46. 仲直り
すわ決別かと思われた往来での喧嘩以降、ようやく休日が訪れた。
反省した様子のアリサに、彼女の家まで来てほしいと呼び出され、ケイファスはのこのこやってきている。
伴侶のいる人たちに助言を請い、花束と焼き菓子を用意したところだ。アリサはそれらを笑顔で受け取る。
「来てくれてありがとう。お土産も嬉しい」
「いえ。先日は、」
「それはあとから、ね?」
くすりと笑う姿は愛らしく、怒りなど微塵も残っていない――ように見えた。
お詫びにと夕飯をご馳走になってからのお茶でなごむ。
「あのとき急に変なことを言いだしてごめん。でもいい加減な気持ちじゃないから」
「ううん。あたしこそ怒鳴ってごめんね、ケイファス」
アリサはとても冷静に謝った。焦るのはいつもケイファスのほうだ。翻弄されて、息もままならない。怒るのも笑うのもなんでもかわいい。アリサからされていることならば、いやではなかった。
「距離の取り方がわからなかったんだ。僕は臆病で、人と仲良くなってくるとすぐ怖くなる」
気遣うように見上げてくるアリサの目はあたたかい。
「なのにアリサはぐいぐい近づいてきて、距離なんてないみたいに笑うんだ。それで僕はアリサを――」
人差し指ひとつでケイファスは黙らせられた。
「好きって言わないでね。あたしまだ許せないから」
「えっ」
「少なくとも今日はだめ。絶対言わないで」
「あの、せめて仲直り……したいな、って」
「うん。仲直り、いいよ。しよ」
あっさり了承された。
許せない、とは言われたけれども、感情の処理は済んでいるから怒っていない?
ほっとして力を抜くと、アリサは首を傾げた。
「でもあたし怒ってるから、ケイファスのことおもちゃにするよ」
ひっ……。すっと背筋が伸びる。
まっすぐまっすぐ、好意を表していたアリサはかわいかったのに。しかし幽艶を含むいまも妖しいものがあってドキリとさせられる。
ひねくれさせてしまったのは、ケイファスの責任……、だから。一日からかわれるくらい、耐えよう。
「ところでケイファスは、好きでもない女の子に手、出さないよね?」
にこお、と真正面からの蠱惑的な笑顔にくらくらしながらも、そういう作戦か――と家まで呼んだ彼女の術中にはまったことを悟る。
「ハイ……」
答えたものの、これからなにをされるのか恐ろしい。
「とりあえずお風呂行こっか」
語尾にハートマークがついてそうなのに、とてもじゃないが喜べない。
ひとり湯船に沈み、これでいいのかと泡を吐きながらのぼせる前に上がった。
用意されていた真新しい服に着替えて、おそるおそる浴室を出た。はじめてのデートのときに、合う服の大きさは覚えていてくれたのだと喜びつつも、拭いきれない不安がある。
「おかえり」
ベッドから立ち上がったアリサもなぜだか着替えている。
「ね、ここ座って」
入れ替わる形でベッドに座らせられた。
アリサは数歩離れて立っている。
身につけているのは体の線が出ない、しかし太陽のような強い光には透けそうな裾が広がるふくらはぎ丈のワンピース。アリサの瞳に合わせた完熟した南国果実の色。アリサのかわいさを知り尽くし、全面に押し出すデザインになっている。
こんな、こんな……。
「これね、ウナちゃんがくれたの。ケイファスもこういうの好きかなって思って見せたかったんだ」
軽く裾を引っ張って広げて見せる。フリルとリボンのバランスがいい。透けそうでいて大事なところにはうまくフリルを重ねている。絶妙な職人技だ。
「どう? かわいい?」
「クッ……すごっ……く、かわいい。デス」
「嬉しい。ありがと」
ダメだ、ものすごく好きだと言いたい。でも今日のうちに言ってしまったら、……怒らせるより悲しませそうだ。
噛み締めた唇から血が出てそうな気がする。アリサがケイファスの頬に指を添えて、その指の上でちゅっと音を立てる。
「ケイファスは、好きでもない女の子にキスなんてしないもんねぇ?」
ぐぬ。
きみが好きだと、真っ向から一度でも告げていたのなら――。
今告げたところで、状況からして体を許してもらうために言い出したことだと受け取られかねない。それは違うから、告白はしない。
がっくりとして、シーツを握りしめる。
「はい、そのままうつ伏せに寝て〜〜」
指示されるまま、ベッドに腹這いになる。背中にやたらやわらかいものが落ちてきたかと思えば腰のあたりも肉感のあるものに挟まれる。
軽く頭を上げて確認すると、アリサがケイファスの上を跨いでいた。
押さえつけるように体重をかけられる。しかし、なんてことはない。身を起こそうとすればすぐ軽い肢体を転ばせられるけれど、そうしてはいけないのだろう。細い指が、ケイファスの肩を掴む。うなじから肩までを揉みながら移動させて――これは、マッサージか。
「強くしてほしいとか弱くしてほしいとかある?」
肩よりも腰まわりに意識が集中してしまって、それどころではない。
「ナイデス……」
