10. 緩衝材ジェッド
カフェの買い出しの手伝いをした一週間後、ケイファスは早めに出勤した。ジェッドならこの時間には着いているはずだ。案の定、ジェッドは制服に着替えも済ませている。
「ジェッド、訊いていいかな?」
「ん」
どしりと座り、ケイファスの質問を待っている。言い出しつつも、ロッカーを開けたり閉めたり、さすってみたりしながら、なかなか言い出せなかった。
「ぅあ、アリサさんって恋人いたりする……?」
「いるようなことは聞いてないし、はっきりは知らん。長く会っていない間にいたかもわからないが、首都に来てからも男の気配は感じなかったぞ」
顔をしかめて、だが真面目に答えてくれた。
「なんでだ?」
と尋ね返され、支部での待機後、ジェッドと別れてからのことを説明する。
「お礼にってケーキを食べさせて……くれて……」
正直味などしなかった。生地はふわふわだったが、ケイファスの脳みそこそわたあめになったかのようにふわふわしてしまっていた。滅多にない女性との接触事件。いや体に直接触れてはいないのだけれど、お礼といえどあんなふうに対応されたことなんてない。あってたまるか。
赤くなるのはケイファスばかりで、アリサは気にした様子はなかったのがまたむなしくさせてくれる。
「ケーキを奢ってもらったのがなにか?」
「そうじゃなくて。『あーん』された……」
「……そっちの『食べさせられた』か」
同僚にこんな相談をしているのも小っ恥ずかしい。ジェッドがアリサの幼馴染でなければ意見など聞いていない。
「んで、それくらいで意識してるのか? アリサを?」
「だって次からどんな顔して会えばいいんだよ……」
ロッカーに顔を突っ込んでいたら、ジェッドの面倒くさそうなため息だけが聞こえてきた。
ひどい。
「ケーキあーん」事件のあと、ケイファスから距離を置かれている気がする。気がする、ではなくてもはや事実だ。気づいているのはアリサだけではない。
ひとりでカフェへと来たジェッドもだ。
「ジェッド、ケイファスさんは調子よさそう?」
「元気だぞ。あいつが変になるのはおまえの前だけだ」
「やっぱり、あたしが原因だよねぇ……」
注文されたお持ち帰りコーヒーを差し出して、カウンターに肘をつく。アリサの前でだけ態度が変わるとまで言われて、気にするなというほうが難しい。
「お店にはけっこう来てくれてるんだけど、季節の話しかしてくれないの」
挨拶をして、飲み物を注文する。受け取ったらそそくさと帰る。それだけ聞くといい客だけれども。
ふぅ、と軽いため息をつくとジェッドが疑うように目を細めた。呆れてものも言えないってことかしら。
「すごい量の季節のあいさつレパートリーだよ。感性が豊かなんだね。それよかあたしとの会話避けるためなんだろうけどむしろ感心するわ」
「バカか」
「うん、ばかなことしちゃった」
すべてはアリサがケーキを手ずから食べさせてしまったがため。そして幻獣に関する珍妙な質問も、要因の一つかもしれない。
「違う、ケイファスのことだ」
え、と見上げる。いつも厳しく見えるだけのジェッドだったが、いまは本当に憤っている。怒りは軽いけれども、自分に向けられたわけでもない感情に屈服して思わず謝りたくなるほどだ。
「近いうちに連れてきてやる。お前から普通に話してやってくれ」
「だからって引きずってきたりしないでね?」
「善処する。ここの空気が悪くなるのは俺もいやだからな」
ジェッドはこのカフェをかなり気に入ってくれているらしい。肩の力を抜いて笑う。
ふと目に入った照明が揺らぐ。入り口には下向きの照明があって、夜に点灯する。それが真昼間のいま点るはずがない。しかも、あんな色じゃなかったはずだ。ふわふわと線が伸びるように――あれじゃまるで、飛んでいる妖精みたい。
かくん、と頭が下がる。ぶわっと汗が吹き出た。
いま、アリサはなにを見ていた?
戻って来れたのは、肩を掴まれたからだ。からかっていいのか、心配すべきか表情を決めきらないジェッドが覗きこんできた。
「おい、どうした。……寝不足か?」
「ううん、違うよ。ごめん」
「じゃあなんだ、都会にも慣れて気が緩んだか」
「あ、そう。それだ」
「……客に出すときコーヒーと紅茶混ぜるなよ?」
はは、と笑い飛ばす。
「しないよ! ほんとにそういう飲み物あるんだけどね。コーヒーをミルクティーで割るの。コンデンスミルクも入れて」
糖分の話に及ぶと、ジェッドは口元を歪めた。大人になっても甘いものは得意じゃないらしい。
「俺には出すなよ?」
「はぁーい」
「それから。もうすぐ遠征だから、しばらく空ける」
肩から手を離し、じゃあなと帰っていった。
うたた寝のような幻を見るようになってどのくらい経つだろう。
仕事中は大丈夫だったはずなのに自信は崩れていく。気の知れたジェッドの前だと油断してしまうようだ。首都に来てもう三年になる。
マスターも奥さまも良くしてくれる。ウナともただの同僚というだけでなく友達になった。
ここを、好きになれたのに。
離れるのはいやだ、と毎日触れているカウンターを撫でた。
とりあえずR15版「プロポーズはいらない」は全56話、
13万字強となりました。
R18版を修正してこちらに加えるかはまだ考えてます……。




