45. プロポーズはできない
カフェの閉店間際になってやってきたケイファスは裏口側で待ってる、と告げた。
「終わったよ。どうしたの?」
「相談があるんだ。歩きながら話していい?」
散歩がてら、遠回りして家まで送ってくれるようだ。
「それで?」
「家を買いたいなって」
と悩ましく告げたケイファスにアリサはぱちぱちとまばたく。
「……駐屯地の宿舎を出たいってこと?」
軍所属の軍人は基本駐屯地で生活することを余儀なくされる。所帯持ちとなって家を構える者もいるが、各地方へ異動を命じられれば従わざるをえないので、妻子を置いて単身赴任か、結局家を売って引っ越すことになるのだ。
ケイファスは(一応)独身なので、宿舎にいたほうが健康的な食事も出るし便利なはず。
「宿舎に文句はないんだけど、アリサに住んでほしい」
自分の名前を唐突に出されて目を剥く。
「……ごめん、わかんない。家が欲しいのは、ケイファスだよね?」
一度たりともアリサは家が欲しいなんて発言はしたことない。家どころかハンカチ一枚だっておねだりはしないでいる。それにいまはケイファスの話をしていた。
「うん。僕が家を買うから、そこにアリサに住んでほしい」
ケイファスが買う家に彼自身は住むのか住まないのか? やっぱり意味不明だ。
「家事をしてほしいの? それとも家屋の維持管理?」
「ううん、洗濯掃除は自分でできるし、維持管理もちゃんと僕がする」
状況を飲み込めなくて、首をひねってしまう。
「つまり、なんというか、アリサに家をあげたいんだ」
あげたいって、そんな馬鹿な。ペットの小屋という規模の話でもない。
「……家を、あたしのために? 買うって言ったの?」
「うん」
なんだか景色が色褪せてケイファスが遠ざかる。なにをどう考えて、そんな高額なものを贈ると言っているのだか。
「手切れ金代わりってこと……?」
としか考えられなくて。
「なんでそうなるの?!」
ケイファスは驚いている、でもだからって――。
「結婚してるならまだしも、恋人でもないのに家を贈るっておかしいよ。ケイファスを好きになる女の子にみんなそういうことしてきたの? その子たち喜んだ? あたしは嬉しくない。怖いよ」
「こ、恋人、でもない……? 怖いって」
目を白黒させている。
「――だってあたし、ケイファスから好きって言われたこと、ないもん!」
はあ、と強く息が漏れる。
まさか、気づいてないわけがない。好きと言うのもキスをするのもアリサからだけだという事実に。ケイファスから迫ってきたときは、アリサのことを幻獣だと思い込んでいたからだ。
誰にでもやさしいケイファスは友人以上恋人未満のアリサを大切にしてくれるけれど、決定的な言葉をためらう。
アリサが理解できるように、ちゃんと言ってくれなきゃいやだ。
――アリサとケイファスは恋人ではない。
ケイファスの認識では、だって、……変だな。
手は自然に繋げるようになった。抱きしめるのは稀かもしれない。キ、キス……は、アリサからしてもらうばかり、である。
あまりにもアリサから好き好きの好き好きからの好き好きと言葉でも行動でもあふれるほど伝えてもらえていたから、受け止めきれず、こぼさないようにするので精一杯で。
わかっているのはケイファスからの「好き」が伝わっていないことだけ。その二文字を声にも文字にもしていないけれど、他のやり方で訴えたつもりでいた。
家のことだって、アリサに結婚願望がないにしろ、ずっと一緒にいられる形を考えればそれくらいしか思いつかず。
アリサを大切にしたいから、その生活を守りたいからと説得して――納得するだろうか?
「……ぅあ、ああっ――」
頭を抱える。どこから。どこから修正すればいい。契機はどこだ。ケイファスはアリサが好きだし彼女以外考えられない。女の子から好かれた過去なんてないし、プレゼントを渡したりもらったりなんてとんでもない。
長い人生で、女性に惚れたことはそれなりにあった。その度に手酷く振られているわけだが。
それで上手に、「好き」だと告げることができなくなっていた。時間に換算してしまえばあまりにも短い言葉なのに、とても重い。
好意を返してもらった経験もないから、いざ好意をもらってしまえばいい気になってとんでもないことをやらかす。有頂天から真っ逆さま。いまのケイファスがいい例だ。アリサの心身の安心と安全を確保を、家を買うことで補おうとした。
これ、挽回できるか?
