9. ウナとアリサのデート
カフェの定休日はアリサもお休みだ。ウナと買い物に行く約束のために外へ出た。
ウナとの待ち合わせは商店街と公園の間にある時計台だ。一時間ごとに短い曲が流れる。
早めに到着した。人の流れの中から外れて目を閉じていると、雑踏の声がさらさらと、紙をこすり合わせるような音に変わっていく。
あ、これ、久しぶりの感覚だ。
薄く開いた視界。
ポッと灯った光が、うねりながら線を引く。
次々と伸びていく光を目で追っていると、人の姿がなくなった。
田舎の――森の、濡れたように照る葉の匂い。人が踏み入らないから、茶色の葉が積もってできた土はやわらかい。それでいて張り巡らされた木の根で、よく足先をひっかけて転けそうになってしまったものだ。
朽ちた木の虚がそこら中にあった。
なにかが潜んでいたのだ。なにかはわからないけれど。見えないし、聞こえないのに、ポカリと抜け殻が見えて――
「アリサちゃんっ」
小走りの彼女が合流したのは午前十時ちょうどに曲が流れはじめたときだった。走るために日傘を閉じたのだろう、急がなくてもよかったのに。せっかくの玉の肌が日焼けしてしまう。
「ごめんなさい、お待たせしてしまいましたわ」
ふるふる、と頭を振ってそれまで見えていた幻想に終わりを告げた。大丈夫、アリサはちゃんと現実に生きている。
いま、すごく気を抜いていた。幻想を見るなんてこと、都会に来てからはなかったのに。
笑顔で鞄の肩紐をそっと握りしめた。
「時間ぴったりだし、いつものアレでしょ?」
「ええ、まぁ……」
ということは、来る途中にまたナンパに遭っていたらしい。お家まで迎えに行こうか、と提案したこともあるけれど、そこまでしてもらっては悪いからと断られるのだ。待ち合わせで待つ時間もわくわくして楽しいといえば楽しい。
「でも、通りすがりのジェッドさんが助けてくださいましたの。すぐそこまで送ってくださって」
「よかった。ジェッドなら大抵の男は追い払えるもんね、よっぽど馬鹿じゃない限り」
頻繁に声をかけられるほどウナはかわいいし、歩くだけでも品のよさが滲み出ている。仕事のときの髪型はひとつに結ぶくらいだが、休日の今日はねじったり編み込んだりして手が込んでいる。こういう髪型のときは「侍女にしてもらっているのですわ」だそうだ。
ど田舎の放任主義的な家庭で育ったアリサは侍女やメイドがいる家というものを具体的には想像できない。 “ Steamy Bean Bistro ” で働いているというのも、「社会勉強のためですわ」と話すが、勤務態度は真面目だし鼻にかけたことはない。なぜ大手の事務などでもなくカフェで、とは思ったがマスターと奥さまの親戚だからと以前聞いた。
ウナの呼吸が落ち着くのを待って、出発する。
「まずはウナちゃんが行きたいお店に行こうか」
「そんなの――端からすべてですわぁ」
ふふふ、と上品に笑いながら言うことは大胆どころじゃない。はじめてウナと買い物に行ったときも同じ行動をした。
故郷のゴウラ市から出てきてカフェに勤めだしたばかりのころ、ウナに頼み込んで買い物に出かけ、洋服を取り揃えた。ほとんど彼女に選んでもらい、また、それ以降おそろいの服を買ったりもしている。
ウナは都会っ子だからなのか、服の見立てだったり小物の組み合わせだったりの審美眼が備わっている。
宣言通り片っ端からお店に入り、色違いのブラウスを並べてみたり、スカートを体に当ててみたり。
瞳がほぼピンクに見える気品の紫色をしたウナだから、ピンクも着こなせてしまう。
この通りの服屋だけで何店舗あることか。しかも公園の芝生の区画では定期的に青空市が開催され、小さな事業のお店が入れ替わり立ち替わりで屋台を出す。パン屋から八百屋、アクセサリー小物までさまざま。だからいつこの付近を歩いても飽きるということがない。
奥さまが集めるお茶の葉は青空市で仕入れた物も混じっていた。
「少し休みましょう。まだ一日は長いのですから」
