49. 幻獣になりつつあるアリサ
肉食系かと思われたダルデュアは実は理性的で、ケイファスの血を欲してはいても、襲ってまで奪わない方針らしかった。
そうなると次に注意すべきは、ナイトレイヴンか。
仕事帰りにそんなことを考えながら歩いていたら、ふわりと不自然な風が起こった。ともにフクロウの羽根が落ちていく。
「おや、せっかく魔力の器を贈ったのに、活用していないようだ」
「やっぱり、あなたの仕業でしたか。あたしもケイファスも大変な目に遭いましたよ」
主に辱めという意味合いで。
「おやおや。おいしい思いをしたの間違いではないかね?」
ははは、と丸い目を細める。まさか見て知っているのか、と後ずさってしまった。
「ははは! 見ずとも予想できるさ!」
笑い声とともに一陣の風が吹く。気づいたときには、アリサは宙に浮いていた。ナイトレイヴンがアリサの両脇を抱えて空を飛んでいる。
「なにをするんですか?!」
「なに、魔力の器の使い方を教えてしんぜよう」
空が緑とオレンジに彩られており、幻獣の世界へ連れ去られてしまったことを自覚する。
「帰してください!」
「はは、すぐ終わるさ。――それ」
あっさりと手を離し、アリサは落下した。
思考が動く前に、ほよん、と綿に似た反動を感じて、目を開ける。淡淡しい青色の絨毯に座り込んでいた。
視線を上げると、男がいる。――山羊の毛皮みたいに毛むくじゃらの体に、人間の男らしい顔が乗っている。動いた尻尾は馬のものだ。
「幻獣……?」
「ああ 、知らないかね。” Satyrs ” の好物はワインと女と少年だよ」
「それは、どういう目的でですか?!」
観賞用ならまだしも、食べるためだったら――。
幻獣は口にするものと人間を同列に語らないといけない決まりでもあるのだろうか?
「まだ青年期だから角が発達していないだろう、そこまで危険じゃないさ」
よく見ると額に突起が二つ、あるようだ。
「さあ、手をかざして」
右手を挙げれば指の間から、山羊男がこちらを見た。予備動作なしに、駆けた。一直線にアリサに向かってくる。思わず顔をしかめたくなる饐えた臭いが風に乗ってきた。
鼻同士がつく。忙しなくふんがふんがと獣の息遣いでアリサの髪に頭を突っ込もうとしている。
しまいには耳の後ろではぁはぁと聞こえて、生温かいものに撫でられ、
「えっ……いやぁっ!!」
手を振り回していると、ぱちん、と弱々しくも目標に当たった音がした。
手のひらが痺れている。気持ち悪い鼻息は止まった。
目の前に山羊男は倒れている。
胃よりも下のあたりがずしりと重くなった感覚がした。
「おめでとう、成功だよ」
「なに……?」
「お嬢さんは幻獣の魔力を吸い取った」
その事実は、自分の内に入れたという魔力よりよほど重く体に響いた。
ケイファスでさえ、口で吸わなければ魔力を奪えなかった。
ただ触れただけで魔力を奪えるのなら乱用できてしまえるからそれも道理、人間にはできぬこと、握手などでは魔力をとられないほうがいいのだと別な魔法使いからきいた。だとしたらアリサは「なに」になってしまったのか? 人間以外の、なにに?
ケイファスの魔力をもらってしまっていたときは、彼にもわからないほど少しずつ、無意識にやってしまっていた。けれどいまのは明確な加害だ。
――この幻獣に対して、いなくなってしまえ、と心の底から願ってしまった。
「なんてことをさせるんですか!」
「お嬢さんは魔力が欲しかったんじゃなかったのかね?」
「それは、ダメです。こんな危ないこと、ケイファスに心配をかけちゃう」
「もうやってしまったのにかい?」
「ナイトレイヴンさんがやらせたんでしょう!」
「だってできそうだったし、できたら楽しそうだからね」
こちらは恐ろしい思いをしたのに!
