64. 器の破壊
ケイファスに連れられて、アリサは家に戻った。ふたりの家に。
「現実だよね? 帰ってこれたの」
「うん」
「まだ信じられない……」
アリサもケイファスも厳しい尋問を受けているつもりでいた。それが途中から風向きが変わり、客のような扱いを受けて、説明されてから自宅へ返された。
返事は近日中に、というだけで急かされなかった。
「お前らの潔白を証明するために」
少々乱暴だった感は否めないけれども、アリサはジェッドからの信頼を失ってもおかしくなかった状況だ。数日にわたる尋問など軽い処分と言えるだろう。
抱きしめあって、お互いの存在を思い知った。
しばらくぼうっとしていたが、できるだけ日常に戻ろうと腹を満たし、お風呂に入り、清潔な寝巻きに身を包む。
おやすみを言って自室に入ろうとして、引き止められた。
「ケイファスも疲れてるから、ひとりでゆっくり休みたいんじゃないかなと思ったんだけど」
「本気で言ってる? ひとりのほうが眠れない」
ひざ裏を掬われて、運ばれる。アリサも腕をケイファスの首に絡めた。
キスの嵐に飲まれて、アリサも懸命に応えた。
ぽわぽわしていると、寝巻きは剥かれていく。風呂上がりの高めの体温に、ケイファスの指はよく馴染む。
春の芽吹き色の瞳をしかと見据えて、アリサは告げた。
「ケイファス、……愛してる」
鋭いまであった熱のかたまりが、笑みの形に崩れていく。
「僕も愛してるよ」
彼のくれる口づけはいつも飴を溶かすようにゆるやかで、辛抱強いケイファスの性格をよく表している。
この夜、アリサの体内に埋め込まれていた魔力の器はあっけなく壊れた。
愛を確かめ合う最中にケイファスが見せた、苦悶でありつつ幸福に満ちた表情は、愛おしい。
後日、軍の指導で再び体の検査を受けたときにはアリサはなんてことない普通の人間の体に戻っていた。ダルデュアとナイトレイヴンという幻獣との関係を問いただされることはあったけれども、アリサ自体はなんの力もない人間だと刻印を打たれてしまえば、それだけで追及は終わった。
「これだけ、付けるの許してよ」
と魔法使いアッティに脚を触られて、なにやら輪っか状の跡が残った。痛みもなにも感じない線がぐるりと太ももを一周している。それは刺青のようにいつまでも消えなかった。
「なにかあったときに居場所を追跡するだけ。普通に生活していればなにもないから」
と、余計なことをするな、という脅しにもとれる台詞をくれて家へ帰された。
アリサより後に帰ってきたケイファスを出迎える。二人はお互い会えなかった間になにがあったかを話した。
ケイファスのほうはというと、軍からいろいろ話があったらしい。なまじ力があるために放し飼いはしたくないと、国のために働くと言質を取られた。
「それはこれまでとなにも変わらない、不便になるものでもないからね」
上層部のほんの一部にだけ正体は明かされ情報が受け継がれる。恩恵は、いちいち年齢を気にして軍を抜けたり入り直したりしなくていいこと。数年ごとの異動はやむをえないけれども、他の隊員から怪しまれることがあったとしても、上が対応してくれる。
ただ、ケイファスこそが幻獣扱いされたらどうしようと不安になった。
「国の奴隷になるのとは違うの?」
どうにも不穏な笑みを浮かべる。
「その気になったら行方をくらませるから、いいんだよ。彼らは僕が害にはならないと安心したいだけだ」
不老で人間が敵わない魔力量と技術を誇り、怪我の治りも早く、寿命もあるかわからない。もし反骨をこじらせたら脅威だ。
「隊長たちがね、かなり上層部に抗ってくれたみたいで人権は守られたよ」
「……そう?」
にこりとして、ケイファスはキスを求める。吐息を混ぜ合わせながら、アリサはぼんやりとこうして触れ合える幸福に目を潤ませた。彼の腕を叩く。
「ケイファス、お風呂……」
言い訳して抵抗してみる。
「待てない」
簡潔な答えに仕方ない、と諦めることにした。
服を脱いだケイファスの上半身に目を瞠る。大小の傷があることは前から知っていたけれど、知らないしるしが増えていた。
手を伸ばしてその肌に浮いた黒い輪に触れる。
「これ……なに?」
アリサの頬を撫でながら、なんてことないと平然と答える。
「国を裏切ったらちぎれるらしいよ。そんなことするつもりないから大丈夫」
「ちぎれ……る?」
口を開けても、空気が通るばかりで、それ以降言葉にならない。
「アリサ? どうしたの」
無言でケイファスの腕をとって、己の太ももへ誘導する。スカートを捲り上げて、膝より上にある、アッティがつけた「しるし」へと。
春の萌芽色の瞳をいっぱいに見開き、歯の隙間から細く熱い息を漏らす。慚愧と怨嗟がうずまく。
「ごめんなさい」
絶望に両目を押さえた。
彼の右腕と、アリサの左脚。いやなお揃いのしるしが刻み込まれている。――ケイファスが軍を裏切ったなら、同時にアリサの足もちぎれるのだ。
自分が傷つくぶんには構わない、けれど、ケイファスが巻き込まれるのは許せない。きっと逆も同じ。
「あたし、人質なんだね」
アリサ、と掠れた声に追い打ちをかける。
「……あたしの存在が足枷になってる」
「そんなことない」
「あたしが先に捕まらなければ、ケイファスはすぐ身を隠せたでしょ」
あの日話をしようと、ジェッドを家に招き入れた。そこから担ぎ出されて尋問を受けることになるとは思っておらず、簡単に連れていかれた。
「ううん。僕が油断してなければ、アリサも捕まってなかった。ごめん……」
ぐっと脚を握られて、ケイファスがどうにかしようとしているのは伝わってくるけれど、どうにもならなかった。魔力はぐるぐるとしるしの上を滑るだけ。
「僕はこれに干渉できない」
ぐっと抱きしめられて、抱きしめ返す。
「なんとかする。心配しないで」
彼からこう言われれば、本当に瞬く間に解決しそうな気がする。アリサはまた、なにもできずにいるのだろうか。
「こんなもの、なんてことない。アリサは忘れていいよ」
返事しようにも、くぐもった声しか出なかった。
きらりとした目尻に、ケイファスは唇を寄せる。ちゅうちゅうといたるところを吸いながら、アリサの服を脱がせていった。
全身くまなく調べるような愛撫。実際他におかしなものを仕込まれていないか確かめてもいたのだと思う。
泣き疲れたような気分で抱きしめあう形で眠り、どろどろと夢に落ちた。
新たな異変に気付いたのはやはりケイファスだった。
「アリサ……」
65話は8月7日朝10時に投稿予定です。




