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右近と左近  作者: 双鶴


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第13話 祈りの回廊(高山右近視点)

 信長との謁見を終えた夜、

 右近は静かに教会へ向かった。


 冬の気配が忍び寄る摂津の空気は冷たく、

 吐く息が白く揺れた。

 高槻の町はすでに闇に沈み、

 遠くで犬の吠える声が響いている。


 教会の扉を押し開けると、

 蝋燭の炎が揺れ、

 香の匂いが淡く漂った。


 右近は膝をつき、

 静かに祈りを捧げた。


 その祈りの中で、

 過ぎ去った数日の出来事が、

 まるで幻のように浮かび上がってくる。


 ――村重の謀反。

 ――人質となった妹と息子。

 ――信長の圧力。

 ――宣教師たちの動揺。


 右近は目を閉じた。


 心の奥底に沈んでいた記憶が、

 静かに形を取り始める。


 


 村重が謀反したとき、

 京都の宣教師たちは震撼した。


 「キリシタンたる者は、主君に背くべからず」

 それが彼らの教えであった。


 だが、

 荒木村重と高山右近という

 “二人のキリシタン大名”が荒木方についたことで、

 彼らの教義は揺らいだ。


 さらに、

 高槻には一万八千ものキリシタンがいる。

 戦になれば、

 彼らが犠牲になるのは避けられない。


 宣教師たちは恐れた。

 信長が怒り、

 キリシタンを滅ぼすのではないかと。


 その中で、

 オルガンティノ神父は右近に告げた。


「いかなる事があっても、

 信長公に敵対してはなりません。

 よく祈り、熟考なさい」


 右近は答えた。


「人質さえ取り返せるなら、

 私もそうしたい。

 だが……どうすればよいのか分からない」


 その返答に、

 オルガンティノは深い不安を抱いた。


 信長がキリシタンを害するのではないか――

 その恐れが、

 彼の胸を締めつけた。


 


 信長は動いた。


 オルガンティノに使者を遣わし、

 右近が荒木方につくことは

 キリシタンの教えに反することであり、

 もし信長に従うなら

 望み通りの金子と領地を与えると伝えた。


 だが、

 オルガンティノは答えた。


「右近殿は人質の処刑を恐れております。

 金や領地で動く方ではありません。

 私が説得を試みましょう」


 しかし、

 事態は進展しなかった。


 右近は動けない。

 動けば人質が死ぬ。


 信長はさらに策を練った。


 村重が差し出している人質と、

 右近の人質を交換する――

 その案を提示したのである。


 さらに信長は言った。


「もし右近の人質が処刑されたとしても、

 それが右近の逆心によるものではないと

 京都と堺に掲示させよう。

 右近の名誉は守る」


 信長は、

 右近の信仰と名誉を守るために

 異例の措置を取った。


 高山父子は答えた。


「人質さえ取り返せば、

 ただちに信長公に従います。

 摂津への進撃を四、五日お待ちいただきたい」


 だが、

 信長は焦っていた。


 事を急がせるため、

 宣教師たちを捕らえ、

 近江へ連行するよう命じた。


 オルガンティノは、

 ロレンソに別れの書状を書かせた。


 「もはや現世では会えぬかもしれぬ」

 その言葉には、

 深い憂慮と苦悩が滲んでいた。


 


 高槻城では、

 荒木方の家臣たちへの説得が続けられた。


 ついに、

 「最初の領地以外は何も求めない」

 という条件で、

 信長に下る話がまとまった。


 だが、

 信長はこの条件を許さなかった。


 11月9日、

 信長はついに摂津へ出陣した。


 翌10日、

 信長は京都の教会の者たちを召還し、

 右近を投降させるよう命じた。


「そうするなら、

 教会をどこにでも建ててよい。

 やらぬなら、宗門を断絶する」


 オルガンティノは再び高槻へ使者を送ったが、

 城の周囲には荒木の手の者がうろつき、

 友照は疑心暗鬼に陥っていた。


「城に入ろうとする者は、

 すべて斬れ!」


 使者は殺され、

 説得は不可能となった。


 オルガンティノは絶望した。


 「最大の憂慮と不安」

 その言葉は、

 彼の心をそのまま表していた。


 


 だが――

 そのとき、

 右近が動いた。


 家臣たちの説得を受け、

 右近はひとつの解決法を見出した。


 ――剃髪し、

 領地・俸禄・家臣すべてを返上する。


 兵も城も持たず、

 ただの一介の浪人として信長に出頭すれば、

 村重は人質を処刑する理由を失う。


 キリシタンも救われる。

 人質も救われる。


 右近は決意した。


 午後十時頃、

 右近は父への書状を残し、

 「オルガンティノとロレンソを逃がす」という名目で

 城外へ出た。


 その場で、

 右近は脇差を抜き、

 自らの髪を切り落とした。


 家臣たちは驚愕した。


「右近様、なりませぬ!」


 だが、

 右近は静かに言った。


「これしか道はない」


 二刀、肩衣、髪を家臣に渡し、

 紙衣一枚の姿となった。


 その姿は、

 武士ではなく、

 ただの“祈りの人”のようだった。


 右近はオルガンティノ、ロレンソと共に

 信長のもとへ向かった。


 


 11月16日。

 右近は信長の前に出頭し、

 深く礼を述べた。


 信長は喜び、

 右近に小袖と名馬、

 そして摂津・芥川郡を与えた。


 こうして高槻城は信長の軍門に降り、

 友照も人質も処刑されることはなかった。


 


 祈りを終えた右近は、

 静かに目を開いた。


 蝋燭の炎が揺れ、

 教会の中に長い影を落としていた。


 右近は胸に手を当て、

 静かに息を吐いた。


 ――すべては、

 神の御心のままに。


 その言葉は、

 冬の夜の静けさに溶けていった。


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