68. 決着
このまま全滅か――と歯を食い縛る。
そこで飛び出す小柄な影があった。
「ナイトレイヴンさん、やめてください!」
パチン、と手を叩いたような小さな音がする。
聞き間違いでなければ、いまのはアリサの声だった。いつケイファスは気を失ったのか、最期の前にアリサに会いたい気持ちが強すぎて夢想しているらしい。
ドサッ、と地に落ちる紳士姿を白くかすれる視界に見た――ような、気がする。これも妄想か。
こんな時だというのに、安らぎを感じている。感覚の鈍った体は痛みを認知することをやめ、代わりに幸福感に包まれていた。
どんな怪我をしても心臓が動いていれば修復してしまう。毒を飲んでも満足な結果は得られることはなく。体を痛めつけても、魔力を枯渇するまで使っても、魔力の保有量が増えるだけだった。でも、自分で動けなくなるまで魔力がなくなっても生命力すら使って絞り出した経験はいままでなかった、かもしれない。そこまで賭ける存在に出会えたからこそだ。
ああ、これでいよいよ。
永遠に寝ていられる時が来たのか。やっと。
羽でそよそよと撫でられているような、死とは気持ちのいいものだったらしい。せめてアリサの手を握って迎えたかったけれど、悪魔から人間の世界を庇って命果てるのなら、苛烈隊の一員として悪くない散り際だろう。
まぶたの裏に巡る何百年分の記憶を反芻するのに、何時間もかけてられない。ケイファスは終わるのだから。どうせなら、アリサの姿だけを――…………。
ケイファスが倒れた。原因のナイトレイヴンを今度はアリサが平手ひとつで倒した。といっても、油断している隙に魔力を吸い取っただけ。時間をおけば復活してしまう。
ナイトレイヴンはケイファスの解放を訴えていたけれども、こんなふうに隊を潰すのでは逆に軍に捕まってしまう。
自然が息を吹き返したかのように、突風が吹く。カラスが鳴き出す。
さらりと赤い髪を揺らして、登場した美女がいた。
「アリサ、よくやったわね。ナイトレイヴンはわたくしが引き取るわ。針山に寝かせておかなきゃ」
「お願いします」
ダルデュアとナイトレイヴンが姿を消す。
腕に抱えたケイファスの顔が青黒くなってしまっている。息は息と呼べるほど強くない。心臓もいまにも止まりそう。
手を、握り返してくれないことなんて初めて……。
幻獣との戦いに傷つき、幻獣の世界で木の幹に寄りかかるケイファスを見たときにも血の気が引く思いをしたけれど、今回はそれよりも深刻だ。
ふと影が差して、すぐ晴れた。
第五部隊の隊長が、アリサの……ケイファスの目の前に片膝をついている。
「私たちが軍を、国を変えます。ケイファスとアリサさんはそれを、どこかで待っていてください。
守りきれず、申し訳ありませんでした」
「いいえ……そんな」
隊長の背後で、騎士――アリサをデートに誘おうとして失敗した人――が手を上げている。
「ケイファスに、『また会おうな!』って伝えてくれ」
明るくて別れを感じさせない屈託さに救われる。
「……そのうち持ち帰りのコーヒーを持っていってやるからな」
神妙な顔でジェッドが言うものだから、明日にでもほんとうに叶いそうな気がする。
「二人で平穏に暮らせ。アリサも、ケイファスと幸せにな」
ニカッと崩して笑う。ジェッドのこんな表情を見るのはいつぶりだろうか。子ども時代はよく見ていた。思春期以降は澄ましたふりばかりで、ひどく懐かしかった。
「ありがとう、でもやることが終わってからね」
ケイファスの右腕に手を這わせて、魔力を込める。続いてアリサの左脚でも同じことをした。このときのために、魔法を習い、魔力の繊細な操作訓練に精を出したのだ。
手に乗せた輪環ふたつを差し出す。
「これ、返します」
微笑むと、アッティが受け取ってくれた。
「ケイファスには取れないだろうと思ったら……とんだ伏兵だわ」
アリサはケイファスを抱えて立ち上がる。彼から習った魔法の中に、肉体強化も入っていた。
アリサが歩くたびにだらりとしたケイファスの腕は揺れるけれど、呼吸は止まっている。
アリサとケイファスが立ち去ってから、ジェッドは隣にいたダウドに声をかけた。
「俺の腕を切ってくれ」
「――なに、言って、んだ」
ダウドは取られまいと、腰にある剣の柄をしっかり握った。
「ジェッドくん、それはさすがに」
「あいつと身長が一番近いのは俺です。腕を切って、燃やせば『縮んだ。』って言い訳が立つ。ケイファスが死んだという物的証拠を作らなきゃ、上は探し出そうとする」
隊長も苦渋を浮かべる。
「脚のほうはどうする気だ。男の脚じゃさすがに怪しまれるぜ」
「どうせ上が気にしてるのはケイファスだけだ、脚は無くていい」
「後悔するだろ……お前は騎士なんだぞ」
「あのな。俺の利き腕は左腕だ。ケイファスにつけられたしるしは右腕にあっただろ。だから、いい」
片腕の付け根を縛り上げて血流を止める。
「ジェッドはさ、アリサちゃんが好きだったの」
だから、二人を逃すために命がけの小細工をするのか、と聞かれた。
「好きだったらはじめからケイファスに渡したりしてないが?」
目を丸くして、ぽり、と頬を掻く。
「そりゃ……納得だわ」
「詫びたい女は別にいる」
自分の話下手のせいか、遠ざけられてしまったが。これがひと段落ついたら話す時間をもらえるよう訊いてみるつもりだ。
「……そうか。がんばれよ」
感覚が鈍ってきたころ――ダウドが剣を振り下ろした。
ジェッドは剣を振るう騎士に憧れて騎士を目指した。だがその先にあるものを考えていなかった。騎士が、軍が誰のために剣を持つのかまでは、その本当の意味に何年も気づかずにいた。ただひたすらに強くなりたい——強くなれば、蔑んでくる奴も減るだろうと。故郷では散々、左利きであることを曖昧な理由で禁じられてきた。
ケイファスはアリサを救うために動く。仲間を守る。愚かなジェッドは、アリサが幻獣のせいで苦しんだり悩んだりしているなどウナから相談されるまで見抜けなかった。子どもの時分の彼女を知っているなど、なんの役にも立っていない。ケイファスがアリサを助けてくれて心からよかったと思う。
力をつけるのも、幻獣を倒すのも、人々の命と安全を守るため。そこを履き違えてはならなかった。
ウナの兄から依頼を打診されて、自分も誰かを、より多くの人を守れるのかもしれないと期待した。安易に引き受けた結果、ウナを傷つけてしまい、距離を置かれた。
常連客から昇格して友人くらいにはなれていたというのに。初めから守らせてくれと頼んでいたらどうなっていただろう。
ケイファスとアリサの幸福と無事を願う。腕は彼らに捧げたい――などというと恩着せがましいか。誰も守ることのできない騎士、その肩書きを自分から切り離したい。
新しく生きよう。
輪環となった二つのしるしは、その場の全員が剣を持ってめっためたに叩き潰した上でアッティが機能を発動させて灰にした。