「ケイファスのばかっ」
しまった、考え込みすぎた。
「えっ……アリっ……アリサ、待ってっ!」
最後にきゅっとした目尻の涙を見て、足がすくんでしまいアリサを逃した。
ケイファスが、泣かせてしまった。
膝を抱えてめそめそ泣いているケイファスを回収したのは、仕事上の相棒兼友人だ。ただし引きずる力の手加減はしてくれない。
「吐け。全部だ」
喝を入れて、状況を説明させられた。
「うう、ジェッド……」
嫌そうに形のいい唇を歪ませて、ケイファスの額をつつく。
「モテない童貞男のクソ仕草やめろ」
事実であるがゆえにひどい。
貢ぐにしてもモテる男、モテない男では差があるという。
「だってあれだけかわいい子が僕のこと好きなんて動揺するだろっ。いろいろ抜け落ちもするよっ」
「アリサのせいにするな」
「……ごめん」
「どうしようもないぞ」
「ほんとにごめん。どうしよう、助けて」
涙を流しながらすがりついたらうっとうしがられた。
はっきりと「好き」が言えなかったのは、自分の意気地がないせい。言い訳できる予防線を張っていた、ようなもの。関係を進ませてしまうのが怖かったから。ほんとうの意味でケイファスを受け入れてくれるのか不安だった。
ケイファスは何百年も臆病なままだ。
ケイファスに怒鳴ってしまって喧嘩別れのようになってしまった翌日、早くもアリサは後悔していた。いや、後悔は怒鳴った直後からしているのだが。
どうやって仲直りすればいいのか悩んでいた。
それでやっぱり、相談先はアリサの不調に気づいたウナだった。説明し終わると、しょんぼりと肩を落とす。
「怒るにしても、怒鳴ることはなかったな、とは思うんだけど……でも家はさすがに。ついていけないなって」
うんうん、とウナは適切なあいづちを差し込みながら、話を親身に聞いてくれる。
「アリサちゃん、聞いてくださいませ。大切なことですわ」
やわい手で両手を包まれて、怒りを吸い出されていくようだった。
「……なあに?」
「歴史や文学の話になるのですけれど。私が家庭教師から教えてもらった雑学ですわ」
前置きをされてはこれからの話が長くなりそうで、身構えた。
「それが?」
「その昔、このラセペレセ国に取り込まれた、ペレソという小国がありましたの」
「うん、習った……かな」
自国の成り立ちと拡大と縮小の遍歴くらいはうっすら覚えている。
「ペレソ国では挨拶を重んじ、奥ゆかしく、遠回しな言い方を好む文化があり、直接的に思いや考えを伝えるのは下品とされていましたわ」
「そうなんだ……」
ウナの真剣なまなざしに飲み込まれるようにアリサはその手を握りしめていた。
「天候や季節の変化に逐一触れて話すことは、一種の愛の告白とされていたのです」
「……――ん? なんで?」
この講義は果たしてどこに終着するのか。
「――あなたと外へ出かけて、季節が変わるまで語らいたい。
――世の中の変化を見られるほど、あなたと長い時を共に歩みたい。
そういった思いを込めているから。
そして何回も、何日にも渡ってお伝えするのがこの形式の作法ですわ」
ぽかん、とするアリサに、ウナはうなずく。
まさか。出会った瞬間から、ケイファスは長ったらしい挨拶をしていた。そこから導き出されることなんてある?
「えっ……それって、もしかして常識?」
少なくとも、田舎では聞いたことがない。挨拶は相手を認識するものでしかないし、天気は作物に関わる以外に重要視していなかった。
「一般教養ではありません。そうですわね。八百年から五百年ほど前の、上流階級では主流だったそうですわ」
大昔の。貴族の風習。
「そんなの知らないよ〜〜!」
そもそもがアリサに知識がなければ成り立たない。説明もしてくれたことないのに。
「私もきっとアリサちゃんには伝わってないと思ってましたわ。世の中の八割の人は知らないことでしょうね」
日月の遠近が、花卉の種々が、涼風だの凩だのと、あれが愛の告白だとしたら。顔を合わせるたびに、彼は好きだと言ってくれていた……?
「やっぱり、ケイファスはおばかだと思う……」
天才となんとやら、紙一重の表と裏をいったりきたり。
下がり眉のウナも「そうですわねぇ」と同意した。
「ついでに家については……。住居を用意するというのは、男性側の財力と包容力を示すイーユァン国での伝統的な求婚様式ですわ……」
「……それは聞かなかったことにするね」
「そうですわね、踏み込みすぎましたわ」
「ううん、ありがとう。ウナちゃんがいてくれなかったら、あたしケイファスを疑って意固地になっちゃってたと思う」
お互いの肩に頭を乗せあって、微笑む。
これで長ったらしいケイファスの挨拶の謎は解明した。けれど、ケイファスから説明されたことではないし、とアリサは心に留めるだけにした。