なんてウナは言っているが、アイスクリームの看板を見かけてしまったからだ。反対するわけもなく、注文の列に並んだ。
斜めにかかるパラソルの下、落ちた影は真円に近い。
ふぅー、と二人して体から熱を逃すため息をついて、歩きっぱなしの足を休めた。
がやがやとした人の隙間から見えるのは建物ばかりでもない。自然ばかりの場所から上京して来たと思い込んでいたアリサには意外だった。
人工的ではあるが田舎よりも、都会は花が多い。取り揃えられた種類も。街路樹も頻繁に剪定されている。公園ひとつとっても質が違う。芝生が敷き詰められて、ブランコは幼児用と児童用と分けられているし、下にはクッションだってあるのだ。故郷の公園では茶色い土がむきだしなだけで、中途半端に剥がれた塗装の遊具は夜に見かけると怖いくらい。人が歩かない端のほうは草が伸び切っていた。
その、草の陰を走るもの。人にはとうてい追いつけない。草と草を繋いでいき、やがて木の集まりに入る。
小さなものから大きなものへ。
薄いものから濃いものへ。
人を避けるものから惑わすものへ。
ある時アリサは、捕まった。
いや、捕まりに行った、のかもしれない。
――……を、…………さい。
「……アリサちゃん?」
「どうしたの? あー……」
手にしたアイスクリームが半分溶けていた。
また、故郷のことを体が思い出していたようだ。ここのところどうも、気を抜きすぎる。
ウナが心配そうに紙ナプキンを差し出してしていた。
「すみません。連れ回してしまいましたわ。疲れたのですわよね?」
「ううん、満足してたの。幸せを噛み締めてただけだよ」
指に垂れるアイスクリームを拭いながら、急いで残りを食べた。
忘れなきゃ。忘れていいはず。
アリサはあそこから抜け出してきたのだから。逃げて、きたのだから。
ああ、指がべたつく。
公園の水場で軽く手を洗って、商店街側へ戻った。
なんだか遠くで若い女性が騒いでいるのがここまで聞こえる。
「あちら、ジェッドさんじゃありませんか?」
振り返ったウナが手を上げている。
「ケイファスさんもご一緒ですわ」
制服を着た男たちは、女性たちを振り切ってまっすぐやってきた。黒い鍔の帽子はいかにも熱がこもってそうだ。
「こんにちは。先ほどはどうも」
「ああ」
ジェッドが帽子を脱いで扇子がわりにして仰いだ。
「こ、こんにちは。薄暑を終えてこうも日差しが強いと、風が恋しいですね」
逆に帽子を目深にかぶったケイファスとは、目が合わない。
「こんなに人がいたら風が吹いても意味がないですね。
暑いのにお疲れさま」
「お二人は見回りですか?」
ウナの問いに、男二人は言っていいのかお互いに確認するように顔を見合わせた。それからジェッドだけが答える。
「半分な」
「半分て」
市場を楽しめないのはかわいそうだが、職務に対していい加減すぎる。アリサが突っ込むと、ジェッドは肩をすくめた。
「なにか起こらない限り楽しんでいいことになっている。アリサたちも、歩き回るんなら帽子くらい買ったらどうだ?」
「いえいえ、ふふふ」
とウナが得意気に取り出したるは日傘。ぱっと広げてかざす。
「ここは相合傘ですわ」
ぎゅっとアリサの腕を抱きしめながら微笑んだ。直射日光は熱を刺してくるが、傘一つで影を作ると一気に温度が下がる。標準の雨傘よりもだいぶ範囲は狭いが、女二人ならぎりぎり収まるといったところ。
「ぼ、僕あっちを見てこなきゃいけないのですみませんっ」
そんなに慌てて、アリサから逃げてるみたい。というかあきらかに避けられた。
「仕事中だもんね、ジェッドも声かけてごめんね」
「いや別に事件が起きてるわけじゃないのになにやってんだあいつ」
汗をかいているのか、ジェッドは額を撫でてから帽子をかぶると、きりりとケイファスが向かった先をにらみつけた。
「俺も行く。じゃあな」
「どうぞ、お疲れが出ませんように」
ひらひらと手を振ったウナが、アリサを引っ張る。
「さ、まだ行きたいお店は半分残ってますわ」
「よーしっ」
まだ日は高い。目標は全店制覇だ。




