67. 軍の壊滅
害悪とされる幻獣の影響の強い危険な場所へとケイファスは投入されて、幻獣を退治させられる。文字にすれば印を得る以前と変わらないが、その難易度と危険度は都度、着実に上がっていった。これまで危険すぎて立ち入り禁止としていた場所にも派遣されるのだ。
以前アリサに話した「二十年に一度の割合で起きる危機」とやらが毎月のようにやってくる。
ぼろぼろになっても、ケイファスは死なない。
なぜなら人間ではないから回復も早い。
化け物には化け物をぶつけろ、ということらしかった。
かつて苛烈隊と呼ばれた軍の勇姿を取り返したような活躍ぶり、と世間をにぎわせているものの。表で軍の上層部が誇るその名声は、裏でケイファスがほぼひとりで賄っていた。
それもこれもみんな、命だけは抱えて家に帰るため。
「おかえりなさい、ケイファス」
出迎えてくれるこのアリサの笑顔を、守るためだった。
傷ついて帰ってくるケイファスの世話をアリサはまめまめしく焼き、癒してくれる。魔力の扱いを覚えたからと、たまに戦闘の場にまで着いて来たそうにするけれども、ケイファスがいやだと悲しむと家で魔法の練習をするだけに留めた。
軍の上層部が襲撃を受けたのは、任務でケイファスが首都外へ出ているときだった。幻獣を倒し終えて報告に寄れば本部の建物も倒壊して粉砕されていた。
怪我を負った首は次々退職手続きを取り、本部が移されるまでかかった期間は一週間。
そんな混乱の最中、聞き捨てならない報告が回ってきた。
中枢部襲撃の直後からとある幻獣がたびたび軍の部隊を潰してまわっているとか。まるで各地方への道場破りのようである。痛めつけて、再起不能にするが命までは取らぬ。軍を使えなくさせるのが目的のように暴れ回っているらしい。
告げられた犯人の外見的特徴がある。時代劇でしか見ないような古典の紳士服を着ていた。深い深い闇の色をした髪に、雷雲を思い起こさせる色のまんまるの瞳。ケイファスはとある馴染みの幻獣が思い浮かび、片手で半顔を覆った。まあ、彼以外いない。
王冠を戴く夜さり鴉。
当然、軍はケイファスへかの悪魔の討伐を命じるわけだ。敵と成り下がった友人を止めるべく、ケイファスは動いた。軍が敗れれば民は不安に思う。平和から遠ざかる。軍が全滅する前になんとか対処しなければならない。
せめて幻獣の世界へ引っ込んでくれていれば、やりやすかった。が、悪魔はそこにいなかった。
軍隊が破られていった場所を辿るしかない。
煙の中に生の草花が焼けた匂いと、肉が焼ける匂いが混じる。
騎士が、魔法使いが倒れ伏している草原の中心で圧倒的な力の差を見せつけるように、ナイトレイヴンは優雅に立っている。
斬りかかろうとした同僚を抑え、ケイファスは前へ出た。
「まずは僕に彼と話をさせてください」
矢面に立ったケイファスに、紳士は一時手を止めた。
「ナイトレイヴン! 軍を敵に回すのはやめてください」
空気の動きが止まる。植物すらも呼吸を止めてナイトレイヴンのご機嫌を伺うような静けさだった。
暴れるにしても軍人を相手にして、無辜の民あふれる人里や首都を選ばないあたり、ナイトレイヴンは正気なのだろうけれど。
「なぜケイファスはそちら側にいるのだね。ワタシがキミの敵だというのか?」
いかにも慮外だ、といわんばかりだった。
「人を無闇に傷つければ、あなたを討伐するしかなくなります」
「そうかね。ワタシはケイファスを解放するところなのだよ」
「僕のことをあなたに頼んだ覚えはありませんよ。気持ちは……ありがとうございます。けど、これではあなたは」
言葉は途中で遮られる。
「もうヒトのために働くのはやめたまえよ。従順なキミに口輪をつけていたぶるような連中に、尻尾を振るな」
紳士杖をくるりと回せば、空一面が曇る。どす黒い渦を巻いて、魔界のように絶望を降らせようとしていた。
瞬きをすればバチバチと雹混じりの雨が刺すように打ってくる。皮膚を切るように痛かった。吐く息は白く冷たい。
