五話
扉を開けた先の更衣室には三人のメイドが着替えている最中だった。
それもまさしく下着姿のあられも無い姿で、だ。
三人のメイド達は突然の事に状況整理が追いつかず、呆けた表情のまま着替え途中で固まってしまっている。
混沌とした空気感が更衣室を瞬時に包む。
そんな最中。
「そんな……そんな……」と、間抜けな吐息を漏らし着替え中のメイドを、ギンギンに凝視するロイを横目で観測し。
早くもククリカ的には『ロイを殺したいと思ったベストファイブ』の二つめを更新。しかし、そんな場合ではない。
「バカモノ! この中に居るか居ないかが先だろうっ!?」
叱咤するククリカ。
先だろう? その物言いに違和感は覚えつつも、それどころではないのだ。
「分かっています」
ロイ・マスタングは着替え中のメイドの一人から視線は外さず、きっぱりとそう言ってのける。
耳朶は赤く頬も紅潮して目は血走っていた。
が、
右手をあらぬ方向へと素早く動かす。
すると、
三人の中の一人のメイドの目の前に、黒い短剣みたいな尖ったものが三本出現する。
瞬間それらの黒い短剣は、メイドの一人へ突進し両肩と腹にそれぞれ突き刺さった。
勢い止まらぬ様で、そのままメイドは後方の木棚へと激突。
諸々を破壊して、壁に縫いつけられる。
大魔導士ククリカ・クニエルは息を呑んだ。
ロイのその鮮やかな行動も次元素子の扱いももちろんだが。何より、縫いつけられたメイドは赤い血を一滴も流さなかったのである。
稀代の大魔導士は全身が総毛立つのを感じた。
それがロイへの恐怖なのか。本当に魔王の手下が王宮内にメイドとして潜り込んでいた事に対するものなのか。ククリカ本人にも分からない。
怒涛の展開にその場の誰も(ワンテンポ遅れて入ってきたニャームゥも)、声すら上げられずに、縫いつけられたメイドにただただ視線を注ぐのみ。
ただ一人、ロイ・マスタングを除いて。
「滅してもいいのですよね? ククリカ様」
そんな言葉を残像として残し、縫いつけたメイドの前へとロイは移動した。
ククリカをして、ロイがどうやってそこまで(距離にして数メートルは離れているだろう)移動したか検討もつかない。
瞬間で移動しているのだ。
そして、
ほぼ半裸の下着姿の縫いつけられたメイド――その頭部を、手のひらでむんずと掴み。
潰した。
まるでトマトでも握り潰すかのように、あっさりと。躊躇なく。メイドの頭部を破壊したのだ。
普通考えられる人の頭が潰れた時のグロテスクさは無い。
黒い何かの粒子が飛散しただけだった。
再びククリカの全身に名付け難い怖気が、ぞわりと這う。
年相応に耳朶と頬を染め(肉体年齢的には二十歳前後ぐらいだろう)、半裸の女を凝視する青年は。一方で、姿形は人間と同じはずのソレの頭部を握り潰している。
この不気味なミスマッチが、どうしてもククリカの心臓をギュッと掴んで離さない。
本当に考えるべきなのは魔王の脅威なのだろうか。そんな思考をギリギリで押し込めて、ククリカは言葉を吐いた。
「ば、バカモノ! 魔王の眷属が頭ごときで止まるものかっ」
三本の黒い短剣に縫いつけられていたメイドの肉体が、ククリカの怒号と共にどろりと溶ける。
そんな現象に驚く間も無いほど、その溶けた何かの液体はすぐさまロイへと襲いかかった。
「なるほど」
短くそれだけを言って、ロイは後方へと素早く軸移動する。
空振るかたちで床へビチャっと攻撃するどろりとした液体。床は、ジュゥゥっと音を立て白煙を上げた。
「ロイ! 強力な溶解液だ。決して触れるなっ! 秒も掛からず人など溶けるぞっ」
ククリカは瞬時に目の前の現象を類推し対策を考える。がしかし、時間が欲しい。
そのため後続のニャームゥを制して、メイドだった液体からは遠ざかるように後ずさる。