もみもみ、ぐりぐり。むにむに。ぽふっぽふっ。
心頭、火を滅却すれば、また涼し。
マッサージの終わりにぺっとり、と背中に体を這わせて頬ずりをはじめた。
滅却滅却滅却、と脳内で呪文を唱える。
「ケイファス、おっきいねぇ」
事前に「手を出すな」と忠告されていなかったのなら、とっくに理性なんて高跳びしているのだが。
これ以上アリサの不興を買ったり機嫌を損ねて嫌われたくないがために爆発を耐え忍んでいる。
人間関係で主導権を握れる男ではないと自覚はあったものの、まさか文字通り尻に敷かれるとは、思わなかった……。
怒りを昇華したアリサはころんとケイファスの隣に寝転がった。
満足そうに目を細めている。ずくんと心臓を鷲掴みにするかわいさ。やはりアリサの笑顔に弱い。
落ち着いたいまなら話を聞いてもらえるだろうか。
「アリサ、家のことはこう考えてほしい。この頃アリサの周囲にも幻獣が現れるから心配なんだ。僕が安心したいから、すぐ駆けつけられる距離にアリサにいてほしい」
「幻獣って、ダルデュアさんやナイトレイヴンさんのこと?」
「そう。目をつけられてそうだから……」
「なら共同生活にする?」
と提案してくれたのは、アリサも家について考えてくれていたからこそ。けれどこれはケイファスのわがままだから、彼女からなにももらいたくなかった。
「用意した家にアリサは住んでくれるだけでいいよ。僕は宿舎に住み続けてもいい」
「ダメ。あたしもちゃんと家賃払って住む。それで、ケイファスも一緒に住んでくれなきゃ。必要なことや相談は毎日でもできるようにしたいっていうのがケイファスの主張でしょ?」
「だいたい、そう、かな」
「じゃあ、ほんとの仲直りね」
ちゅっと唇にキスされて、胸に抱きつかれる。へなへなと脱力のままベッドに沈んだ。たまらなくかわいくて、たまらなく苦しい。
だが、好きのその先へと進んでしまったなら、本当に取り返しがつかないことになる。ケイファスだけが幸せをもらって、アリサを幸せにできる自信がない。
ケイファスはまだ踏ん切りがつかないでいる。アリサへの責任の取り方がわからない。とてもじゃないがケイファスはまともな人間とは言い難いからだ。
かつてはれっきとした人間だった。気弱なところは変わらないけれど、成人しても背が低いままで。アリサくらいしかなくて顔も冴えないし自慢といえば魔力量だけ。
数多もの幻獣を倒して奴らの血だか魔力だかを浴びすぎたのか、ケイファスの抱える魔力は膨れ上がり、魔力を内包する身体も比例して異様な縦成長を遂げた。それがごく緩慢で長期間にわたっていたため、なかなか気づけなかったが。その前に、自分が歳を取らないことに、人の枠を外れたことに絶望して幾百年。
それでもケイファスは、幻獣を倒す生き方しか送ってこなかった。
歩みの違う人と化け物はひとつ所で共生できるのだろうか。
無防備なアリサの寝息を心の底から愛おしく感じつつも、抱きしめる以上のことができずにいる。
せめて、眠る彼女の額にキスくらいは、許されるようになりたい。
(おまけ/ジェッド視点)
ジェッドは駐屯地でいつも通りの朝を過ごしていた。
朝帰りしたケイファスはアリサからずいぶんなおもてなしを受けたようで、……完全に目が据わっていた。乱暴に椅子に腰掛けて背もたれにだらりと寄りかる。鈍いジェッドでもわかるくらい、穏やかだったケイファスは人が変わってしまっていた。
「……大丈夫か?」
「クッソかわいかった。理性ごと殺された。かわいさで人を殺せるんだね……」
殺せないと思うが??
充血した目は緑を濁らせてしまっている。おかしい。これ中身別人じゃないか。体を乗っ取る幻獣っていただろうか。むしろ死んで生まれかわった?
仕事で一徹二徹くらい共にしたことがあるが、ここまで豹変させるストレスとは相当な危険だ。
アリサなにやったんだ女って怖ぇな。
もはやわけがわからん。会話も成り立ってない。しばらくそっとしておいたほうがいい案件か?
「また喧嘩でもしたのか」
なにを思い出したのか、ぐっと耐えるように拳を握って頭を横に振る。
「シャワーでも浴びてきたらどうだ」
ハッとしたケイファスは、ふらりと立ち上がる。
「ミソソギに行ってくる」
みそそぎ? はて、と考え込む。
同僚のアッティがひょっこり部屋をのぞいてきた。
「ジェッドー、なんかケイファスがフラフラしてっけど、どこ行ったか知ってる? ほっといても平気かあれ?」
「ミソ、ソソギだかミソーギだかに行くらしい。 ミソソギってなんだ」
「は? 身滌のこと言ってんのか? 罪やら穢れを落とす――って、幻獣の血を浴びたって穢れの概念なんてねーくせに」
湯を浴びてさっぱりしてこいと言ったつもりだが、大仰な言い方をする。まるで滝にでも打たれにいくようだ。
後日ケイファスとアリサが同棲する一軒家を探し出して契約したそうだから、なんだかんだ言ってはいてもうまくやってるんじゃないか。




