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右近と左近  作者: 双鶴


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第25話 散りゆく光(太田左近視点)

 天正十三年四月二十四日。


 太田城は、もはや城ではなかった。

 濁流に囲まれ、石垣は沈み、

 かつて兵が駆けた道は泥と水に呑まれ、

 風は湿り、空は沈み、

 すべてが“終わり”の匂いを帯びていた。


 水攻めが始まって一か月。

 太田衆は工夫を凝らし、

 堤を破り、安宅船を沈め、

 あらゆる手で抗い続けた。


 だが――

 限界は、静かに、確実に迫っていた。


 兵糧は尽き、

 矢も火薬も底をつき、

 兵たちの顔には疲労が刻まれていた。


 それでも、

 誰ひとりとして「降伏」を口にしなかった。


 太田衆は、

 誇りで立っていた。


 


 その日、

 蜂須賀正勝と前野長康が太田城に入った。


 秀吉の腹心。

 彼らが来たということは――

 戦の終わりが近いということだ。


 左近は本丸で二人を迎えた。


「太田左近殿。

 これ以上の抵抗は、もはや……」


 蜂須賀の声は、敵のものではなかった。

 その目には、左近への深い敬意が宿っていた。


「秀吉公は、貴殿の武勇を称えておられる。

 ゆえに……

 貴殿と主だった者五十三名が自害すれば、

 城兵の命は助けると申されている」


 左近は静かに目を閉じた。


 ――五十三名。


 太田衆の中でも、

 もっとも戦い、もっとも支え、

 もっとも誇り高い者たち。


 彼らを死なせることで、

 残る者たちが生きられる。


 それが、

 太田衆の最後の“勝利”だった。


 左近は、

 ゆっくりと頷いた。


「……分かった。

 太田衆の命を救えるのなら、

 俺たち五十三名の命など、惜しくはない」


 


 夕刻。

 本丸の一室に、五十三名が集まった。


 皆、覚悟を決めた顔をしていた。

 恐れはない。

ただ、静かな誇りだけがあった。


 左近は彼らを見渡し、

 深く頭を下げた。


「……すまぬ。

 俺に付き合ってくれて、ありがとう」


 兵たちは笑った。


「左近様と共に死ねるなら本望です」


「太田衆の名は、永遠に残ります」


「雑賀の誇り、ここにあり!」


 その声は、

 涙が出るほどに美しかった。


 


 左近はひとり、

 静かに座し、

 懐からロザリオを取り出した。


 右近から届いた、小さな十字架。

 黒い木玉は、

 この一か月、左近の胸でずっと温もりを保っていた。


 左近はそれを掌に包み、

 胸に押し当てた。


「……和友」


 声が震えた。


「お前がくれたこのロザリオ……

 ずっと、俺を支えてくれた」


 太田左近という男のすべてが、

 その言葉に込められていた。


 右近と出会い、

 右近と別れ、

 右近の祈りを胸に戦い抜いた。


 この世界で、

 右近と再び会えたこと。


 それが、

 左近の人生をどれほど豊かにしたか。


 左近は微笑んだ。


「重友……

 お前と、この世界でも会えて……

 俺は幸せだった」


 刀を抜く。

 刃が夕陽を受けて淡く光る。


 左近はロザリオを胸に抱き、

 静かに目を閉じた。


「これが……俺らしい生き様。

 いや、死に様だ」


 そして――

 最後の言葉を、

 誰にも聞こえぬほどの声で呟いた。


「さらばだ……友よ」


 太田左近は、

 誇り高く、

 静かに、

 そして美しく散った。


 その死は、

 太田衆の魂そのものだった。


 根来寺落城から、

 わずか一か月後のことである。


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