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右近と左近  作者: 双鶴


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第30話 沈黙の檻、祈りの灯(高山右近視点)

 天正十六年。

 小豆島の海は、右近の心とは対照的に穏やかだった。


 波は静かに寄せては返し、

 空はどこまでも青く、

 風は優しく頬を撫でた。


 だが――

 右近の胸の奥には、

 何もなかった。


 明石六万石を失い、

 城を失い、

 家臣を失い、

 未来を失い、

 祈りさえも崩れ落ちた。


 右近は、

 ただ海を見つめていた。


 波の音が、

 まるで遠い昔の記憶を呼び起こすように

 静かに響いていた。


 だが、

 その記憶に触れようとすると、

 胸の奥が痛んだ。


 右近は目を閉じた。


 ――私は、どこへ行くのか。


 答えはなかった。


 


 天正十六年、晩夏。

 右近に新たな命が下った。


 ――前田利家に預ける。


 右近は小豆島を離れ、

 加賀国金沢へ向かった。


 金沢城に着いた右近を待っていたのは、

 武士としての待遇ではなかった。


 右近は、

 まるで囚人のように扱われた。


 外出は制限され、

 監視がつき、

 自由は奪われ、

 祈りの場さえ与えられなかった。


 右近は、

 静かに受け入れた。


 怒りも、

 悲しみも、

 悔しさも、

 すべてが胸の奥で凍りついていた。


 ただ、

 沈黙だけがあった。


 


 だが――

 時は流れた。


 天正十八年。

 右近の周囲に、

 ゆっくりと変化が訪れた。


 前田利家から、

 右近に扶持が与えられた。


 その額――

 父・高山図書の分を含めて二万六千石。


 囚人のような扱いから、

 突然の厚遇。


 右近は驚いた。


 利家は言った。


「右近殿。

 秀吉公のご意向により、

 そなたを相応に遇するよう命じられた」


 右近は静かに頭を下げた。


 だが胸の奥では、

 別の思いが渦巻いていた。


 ――秀吉は、私を政権に戻したいのか。

 ――それとも、私を手元に置いて監視したいのか。


 真意は分からなかった。


 だが、

 右近は理解していた。


 秀吉は、

 右近の棄教を望んでいる。


 右近が棄教すれば、

 豊臣政権に復帰できる。


 だが――

 右近は祈りを捨てなかった。


 その意思の前に、

 秀吉も利家も、

 ついに折れたのだろう。


 右近は、

 前田家の管理下で生きることになった。


 


 だが、

 右近の存在は、

 金沢の空気を静かに変えていった。


 右近の祈り。

 右近の言葉。

 右近の生き方。


 それらは、

 前田家中の者たちの心に

 静かに、しかし確実に染み込んでいった。


 やがて――

 前田家中には、

 キリスト教に改宗する者が増え始めた。


 右近は驚かなかった。


 信仰とは、

 強制されるものではない。


 ただ、

 人の心に灯る“光”なのだ。


 右近は、

 その光を消さずに生きていた。


 たとえ囚われの身であっても、

 たとえ自由を奪われても、

 たとえ未来が見えなくても――


 右近の祈りは、

 静かに、確かに、

 金沢の地に広がっていった。


 


 夜。

 右近は自室で、

 ひとりロザリオを握りしめた。


 蝋燭の炎が揺れ、

 影が壁に長く伸びる。


 右近は静かに祈った。


「神よ……

 私はまだ、ここにおります。

 どうか……

 私の歩む道を照らしてください」


 その祈りは、

 小豆島で失われたはずの光を

 再び胸に灯していた。


 右近は、

 ゆっくりと目を開けた。


 沈黙の檻の中で、

 祈りの灯が――

 確かに、再び燃え始めていた。


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