58. 水棲精霊乙女
なにごとも中途半端はいけないものだ。
幻獣となったのだから、と人間に戻ることは諦めて泣き言も言わないようにした。主にウナに会いたい、とかカフェに戻りたい、とかを内に押し込めた。家族に会うなんてもってのほかだし。アリサにはケイファスがいるから、寂しくなんてない。
強がるアリサは実際に実力をつけるため、堂々と幻獣の世界を歩き、活動範囲を広げることにした。
ダルデュアの家の周囲は小怪物ばかりで、力試しにもならない。最初はやはり怖かったものだけれど、何事も慣れるものである。
うさぎたちを連れて足を伸ばして冒険していると、水辺に着いた。
「ケイファスと来た川に似てるかも」
うねうねと左右に曲がりくねる川幅は広い。
魚は、と覗きこもうとしたら、ざばり、と水しぶきが上がった。
「わ……」
ひとりの少女がアリサの直隣に座る。彼女を皮切りに続々と五人ほど、服を着ていない少女たちが水の流れから身を乗り出してきた。みんな傾向は違えども比べようもないほど美少女だった。揃いもそろって、人間ではない。
最初の子が親しげにアリサの太ももに水かきのついた手を置く。
「え、なあに?」
にこりと慎ましやかに微笑まれた。
「オトコ、ツれてコい」
……え?
男、連れて、来い?
可憐な声でとんでもないことを要求している。
「お、女でごめんなさい……?」
と形ばかり謝ってはみたけれど、通じた様子がない。
「オトコ」
「オトコ」
……そればかりを繰り返している。
飢えるような外見はしていないのに。女であるアリサはお呼びじゃないという。なのにみんなそれぞれアリサの腕や肩やふくらはぎを掴み、一気に川の中へと引っ張った。
「やめっ……ごぽっ、……」
水中でパチン、パチンと少女たちを叩いていく。案の定幻獣だったため、魔力を吸い取ることができた。彼女らの拘束は解け、アリサは川を上がった。
振り返れば少女たちのなまめかしい肢体がぷかぷか浮かぶ。また捕まらないうちに帰路を急いだ。うさぎは狙われることなく無事で跳ねて着いてくる。
早歩きで進むこと五分もしたころ、運動量が増えているのは確かだけれども、服は濡れているのに体は冷えるどころかぽかぽかしてきた。
脚が、なぜか思い通りに動かない。怪我もなにもしていないのに。川で溺れたから? そんなに怖かった? でも川の水を飲んでしまったが、鼻がツンとしただけで大した量ではない。
かくん、かくん、と足を踏み出すと力が抜ける。しまいには座り込んでしまった。なんだかくらくらして、まっすぐ座ってもいられない。
最後の視界には、うさぎのぷりぷりお尻が映っていた。ダーと、シャオ……。
「アリサっ!」
薄目を開けると、みずみずしい緑が飛び込んできた。
「ケイ、ファス……?」
周囲の景色はまだ幻獣世界だ。
「ダーが家まで来たからなにごとかと思えば……アリサびしょ濡れで倒れてるし、なにこれ!」
「すっごい美少女たちがいたの。川に引きずり込まれて……」
「 “Nymph”の……特に “ Haliads ” だね」
「幻獣だとはわかったんだけど……」
首を傾げたアリサの両腕が伸びて、ケイファスのシャツに指がかかった。
「なんで僕を脱がすの?!」
ボタンを外していると止められた。ケイファスの首が赤い。
「……え?」
なにも考えていなかった。自分の体を見下ろす。まだ服は濡れたままだから、溺れかけてからそんなに時間は経っていない。首元のリボンを取り去り、ブラウスのボタンを外す。それもケイファスに止められた。
「今度はなんでアリサが脱ぐの! 濡れてるから着替えたいのかもしれないけど、ここ一応外だから!」
そうだ、着替えもないのにアリサはなにをしているんだろう。
体はあたたかくて、頭が働かない。胸ももやもやする。一度水に沈んだだけだ。なのにごく短時間で熱でも出してしまったのか。
「……だめなの?」
「ダメ。とにかく帰ろう。立てる?」
「ううん。あのね、なんでか歩けなくなっちゃったの」
手をついて立とうとしても、足に力が入らない。
そうか、とケイファスは納得した様子だ。
「ハリアズは水棲乙女精霊だから陸上では歩けない。しかもアリサ、“ Nympho ”の特徴の片鱗が出てる」
「ニンフォー?」
「ハリアズの魔力を取り込みすぎたんだよ……」
それがなにを意味するのか、アリサには見当がつかない。
前髪をかき上げてため息をついたケイファスは、アリサを抱き上げた。
「ごめんね、ケイファス……迷惑かけちゃった」
目を逸らされた。迷惑だと肯定されたようで悲しい。
「まだだよ。まだ助かってない。……発散させれば魔力も落ち着いてまた歩けるようになると思うけど」
ケイファスの首に腕を回して、そのまま揺られた。
ベッドをぐちゃぐちゃにしてしまった。
自分の体ながら、信じられない。頭ではこれ以上は無理だとおもうのに、素直にもらえる慈悲に喜んでいる。
顔の横に置かれたケイファスの片腕に頬をすり寄せて、熱を吐く。
「そんなかわいいことして……」
「まさに欲情女だね、って?」
「違うよ」
猫みたいだね、と指の背で頬を撫でられる。
「ケイファス、これ、どうやったらニンフォーじゃなくなったってわかるの?」
「二本の足で歩けるようになったら、かな」
脚までガチガチになるほど緊張状態が続いているのに、歩けるようになるのだろうか。
「……このままだと逆に立てなくなりそう……」
「じゃあ、もうひとつのほう。アリサの元の香りに戻るまで」
「あたし、匂いが違う?」
腕を嗅いでも、よくわからない。風呂で使った石けんぐらい? 汗をかいたためそれも薄まって、かすかなものだ。
「いまは水草みたいな匂いがする。いつもはアーモンドミルクの甘めの香り」
目を細めて、アリサの首筋に顔を埋める。
「うん。……コーヒーと合うんだよね」
カフェで働いていた数ヶ月前ならば、自分でもわかるくらい焙煎した豆の香りが染み付いていたものだけれど。ケイファスはそんなふうに感じていたなんて。
知らないことがまだまだたくさんあるなぁ、と目を閉じる。ケイファスに追いつきたくて、アリサは勝手に幻獣狩りに似たことをしてしまったけれど、強さだとかは彼には無関係みたい。
「大前提として覚えてて。僕はアリサを愛してる。嫌なことなんてない」
軽いキスを落とされれば、もう笑顔になってしまう。
「ケイファス、大好き」
できたら愛してる、と返したかった。
けれどアリサが抱えているものが愛だと断言できる材料を持ち合わせなかった。これは紛れもない恋なのだと思う。ケイファスに振り向いてほしくて必死になるばかり。
同時にケイファスが向けてくれるものが愛なのは感じる。アリサの思いはまだ彼と並ばず、未熟なのだ。
こんなに尽くしてもらって、アリサから与えられる愛なんてあるのかな。
うとうとして、意識もあやふやになって、やっと終わったのだと思う。
「アリサ、約束してくれる?」
「な、に?」
掠れた声はまだ熱を引きずっていて、ケイファスの唇を引き寄せた。
「幻獣の世界を歩き回るときは、できるだけ僕にも声をかけて。お願いだから」
「やくそ、……する」
まともに声が出ないために、と返事はちゅ、で済ませた。
59話は7月30日朝10時に投稿予定です。