敵の一番近くに居るのはロイだが、その次に近いのは、着替え中のまま固まったメイドが二人。ロイの巻き添えでも十分危険な位置だ。
火属魔導であれば液体状のものとの相性は良いだろう。しかしククリカは火属魔導の初歩しか修めていない。
「くそっ……」と吐き捨て、自身の中のあらゆる術を検討するククリカ。だが、やはり非戦闘員のメイド二名が狙われたら一手二手どうしても遅れてしまう。
即座に考えた一番冴えた方法は、ロイ・マスタングを背後から蹴り倒しあのどろりとした液体にぶつけ。その隙にニャームゥと一緒にメイドをこの場から離脱させることなのだが……と、考えていたククリカは目を見張る。
どろりとした液体とロイ・マスタングとの間の空間に、何やら黒い球体が出現しているのだ。しかもその球体は、高速で回転でもしているのか、ギュルギュルと擦れる様な音を奏でていた。
「ドロドロとあちらこちらに広がったら面倒臭い……」全部、絡め取る。
ロイは、奇声をあげて今まさに扇状に広がろうしている元メイドにそう言い放ち。
その瞬間。
さらに回転数を上げたらしい黒い球体はゆっくりと敵へと近づき。どろりとした液体だけを巻き取っていくのだ。
吸い込まれていく様にも見える。
「なっ――っ!?」
大魔導士ククリカ・クニエルは声にならない驚嘆を発した。心情的には今すぐ地べたへ座りたいぐらいだ。
魔導剣の形成に拘らず、この男は次元素子を自由な発想のもと役割すら付与して運用できる。
世界屈指の大魔導士はこの瞬間に心が折れた。なんだかもう魔導の研究とかしたくないな。そう思ってしまったのだ。
そんなククリカの気分など知る由もないロイ・マスタング。
すでに回る球体が、全ての元メイドだった液体を絡め取って吸い終わっている。
汗一つかいてない涼しげな表情でククリカを見たロイは。「あー、あのぉ……ククリカ様。これ、消しちゃっていいですよね?」
一瞬この男が何を言っているのか戸惑うククリカだったが、
「……あ、ああ。うむ。そ、そうだな……消しちゃってくれ」と、およそ無意識に絞り出した。
ロイはその言葉を聞いてゆっくりと頷いたあと、右手を突き出し拳を握る。
それに呼応するように黒い球体はみるみるとその面積を縮め、やがて虚空に消えてしまう。
すっぽりと、
消えてしまったのだ。
まるで嘘かの様に。
脅威は去ったらしい安堵から、ククリカはその場にくず折れる。
誰よりも先に肩を落としたのが、稀代の大魔導士様なのだから、他の者は困惑する他ないだろう。
弟子のニャームゥですら自分の師匠のそんな様を見るのは初めてで、「え、えっ、えっ!?」となんだかあたふたする始末。
「ニャームゥ。私にセカンドキャリアはあるかな?」
ボソボソと喋るククリカの言葉を拾い損ねて、さらにニャームゥは混乱し何度も聞き返す。
ロイはといえば。
「いいですね。なんかいいですね」と、うわ言の様に呟き。
まだ半裸状態のメイドを上に下に何度も繰り返し、血走った目で舐め回すように見るのだ。
もはやそれに一々文句を言う気力がないククリカは、黙ってその様子を見ている。
一拍、
二拍。
きゃーー! と、ここで状況は理解しないまでも、なんだかロイの気持ちの悪い視線が気になったのか。
残ったメイド二名は、胸部を隠すようにその場にしゃがみ込み、ここでようやく悲鳴をあげる。
ククリカは「ふんっ」と鼻を鳴らし自嘲気味に笑った。
所詮人間。
自身の理解できる範疇でしか反応はできないよな。そんな思いから笑ってしまう。
やつれた表情で不気味に笑う師匠を見て、ニャームゥは首を傾げることしか出来ないわけだが。
そんな時である。
女子更衣室の扉がバンっと開く。
勢いよく。
そして、壊れそうなほど強引に開け放たれた扉の先には、白いコック帽とキッチンコートを羽織り。
両手には大きな牛刀を二振り持つ料理人が、
泰然と立って、入り口を塞ぐのだった。




