44. プロポーズはいらない
駐屯地を目指しながらゆっくり歩く。
「病院ではごめん」
「ケイファスが謝ることじゃないよ」
「ダルデュアは僕を狙っているけど、恋とか愛じゃないから」
「ケイファスが彼女をそういう意味で好きじゃないのは見ててわかったよ」
「ほんとに違うから」
はぁ、と短く息を吐いて、ケイファスを見上げる。
「好きじゃないなら、はっきり断って突き放してあげるのも優しさだよ?」
それはダルデュアに対してだけじゃない。アリサを好きじゃないのなら、たとえ好きであっても恋人にできないのなら、いさぎよく振ってほしい。
「僕だって悩んでるんだ……」
くしゃりと前髪を掴んだ。
「これは、大抵の女性には大切なことだと思うんだけど」
「うん」
「僕は結婚ができない。戸籍がめちゃくちゃだから」
これまで軍に入るにしても、戸籍を用意するにあたって偽造、もしくは他人の戸籍を売買したという。婚姻届けを出したとて、それは真にケイファスとの結婚とは言えない。その戸籍は何百年も前に途絶えたもの。
「結婚できなくて、なに?」
この返答は予想してなかったのか、目を見開いている。
「こんな体だから、子どもも持てるかわからない。持てたとしても、どんな子が生まれるか……アリサの体になにがあるか心配もある」
「あたしが一度でも、将来はどうなりたいとか母親になってみたいとか、誰かのお嫁さんになるのが夢だとか言ったことある?」
「……ない、けど、……交際の先には、責任とか、あるよ。アリサの望む人生にしてあげられなかったら、僕はどう償えばいいのか」
一向にケイファスからの思いが返ってこないと思っていたら、彼なりにアリサとの関係を真剣に考えてはくれていたらしい。
それをぶち壊すようなことを言うけれど。
「正直、結婚はよくわからないの。子どもも、できたとしても自分の子だからってかわいがれるか自信はないし」
「そ、そう……?」
甥姪はかわいいけれど、そう思えるのはアリサが子育てしたわけではなく遊び相手くらいにしかならなかったからだ。子どもを持つことに現実感がないのは自分が未熟だからなのか、結婚を急かす親に対してどこか反抗的になっているからなのか。
「うちの故郷のしきたりはね、基本通い婚なの」
「それって……?」
「お姉ちゃんとお義兄さんが付き合うでしょ、それで家長は子どもの恋人の顔を覚える。お義兄さんが家に通ってね、お姉ちゃんが妊娠してからやっと結婚の許可が下りるの」
「成人した男女なら双方の合意があれば、教会に行くだけで結婚できる、よ」
「法律上はね」
「結婚前に妊娠してしまうほうがいろいろ大変じゃ……」
「でも、お姉ちゃんとお義兄さんが教会行っても、お父さんが同席して『許す』と言わない限り、司教さんは取り扱わないんだよ。それで、結婚は跡取りができてから。それがうちの風習」
地元の風土に合わせられない教会、というか聖職者は潰されるものだからたまらない。
「たまたま、お姉ちゃんとお義兄さんは愛し合ってるし、子どもも望まれて産まれてきた。それは素晴らしいことだと思う」
「たまたま……ってことはないんじゃないかな」
「家庭によってはね、好きな人がいたのに、別な人から強引に押し切られて、まぁ結果妊娠しちゃって、諦めて子どもの父親と一緒になることも珍しくなかったりする」
「それはつらい……」
「あたしの母親のことね」
他にも何組か似たようななりそめを持つ夫婦がいるらしいけれど。
「えっ」
「お父さん、お母さんのことそれくらい好きだったらしくて、最後には丸く収まったんだよ。こうしてあたしもいることだし?」
長女とアリサは一回り年齢に差があるから、母が折り合いをつけるのにそのくらい時間がかかったのだろう。
自身を指差してにこり、と笑うけれどケイファスは苦々しいものを浮かべている。
「都会に出てきちゃったのは、そういうのがいやになったのもあるかな」
幻獣が恐ろしくて飛び出したのもあるけれど。いや、どちらにしても逃げているのは変わりなかった。
「それを、アリサはどうやって知ったの……」
「自分の親のことだもん。なんとなあく、察せられちゃうものだよ」
喧嘩をしているわけでもないのに、両親の微妙に噛み合わない仲。近所の集まりで語られる、どこそこの誰がモテて、付き合って別れただの言う昔自慢。はたまた親戚の話やら、情報の欠片はいたるところに散らばっていた。
「あたしは、結婚に夢はないの。両思いの人と一緒にいたいだけ。だから、プロポーズはいらない。あたしもしないし、ケイファスもしないで」
ケイファスの顔がゆがむ。
「その、えっと、アリサ……抱きしめて、いい?」
唇をきゅっとして両腕を広げるものだから、アリサは飛び込んだ。好きだとは言われないけれど、こういう扱いをされれば、思いは募っていく。
いい子、いい子と大事そうに頭を撫でられれば、もっと懐いてしまう。
ケイファスはアリサとの関係にまだ答えを出してくれないけれど、真剣に考えていることは伝わってきて、それがとても嬉しかった。
「あたし、ケイファスに大切にされたこと、一生忘れないよ。あたしが人生で望むことなんて、きっとすぐ変わっちゃうから気にしないで。思い通りにならなくても、あたしは後悔しないから、償おうなんて考えないでね」
一度は「好きでいていい?」なんて殊勝なことを告げておきながら、デートで味を占めてしまった。アリサが勝手に好きになって、想いを押し付けているだけなのに、ケイファスに責任を求めるのは見当違いだ。
うん……、とくぐもった了承が聞き取れた。




