47. 満たされた魔力の器
ケイファスと一緒に選んで決めた家は、アリサの実家の離れとよく似たつくりだった。
駐屯地よりやや “ Steamy Bean Bistro ”寄りで住宅街の中にある。寝室が三つに居間と台所が分かれていて、家庭菜園を作ろうと思えばちょっと楽しめるくらいの家。しかしそこには先客、真っ黒くろのニワトリが庭に放たれていた。
アリサの故郷名物は軍の人たちが持ち帰っていたし、首都でも繁殖に成功したのだと思われる。これも魔除けのためだろう。
いざ共同生活がはじまれば、うまくいっているのかいないのか。
アリサの生活は決まっている。カフェの定休日は七日のうちに二日あって、それ以外は働いている。残業も大してない。
逆にケイファスは不定休で、仕事の予定はアリサとてだいたいでしか知らされずにいる。討伐以来が急に割り込んだりすることもあるので仕方ない。
当直もあるため、ケイファスが家に滞在するのは多くて週の半分ほどだった。逆に待機期間が終われば三日以上連続で休暇をもらえたりする。
遠征があれば半月以上も家を空けたりした。
なるほどこれは、家を買うより宿舎にいたほうが便利なのもうなずける。食料も下手に買い込めないし、家を長く空ける時期は空き巣など心配になるだろう。
一人暮らし時代にはひとりでご飯を食べることが当然のため寂しさなどなかった。ところが誰かと住むとなると、それがもの寂しい。
これだけ忙しいなか、ケイファスは時間を作ってアリサとデートしてくれたのだと思うと嬉しいけれども。疲れさせてしまっていたかな、とも思う。
ケイファスの心と同期しているうさぎたちも大人しいものだ。
今日は早くケイファス帰ってこないかなぁ、と待ち侘びる。
ケイファスが遠征で地方に行ったときなどは、余裕があるときにご当地のお茶葉を買って帰ってきてくれた。アリサは笑顔でお礼を言って、彼のためにお茶を淹れるのが毎度になっている。
アリサが怒鳴っても、それから仲直りしても、ケイファスは「好き」と言ってくれない。でも行動はわかりやすく好意を伝えてくれているので、諦めの境地に入っていた。軽薄に好き好き言って行動が伴わない人間よりいいじゃないか、と。軽薄に好き好き言っているのはむしろアリサのほうなのだ。
ケイファスがいないとき、ケイファスのことを考えると、ぽかぽかお腹からあたたまるような気がしていた。もらったお茶のおかげかもしれない。
そう考えると、ただ寂しいのも悪いばかりではない気がしてくる。
そんなある日。
ケイファスがいるとそわそわしだすうさぎたちが、今日は耳を伏せて怯えていた。
「アリサ、僕に言ってないことはない?」
尋ねられて、思い返すもわからない。共同生活を始めてからは幻獣にも会ってないし、ケイファスが気にするようなことは皆無だ。
「え? そんなのな、――」
ない、と言い終わらないうちに抱き上げられた。人に馴れたうさぎや猫を扱うように軽々しく。
ずんずん進んでいく先は寝室だ。ケイファスのほうの。アリサは引越しして荷解きをして以降、入ったことはない。掃除も自室は各自がしているし、わざわざ入るような用事もなかった。
明かりを点けないのは、両手がアリサを横抱きにするために使われていたからか。
「アリサは魔力を持たないはずなのに、なんで体から魔力が漏れてるの」
「……あたしから?」
暗くて見えないのに、春の息吹色をした瞳が悲しみに染まっていることはわかる。
ベッドに下ろされれば身を起こす暇もなく、アリサは両手を拘束された。ケイファスであれば片手でこと足りる。
大きな手が頬に添えられて、そこから下がっていく。あご、のど、鎖骨、胸の谷間のやや下で一度止まる。
「本来ならここに集中しているはずなんだけど……」
心臓から右にずらした位置で、そこに魔力のかたまりがないことを確認して、再び手は動き出した。肋骨から脇腹へとぺったりじわじわと這っていく。服の上から、だけれども、隙間などないようにじりじりと内臓を探られていた。
「……や、……魔力なんて、知らない…………」
ぐっと手のひらで下腹部を押さえられて、「ここだ」と断言される。
「これ、僕の、魔力を溜め込んでる……?」
「ケイファスの魔力があたしの中にあるの?」
驚きつつ、沸き立つような喜びを感じた。ケイファスの一部が、アリサにある。
「自覚はない……んだね」
へその下だ。そこに、ケイファスの魔力が溜まっている? ケイファスを思うとあたたかいと感じたのは、魔力があったせい?
