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右近と左近  作者: 双鶴


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第24話 水底の刃(太田左近視点)

 天正十三年四月。

 太田城は、すでに“陸の城”ではなかった。


 城の周囲は濁流に沈み、

 石垣の半ばまで水が迫り、

 太田城はまるで湖に浮かぶ孤島のようだった。


 水面には、

 空の色を映すこともなく、

 ただ重く、暗く、沈黙していた。


 その沈黙を破ったのは――

 羽柴秀吉軍の安宅船だった。


 


 四月初旬。

 中川藤兵衛が率いる十三隻の安宅船が、

 太田城へ向けて進み始めた。


 船首には巨大な板が立てられ、

 鉄砲や弓矢を防ぐために改造されている。


 太田城の櫓からその光景を見た左近は、

 静かに息を吸った。


「……来たか」


 水攻めの次は、

 “水上からの総攻撃”。


 秀吉は、

 太田城をあらゆる角度から潰しに来ている。


 だが――

 左近には、まだ手があった。


 


「泳ぎの達者な者、前へ!」


 左近の声に、

 太田衆の中から十数名の若者が進み出た。


 彼らは、

 紀州の海と川で鍛えられた水泳の名手たち。


 左近は彼らの肩に手を置いた。


「命を賭ける戦だ。

 だが、お前たちならできる。

 太田の誇りを見せてこい」


 若者たちは頷き、

 濁流へと身を投げた。


 水面が割れ、

 彼らの姿はすぐに水中へ消えた。


 安宅船が近づく。


 船首の防盾が太田城を覆い隠し、

 鉄砲の火花が散る。


 だが――

 その下で、

 太田衆の水泳兵が動いていた。


 彼らは水中から船底に取りつき、

 短刀で次々と穴を開けていく。


 水が船内に流れ込み、

 安宅船は悲鳴を上げるように傾いた。


「沈むぞ! 離れろ!」


 秀吉軍の兵が叫ぶが、

 もう遅い。


 安宅船は一隻、また一隻と沈んでいった。


 太田城の兵たちが歓声を上げる。


「やったぞ!

 太田衆が安宅船を沈めた!」


 左近は、

 その声を聞きながらも表情を変えなかった。


 勝利の喜びよりも、

 胸の奥に広がるのは――

 冷たい予感だった。


 秀吉は、

 これで引き下がる男ではない。


 


 四月九日。

 太田城の南方で、

 突如として大地が揺れた。


 松本助持が、

 切戸口間の堤防百五十間を破壊したのだ。


 濁流が一気に堤防を突き破り、

 宇喜多秀家の陣営へと襲いかかった。


 悲鳴。

 怒号。

 水音。


 宇喜多軍の兵が次々と流され、

 多くの溺死者が出た。


 太田城の櫓からその光景を見た左近は、

 拳を握った。


「……まだ、戦える」


 だが――

 秀吉軍は、

 その程度では揺るがなかった。


 宇喜多軍の被害を知るや否や、

 秀吉は怒涛の勢いで命じた。


「土俵を積め!

 六十万だ!

 数日で堤を直せ!」


 六十万個の土俵。

 常識では考えられない量だ。


 だが秀吉軍は、

 それを本当に数日で積み上げた。


 太田城の兵たちは、

 その光景を見て震えた。


「……化け物か……」


 左近は静かに呟いた。


「いや……

 あれが“天下人”というものだ」


 


 太田城は、

 水に囲まれ、

 逃げ場を失い、

 孤立無援のまま――


 それでも、

 まだ戦っていた。


 左近は、

 濁流の向こうに揺れる秀吉軍の松明を見つめた。


 その光は、

 まるで太田衆の命を奪うために

 静かに燃え続ける“死の灯火”のようだった。


 左近は懐からロザリオを取り出し、

 静かに握りしめた。


「和友……

 お前の神様の力とやらを貸してくれ…」


 水音が、

 まるで太田衆の命を数えるように

 ゆっくりと、しかし確実に響いていた。


 ――太田城の最期が、

 いよいよ迫っていた。


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