それでも胴体の方はまだジタバタと動いているのだから、魔王の配下の生命力は恐ろしい。
ロイはそんな元コックになんの感情も感想もないらしく、無言で胴体に右手を当てて押し込んだ。
すると突如、次元の裂け目がコックの背後に、建物などを無視して現れた。
まるでゴミでも放り込むように、ロイは枯れ木の元コック――金鷹ブローチを叙勲された夕暮れ亭の料理人を、静かに次元の裂け目の中に送り込む。
それから音もなく次元の裂け目は、通常の空間に戻っていった。
そこに居たはずの元コックの姿は何処にも見当たらない。
ククリカはなるほどと思う。
次元の狭間から出てこれたのだ。再びその狭間に何かを送り込むのは容易いだろう、と。
一瞬の静寂ののち、それを破ったのは生き残った二人のメイドの悲鳴だった。
何が何やら理解できずとも、九死に一生を得たという実感でもあるのだろうか。
ニャームゥはククリカの太ももあたりにしがみつき、ガタガタ震え、ロイを見つめる。
ロイはといえば、軽く体のほこりを払い、少しのため息をついたあと。
未だ半裸状態のメイド達を、二度見三度見。
四度見。
視線を逸らしつつも、目で追っているのがククリカには分かってしまう。
私、見てませんけどぉ〜? みたいな、まんざらでもないスケベ顔のロイに殺意を覚えるが。
大魔導士は堪えた。
今はそれよりも、優先してやらねばいけない事が多すぎる。
早急に、王宮内にいる全員を調べなければ。よもや、国王がすでに魔王の配下にすげ変わっている。そんな可能性すら視野に入れないといけない。
頭が酷く痛んだが。
敢えてポジティブな事柄を一つ。あげるとするならば、
図らずもニャームゥが、ロイの異常性を目の当たりにして恐怖を覚えた事だろうか。
可愛い可愛い弟子で、自身最後の弟子と決めている。
そんな愛弟子が、あの変態から遠ざかるための事実を積み重ねられるのは、ククリカにとって大いに喜ばしい事だった。
「……ふぅ、ニャームゥ。至急国王に謁見をするための段取りを組む。頼めるか?」
「お、お師匠ぉ」と、褐色の金髪少女は不安そうな瞳をククリカに送るが。
それはそれとして、言いたい事を飲み込んでこくんと頷く。
ククリカはにっこりと微笑み、ニャームゥの頭を優しく撫でた。
そして、
「ロイ。お前もついて来い。取り敢えず一旦、私の自室へ帰る。いいな?」
「え、あぁ〜。でも、その……ククリカ様」
ロイは名残惜しそうにチラチラとメイドを見る。
気持ち悪いと思いながらもククリカは、
「ロイ、ここは女子更衣室だ。分かるだろ? 片付けも誰かに頼むから、すぐにここから私と出るんだ。いいな?」
と、語気を強めた。
「……そ、そうでした。確かに。ここは女子更衣室でした。うん、すぐに出ないと、ですよね」
「当たり前だ」
それだけを言ってククリカとニャームゥは歩き出す。
ロイは「……はぁ」なんてため息を零し、二人に続いて心底名残惜しそうに更衣室を出る。
……
…