「これが、魔力……」
事情も言い訳も聞かれずに、ワンピースの裾がまくられる。ひやりとした空気に肌が晒された。
両手首は顔の横へ押し付けられた。脚にのしかかられている。細いケイファスの重量なんて、と軽く見ていたが筋肉は計り知れていなかった。
「僕の魔力だ、返してもらうよ」
「ケイファス、やだ……ねぇ」
大口を開いたのを見せつけて、アリサの腹に喰らいつく。一気に吸われ、魔力はどんどん減っていく。
「……やだっ……」
満たされていた器が、心が、空になっていく。たしかに黙ってケイファスの魔力をもらっていたのは悪かったかもしれないが、余剰分で、本人も気づかないほどだった。内に溜めているだけだったから悪用もしたことない。アリサに使い方はわからないのだから。
「…………!」
――アリサの中から、ケイファスがいなくなってしまう。
目尻から涙がこぼれた。
もう、ぜんぶなくなった。ぜんぶぜんぶ。空っぽ。
ぬくもりは消えて、穴が開いたような虚しさが残る。
顔を両手で包まれて、親指で涙を拭われた。
「人間でもない僕の魔力なんてアリサが持つには危険すぎる。どんな悪影響があるかもわからないんだよ」
「だって、あったかかったのに……心地よくて」
「僕の魔力が? 錯覚だね」
「違うよ、ほんとにケイファスの魔力にうっとりしてたの」
「ダメだってば。あってほしくないけど、次があったらもっと恥ずかしい場所から魔力を吸い取ってあげるからね」
ケイファスこそ首まで真っ赤なのだけれど。脅しは甘い誘いにしか聞こえなかった。
俯くと、お腹にうっすら歯形がついて、鬱血のあとがぽつぽつできはじめている。
「ごめん、痛かった……よね、湿布がいいかな」
アリサはいやいやをする。
「このままがいい」
好きな人がくれるなら、歯形も内出血も体に刻んでいたい。
ワンピースの裾を直してくれて、やさしくやさしく、抱きこまれる。
「この器、僕には壊せないみたいだ。アリサの生命活動を阻害するものではないようだけど」
「まだ中に残ってるの?」
こくん、と残念そうにうなずいた。
「あたし、このままだとケイファスの魔力を奪って貯め続けてしまわない? どうすればいい?」
「アリサも蓋をすることを意識して。僕も魔力が漏れないように気を引き締めておくようにする」
「……ごめんなさい」
知らないうちに体内に物を入れられて、ケイファスの魔力を奪っていたなんて。謝ることしかできないのが情けない。
「誰に魔力の器を埋め込まれたのか。こうなって、なにか思い出したことはない?」
「わかんない、お腹なんて触られたことないのに」
「触るだけじゃなくて、きっかけになる発言をしたとか」
こうして怒っているケイファスは論外。よく触れ合う機会があるのはウナだが、違う。アリサが人間でケイファスが不老不死のため、釣り合いたいがために悩んでいるなんて彼女には話せないし実際話したことはない。
ずっと記憶をさかのぼる。
ジェッドもカフェにくるけれど、体に触れたりしない。幻獣絡みの会話もしない。
その他に話したのは、ケイファスの退院時に会ったダルデュアと、
「ナイトレイヴン……?」
「あの人がやったの?」
「幻獣になりたいのか、って訊かれたの。触れると消える、フクロウの羽根に意味があるなら……」
あのとき羽根はアリサのお腹に触れて消えた。違和感なんかはちっともなかったけれど。
「お願いだからアリサは人間のままでいて」
春の息吹色をした瞳に見つめられると、体の内に種を埋め込まれているようだった。「願いごと」と称したその種は、いやおうなしに芽吹く。育った蔦はアリサを内から縛りつける。
彼のために、人間でいる?
「人間じゃ、ケイファスのそばに居続けられないのに?」
どうあったって、アリサは老いて死ぬことが確定している。ケイファスより先にいなくなってしまう。
きゅう、と腕に力が込められる。
「ケイファス、好きなの」
「……、ありがとう」
返事はそれだけ。
お腹の跡は一週間もしないうちに完全に消えた。




