51. 首都を離れて
本日は50話および51話を同時投稿しております。
読み飛ばしにご注意ください。
姿が見えないくらいの所まで走って、耳をすませば幻獣の断末魔が届いた。それきり静かになる。
好きに歩けばいいだけなのに、足が進まなくなってしまった。ケイファスの方角だけは行けないけれど。
のろのろ、のろのろ。かろうじて進んでみる。
ぽん、と肩を叩かれて飛び上がった。
「アリサ? アリサよね。その目、どうしたのよ」
一番に飛び込んできたのは、紅い唇で、不思議そうにしている。へにゃりと眉を下げた。
「……いろいろ、ありまして」
家出を告白すると、ダルデュアは笑ってくれた。変なことをするのね、と。
「どこか泊まれるような場所、知りませんか?」
「いいわ、来なさいな」
尋ねると間髪入れずに答えが返ってきた。
止まったところには、建物がある。人間が住むような家の形をしていた。夢譚夫婦が洞窟に住んでいたものだから、すっかりその意識が定着してしまっていたけれど、人間のように生活している幻獣もいるのか。
「あなた、わたくしたち幻獣がみんな洞窟とか木の空に住んでるとでも思ってんじゃないでしょうね?」
「……ちょっとだけ……」
「だと思ったわ。いいけど。ここはわたくしの小屋のひとつよ」
「いくつもこんな家持ってるんですか?」
「男を連れ込むのに、相手によって雰囲気変えたいじゃない? ここ、使わないから貸してあげる」
「…………」
うっかり忘れそうになっていたがこの美女、男専門の吸血鬼だった。文句など言える立場にないので黙りこむ。
「きれいに掃除してあるわよ」
それは連れ込んだ人間に前の男の存在を知られないようにかなぁ、と邪推してしまったが打ち消す。
「でも、……いいんですか?」
「あなたがケイファスから離れてくれるならわたくしには都合がいいもの。ゆっくり口説けるわ」
ダルデュアの目的は彼の血だと明確にされているから、恋愛の口説く、ではないけれど。
口の内側の肉を噛みながらも、お礼を告げる。
「……、はい。ありがとうございます」
「やだ、辛気くさい」
多少心にめり込む言葉を投げられても、この人は裏を読まなくてすむから気が楽だ。
ひとまずの宿は手に入れた。
借家の周辺を散歩してまわるだけでも、小物らしい幻獣を見かけ、ときに襲ってこようとしたのでその度に魔力を奪った。略奪に慣れてきている自分が怖い。
幻獣の世界のきのこや植物、果物たち。はじめ口に入れるときはおそるおそるだったけれども、平気なようだった。アリサは幻獣に近しくなってしまったから、かもしれない。
ダーとシャオの二羽と外へ出ると、もはや帰巣本能なのかケイファスのもとへ連れて行こうとする。遠くから見るだけにとどめているが、いつこちらが見つかるかとはらはらしつつも、動いているケイファスをこの目で確認できるのは喜びだった。
どきどきして、きゅうとして――胸の中が忙しい。
戦い方を見ていたらわかる。ケイファスは自分を人間とは違うと主張しながらも、彼は人間を、仲間をとても大切にしている。それはとても人情味あふれる姿勢だ。
ケイファスが大切にする人たちを、アリサも――
それでつい、軍人側が危ないときについ手を振りかぶったら、幻獣を弱体化させてしまったようで、冷や汗をかいた。なんとアリサは溜め込んだ魔力を使って攻撃もできるようになってしまったらしい。
――ますます人間離れしていくな、とやや気落ちする。
それでも助けてもらった身が五体満足で、助けてくれた人たちに恩返しができるのはいいことだ、と自分に言い聞かせた。
それで助太刀を重ねた五回目の戦闘のとき。
ジェッドと目が合った、気がして瞬時に身を翻して逃げた。
あの切れ長の青目に獲物認定されればひとたまりもない。
「はーっ、うそうそうそうそっ」
うさぎをお供に文字通り脱兎のごとく、だ。ぜいぜいと呼吸をする。
振り返れば誰もいなかったけれど、肝が冷えた。足元の白うさぎに震える手を伸ばす。途中で止まる。
「びっくりしたねシャオ、……え。あれ?ダーは?」
後ろ足だけで立った子うさぎは、一点を見つめていた。
幻獣を倒し切った、とたんにジェッドは駆けた。ケイファスの目の前で。
戻ってきたときには、首にリボンをつけた白いうさぎを抱えている。ケイファスの魔力で作った、ふたりの大事な思い出。アリサにあげたうさぎだ。
「お前が作ったやつだろ?」
「あ、うん。大、だね」
まさか首都から遠く離れたこの地に――と混乱したが、疑いようもなくケイファスの魔力でできている。
「こいつと一緒にアリサを見かけた気がしたんだが」
思わずジェッドが走っていった先を振り返る。
「悪い。見失った」
ジェッドで追いつけないのなら、ケイファスでは遅すぎる。
けれど。身体能力の劣りなど関係あるものか。
渡されたダーを片腕に抱いて、アリサを探して走り回る。
ある程度進んだところで、肩の力を抜く。
「アリサは、僕に見つかりたくないんだね」
ダーの首輪代わりのリボンを解いて、結び直す。
「アリサにこれを伝えておいて」
真っ白な鼻先に唇を寄せて、ちゅっと音を立てる。
「頼んだよ」
地面に下ろすと耳をぐるぐる動かして、ぴたりと行く方向を定める。
相方シャオのいる場所がわかるのだろう。
ケイファスは、迷いなく飛び跳ねていくうさぎを追いかけることはしなかった。
さよならを告げる手紙ひとつでアリサは共同生活から抜け出した。ダーもシャオも、連れていってくれたのは嬉しい。
いなくなる日が来ることをわかっていた気がする。ケイファスは、「好き」のひとつも満足に伝えられなかったのだから。欲しがっていたのを察していて、だ。
彼女がいつケイファスに愛想を尽かしてしまっても大丈夫なように、と心の準備をしていたはずなのに。
痛みを伴う喪失。心に広がる空漠。
それらを埋めるように、町中にアリサのかけらを探した。彼女と歩いた道をなぞってはため息をつき、カフェを、一緒に入った服飾店を見かけるたびに息が止まる。
アリサはお茶が好きだったから、これはどうだあれはどうだとつい買って帰ってしまうのが癖になった。ケイファスひとりでは飲み切れないというのに。
百年二百年、これから時が過ぎれば、痛みは鈍るものだろうか。