娯楽に付き合わされたのではこちらの身が持たない。
「もう帰してください」
「お嬢さんは肝が据わっていると思うがね」
ナイトレイヴンは呵呵と笑う。
アリサを家まで送ってから、ナイトレイヴンは告げた。
「その力で、ケイファスを助けることもできるんじゃないかね」
しばしアリサにもたらされた器そして魔力の使い方について考えて、立ち尽くすのだった。
仕事から帰宅したケイファスはすぐさまアリサの持つものに気づき、目を吊り上げた。
「アリサっ!」
「待って! ちゃんと説明するから聞いて」
彼は自身を落ち着かせるためにため息を吐いた。二人ともお茶を前に椅子に座る。
「ナイトレイヴンさんが」
「またあの人!」
名前を出しただけで、鋭く突っ込まれた。そして彼に幻獣の世界へ連れ去られて幻獣の目の前に落とされたことを話し始める。
「幻獣? どんな?」
「えっと……山羊と人間が混ざった、男の人? ワインと女性と男の子が好き? だったかな」
ぎりっ、と鳴るほどケイファスは歯を合わせた。
「色欲魔!」
「うん、そんな名前だった」
認めるとケイファスに頭を抱えさせてしまった。
「手で触ったら魔力を吸い取っちゃったみたいで」
ここに……とアリサはお腹に手を置く。
「ナイトレイヴンが悪いと言いたいけど、アリサもたいがい危機感が足りないよね」
「……うん、あたしも油断しすぎたなと思った……」
無言でケイファスはアリサを横抱きにして、寝室に入った。前と同じだ。
「抵抗したら縛ってでも魔力奪うから」
恐怖を感じたアリサはベッドの上で両手を胸の前で組んだ。やめてください、という祈りの形。
アリサのふくらはぎを掴んで、くの字に持ち上げる。狙いは太ももらしい。
「ケイファス、そこじゃなくても……」
手首とか、首とかからも魔力の吸い出しができることはわかっている。そう言い含めるとうっすらとした微笑みが返ってきた。
「縛られたい?」
スカートを押さえようとした腕をサッと胸へ引き寄せる。
「アリサが常にこれを覚えていて次はいつでも抵抗できるように」
吐息が内太ももにかかった。くすぐったくて身をよじる。でも掴まれた脚はびくともしない。
「……ふ、っ……」
太もも、舐め――られ、たっ。
ケイファスの指が食い込むのを感じて、体がこわばる。
血管の流れに沿うべく足の付け根へずーっと移動した後、ついにかぷり。音を立てて吸われた。
産毛が総毛立つ。
「――っ……」
なにが来るか覚悟していても、心と体は別物なのだと理解する。
お腹と内太ももと、噛みつかれるのはどちらが恥ずかしいかなんて、どっちもどっち、いやだって――なんて考えてる間にアリサの内にあった魔力は全て引きずり出された。
唾液で濡れた場所が冷える。また痕になっているかも。
脚を解放されて、身を起こした。
太もも近くに置かれた、ケイファスの拳が白い。
「ケイファス……どうしたの?」
前は、ケイファスは彼自身の魔力を回収しただけだった。サテュロスの魔力だと勝手が違うのか、うめき声をあげて背中を丸めている。
「具合悪くなった……? ごめんなさい」
きっと望まぬことをさせてしまったからだ。
「……これ、サテュロスの魔力が僕と相性悪い、だけだから……」
「ごめんね、あたしのせいでいやな思いをさせたね」
腕を伸ばして、ケイファスの頭を胸に抱き込む。
「ケイファスを苦しませたくないよ……!」
その原因を取り除く。やり方は慣れてきた。失った魔力が体内に戻ってくる感覚がある。
「だいじょうぶ、魔力を溜めてたからってあたしの体調が悪くなるとかはないもの」
薄目になったケイファスは、いまにも寝てしまいそうに寄りかかってくる。
「目の色が変わってたの、気づいてない?」
唖然として下まぶたに指を当てる。痛いとか熱いとかなにもない。まったく自覚がなかった。
「確実に体に影響が出て、る……」
言いながら寝てしまった。
これはもしかしなくても、幻獣のぶんの魔力だけでなくケイファスの魔力も奪ってしまった。そうでもなければこんなに弱らないだろう。
魔力を回復するため、しばらく彼は起きない。
せめてものお詫びに、いつでもケイファスが食べられるように食事を作っておこう。丸まった体に毛布をかぶせて、アリサはベッドを抜け出した。
「大好き、……」
ちゃっかり、意識のない頬にキスをしてからだけれど。
鏡を見ると、両目はギラギラした金色になっていた。
うわ、……と声が漏れる。
アリサだけれど、自分でさえアリサでないように見えて怖気が立った。
魔力の器に蓋をするように思い描くと、常夏果実の色は戻ってきた。それでホッとすると、再び金色がキラキラし始める。
少しでも気を抜くと、色は変わってしまう。そして日常には、油断する瞬間なんていつでもある。アリサにしたら、カフェなんて安心する代表だし、ウナの隣にいけばへらりと笑ってしまうし、奥さまのケーキを見てしまえばもうおしまいだ。