ケイファスが手を上げれば、雲は溶け光の架け橋が天から伸びて希望を届ける。力は拮抗しているように見えるけれども、先ほどから相手の実力をはかりきれずに全力をぶつけるのみだ。
「僕は……、ヒトでありたいんです。彼らの輪の中に入っていたい」
「ワタシはケイファスを気に入っている。ケイファスの愛と自由を妨げるものも気に食わぬ」
低い声とともに霰雨が降り始めた。
もし、尋問を受けたときに強行してでもあの場を抜け出してアリサを攫い、幻獣の世界に逃げ込んでいれば……彼もこんなやけっぱちに走らずに済んだのだろうか。枷を押し付けられたのはケイファスの失策だ。自分の愛も自由も、己の実力で取り返すべきもの。
「それは僕自身が軍と決着をつけるべきことだ」
「そうだろうか?」
ひやりとまんまるだった雷雲色の目をすがめる。
「本当に――お嬢さんを人質に取れられたまま、公平な交渉の場につけると?」
「アリサに手は出させない!!」
濃密度の魔力と魔力がぶつかりあって、薄氷が割れたかのように地面が割れて剥がれた。地がうなり、木々の身が千切られ悲鳴が上がる。ケイファス寄りの足元が沈み、膝をつかされた。
ぐる、と泡だった音が喉から鳴る。口の中に鉄と酸味が充満した。内側が裂けている。
いくらケイファスが永きを生きようとも、魔力を増やし続けようとも、本気になった悪魔には敵いそうもない。
だが、それでも。勝てないとわかっていてもなお、ケイファスは人間を守りたかった。
「望むのだ。調子に乗った人間どもを潰し、己の幸福を掴みたいと」
「憎む存在を……ゴホッ、潰すことと、僕が幸せになることは……っ、同意義じゃない!!」
呼吸が乱れる。あの胸ぐらを掴みたいのに、近づくことさえできそうもない。
ナイトレイヴンがアリサにちょっかいをかけたときには、一発拳を入れたことがある。受けてくれたのは、ナイトレイヴンがケイファスを友人として認めその怒りを理解し尊重したからだ。アリサもケイファスを愛して大切にしているから。
ケイファスを大切にしない連中に、ナイトレイヴンが道徳を守る必要はないのだ。
このままでは荒れ地を広げ、ひとつ国が消えてしまう。騎士と魔法使いの誉の地が……。山は潰れ湖は干上がり、地形は大変革を起こしてしまっている。
暴挙を必死に止めているのに、さきほどから目がかすむ。ナイトレイヴンの破壊工作を修復しようと、魔力をガンガン減らしていた。胃の中がひっくり返りそう――内臓を撒き散らかしそうだ。ギリギリと頭痛も耳鳴りも止まない。手が震えてしょうがなかった。
多少魔力が増えたから、自分は人間なんかじゃないと調子に乗っていたのはケイファスのほうだった。ナイトレイヴンは鼻血すら出していないじゃないか。魔力だってまだ温存しているだろうに。
反対にこちらときたら、ギシギシと骨の軋む音が体に響いて動くたびに神経がブツブツ切れていった。
「上層部なら俺たちがなんとかする! ケイファスとアリサを貴様が語るな、エセ紳士……!」
ジェッドが立ち上がり、ケイファスを背に庇った。
「そんなんでケイファスを助けるっつーのかよ。なんてご立派な理由だよ、幻獣がよォ……!」
行く末を待ちきれず、別な騎士が剣を振り抜いた。
「特攻上等よな!」
魔力も尽きている魔法使いが、この上なにをできる。
「やめなさい。この人数では歯が立ちません」
年の功か、隊長ひとりが冷静だった。割れた眼鏡越しに幻獣を見据える。
「まず若者は引きなさい。ここは私が時間稼ぎをします」
そんなに冷静でもなかった……。こんなにも肩入れさせてしまうなど。あまりにも今回の隊が居心地よくて、ケイファスは関わりすぎた。人の括りには入っていたいけれど、こちらを深く知られては人の運命を捻じ曲げてしまう。それはケイファスの望むところではなかったのに。
「隊長、だめです……っ! あなたでも、無理だ!」
このまま全滅か――と歯を食い縛る。




