55. きみを糾(あざな)う
ケイファスに諭されたけれど、決心はまだつかない。頭では行動するなら早い方がいいと考えつつも、いざ足を向けようとすると体が竦んでしまう。
アリサは実家へ先に訪れることにした。
幻獣の世界を介してしまえば村まですぐだ。
森にいるのはアリサの甥姪だった。もう夕日が地にお尻をつけようとしているのに、この時間にここにいるとなると、家に帰るのはもっと遅くなってしまう。日が沈むのはあっという間だ。
「あの子たちったら」
魔力を使って背中を押して、帰り道へと誘導する。
「わっ、なんだ?」
「へんな風ねぇ」
なんでなんでを繰り返しながら、走って家を目指してくれた。
「へっ、気味が悪ぃの」
「うん。やだね、なんか気持ち悪い」
あちらからは見えない位置にいたけども、かわいがっていた子たちから睨まれて、アリサは視界を閉じた。
それでも遠くから見守りつつ、家まで送れば、もうすっかり暗くなってしまっている。
くるりと振り返ると、そこにいた人物とばっちり視線が絡まった。
「アリサ、あんた……その目」
「お姉ちゃん……」
がっしと肩を掴まれて、アリサは硬直して目を見開く。
「どっか痛いところは? 苦しいの? 目は作り物じゃないのよね? ……ねぇ!」
寄せられた眉の下で南国果実色の瞳に水が張っている。
「また幻獣がどうとかじゃないでしょうね?!」
「体は元気だよ、お姉ちゃん。この目はね、……その、言うとおりなんだけど」
姉は本邸を一瞥する。
「お父さんとお母さんには会わないほうがいいわ」
姉はまだ柔軟なほうだが、保守的な父母が受け止めるには問題だ。娘が幻獣混じりになってしまったなどと。
「やっぱり?」
「絶対だめよ。とくにお父さんがあんたをば……なんて呼ぶことか。あんた早くあの軍人さんに相談しなさい。いいわね?」
たぶん、「ば」から始まる単語は「ばか」だったのかもしれない。けれど、父ならば「化け物」と言いそうなのだ。だから姉も言葉をためらった。
「う、うん」
すでに話はしているのだけれど、解決策はいまのところない。
「あんた今日泊まるとこあるの?」
「それは大丈夫。すぐ近く」
森に入れば、幻獣の世界を渡っていけるから。
「お姉ちゃん、みんなと、元気でね」
強く抱擁しあって、姉妹は別れた。
「おかえり、アリサ」
焙煎豆色の髪と春の若芽色の瞳。この組み合わせに心底安心感を得る。
「ありがと……」
ただいま、とまでは言えない。
「あのね、実家に……行ってきたの。でね、」
「うん?」
「魔力、使ったら甥っ子姪っ子が『気持ち悪い』って言うの聞こえちゃって。あたしの姿は見られてないんだけど、ね」
子どもながらの野生の感覚で、幻獣の雰囲気を察知されてしまったのだと思う。
「だから、あたしがやったって知らないからだとわかってる。でも、……」
そうか、アリサの魔力は気持ち悪いのか、失敗した――と思った。子どもが言った、なんてことない一言だけれど、アリサの心は抉られた。もし姿を見せて、以前との違いに言及されたら。そう考えると目の前に出てはいけなかった。
「お姉ちゃんとは話せたんだけどね、お父さんとお母さんには、会えなかった。お姉ちゃんが、会わないほうがいいって。あたしもそう思ったし」
ケイファスは、ごめんね、とでも言うようにアリサの手を握った。彼こそがこんな状況に幾度も晒されてきたはず。悪感情を向けられて、憎まれて?
彼がアリサの好意を丸ごと信じられなくても仕方なかった。
「気安く、ケイファスのこと好きって言っちゃってごめんね」
ケイファスのことを深く知る前に好きだと主張してきた。アリサが浅はかだったから、ケイファスは直接には思いに応えてくれなかったのかもしれない。
変わったのは目の色だけのようでいて、それまで持っていたたくさんのものを失ってしまった。
そしてまた、家に駆け込んで話しかけて……この人にとことん甘えてしまっている。
「アリサは、僕を好きになったことを後悔してるの?」
「してない。それだけは、後悔するわけないよ」
こうやって即答できるくらいには、いまだって気持ちに違いはない。見据えられて、ケイファスは口を動かした。
「僕……、すあ、……」
――すあ??
ぱちくりと瞬く。
「……愛してる、アリサ」
てっきり「好き」をくれるものだと構えていたら、もうそこからは大洪水に飲まれたみたいに体が傾いだ。
ケイファスにとって、好意を示すのは易しいことじゃない。重々しい熱が、アリサの心を掻き乱す。
「『好き』からはじめようと思ったけどやっぱり足りない。愛してる、アリサ」
静かに潤んで、彼の目の縁から落ちそうになる涙を見つめて、アリサはその胸板に飛び込んだ。唇をケイファスのものへ重ねる。
いつもアリサからのキスばかりだが、今度はケイファスからも動きがあった。ふに、と押しつけてから離れようとしたら向こうから追いかけてくる。
――あれ?
舌先でちろりと双唇の割れ目を辿られ、固まってしまった。
とくん、と脈が乱れる。
ちゅ、……ちゅ……、と少しずつ位置を変え、じっくり味わうようについばまれた。
こんなの、されたことない。
顔に熱が集まってくる。でもやめないでほしい。
乾いた表面の内側からしっとりとした呼気が流れてきて、アリサは分厚い舌を受け入れた。似通った互いの体温にとろける。ケイファスは、誰も知らないアリサの内側を知ろうとしていた。
「ふぁ……」
アリサから好きと言って、キスもしたけれど、さすがに思いを返されないうちに舌まで入れる度胸はなくて。やり方もよくわからないし。こうしてケイファスから同じ熱度を返されて、喜びに打ち震えていた。
二人の関係の進展速度そのままのゆるやかなキス。ケイファスはなにをするにもやさしい。
激しくなくていい。これが好き。
頭がふわふわして、力が抜けそうになったけれど、腰を抱いた腕が力強く引き寄せてアリサの体を支える。
引き続き、ちゅっとして舌を絡め取られることを繰り返す。じわじわとケイファスの抑え気味の熱意が染み込んでくる。
「……はぁ……」
終われば、ぺとりとケイファスの胸に頬をつけた。
これが、両思い。
次話で完結です。




