第21話 孤城の誇り(太田左近視点)
天正十三年三月下旬。
紀州の空は、春の気配を孕みながらも重く沈んでいた。
太田城の櫓から見下ろす山々は、
まるで炎の前触れを感じ取っているかのように静まり返っていた。
――来る。
その気配は、風の匂いで分かった。
羽柴秀吉軍、六万とも十万とも言われる大軍。
その全てが、太田城へ向かっている。
だが、太田衆と根来衆の残存兵力は――
わずか三千から五千。
雑賀衆の一部は秀吉に寝返り、
総本山・根来寺は焼かれ、
紀州惣国一揆は完全に孤立していた。
太田城は、
もはや紀州の最後の砦である。
左近は、
城内を歩きながら兵たちの顔を見て回った。
疲れ切った顔。
血と煙にまみれた鎧。
だが、その瞳にはまだ光があった。
左近は胸の奥で静かに呟いた。
――よく、ここまで残ってくれた。
夕刻。
太田城の本丸に兵が集められた。
左近は壇に立ち、
兵たちを見渡した。
その数は少ない。
だが、
その顔は皆、戦う覚悟を宿していた。
左近は深く息を吸い、
声を張り上げた。
「聞け、太田の兵たち!」
その声は、
城壁に反響し、
空気を震わせた。
「根来寺は焼かれた!
雑賀の一部は裏切った!
紀州惣国一揆は、もはや我らだけだ!」
兵たちの表情が引き締まる。
「だが――
それがどうした!」
左近の声は、
炎のように燃え上がった。
「太田衆は退かぬ!
根来衆の残兵も退かぬ!
我らは紀州の誇りを背負っている!」
兵たちの胸に、
熱いものが込み上げた。
「秀吉の十万がどうした!
太田の地は、太田の手で守る!」
鬨の声が上がった。
「おおおおおおおおおおおっ!!」
その声は、
太田城の石垣を震わせ、
山々にこだました。
左近は拳を握りしめた。
――これが、太田衆だ。
数では敵わない。
兵糧も尽きかけている。
援軍は来ない。
だが、
心は折れていない。
それだけで十分だった。
夜。
左近は櫓に立ち、
遠くの山々を見つめた。
秀吉軍の松明が、
山の向こうで揺れている。
まるで、
炎の海が迫ってくるようだった。
左近は懐から、
右近から届いた小さなロザリオを取り出した。
黒い木玉が月光を受けて淡く光る。
――和友。
お前の祈りは届いている。
左近は静かに目を閉じた。
右近に送った脇差。
あれは、
自分の魂そのものだった。
もう会えないかもしれない。
だが、
互いの魂は繋がっている。
左近はロザリオを握りしめ、
夜空に向かって呟いた。
「和友……
俺はここで戦う。
太田の名にかけて」
その声は、
夜風に乗って静かに消えていった。
そして――
太田城の最期の戦いが、
静かに幕を開けようとしていた。




