43. ケイファスの退院
夕方、アリサは仕事終わりに病院を目指していた。ケイファスが退院する日だった。
担ぎ込まれてから三日経っている。使い果たした魔力は二日をかけて回復したものの、小さな怪我も残っていたうえ、検査もあって日数がかかった。
病室の近くになると、開きっぱなしのドアから男女の声が駄々漏れになっている。覗くと、ケイファスと赤髪の美女が向かい合っていた。
「えっ……」
小さくもらす。
カフェに一度「ケイファスはいないか」と訪れた人だ、間違えようもない。こうして見るとふたりの身長はとてもいい塩梅だ。
寄り添う立ち姿がきれいに見えて羨ましい、なんて――。
「帰れ」
「まあッ! あなたがこのくらいの大きさの時から知ってるわたくしに向かってその言種!」
彼女の指を伸ばした手は彼女のあごのあたりを示している。ちょうどアリサの身長くらい。
たぶん? 少年時代から知っているという意味だ。
「アリサ!」
こちらに気づいたとたん表情を明るくしたケイファスに、美女もなにごとかと文句をやめた。
「ごめんね、お取り込み中?」
「ううん、絡まれてるだけ。来てくれてありがとう」
「あの人ケイファスの名前を知ってるけど……?」
どういった関係なのかを尋ねると、
「顔見知り、かな。ダルデュアといって、言動のおかしな人なんだ」
単なる顔見知りにかけるにしては、攻撃力の高い表現だ。
「おかしなのはケイファスのほうよ。あなた変わったわ。いつも寂しそうなところがかわいかったのに。個人に入れ揚げるなんてしたことなかったじゃない。その子はなに?」
すいと視線を移されて、その眼光の鋭さに身震いする。
「カフェで会ったわね?」
おずおずとアリサはうなずく。
「カフェに行ったのか?」
「ええ、ケイファスを探しにね」
「アリサに手を出すな」
きょとん、とした美女は丸くなった目で、同性からの視点でも愛らしく映る。次には真っ赤な唇が弧を描いた。表情だけは少女みたいに、いとけなく。
「なぜ? わたくしがわざわざ手を下さなくとも、人間なんて放っておけば勝手に死ぬじゃない」
その無垢さと台詞の意味の差異に、ウッと胃に異物を突っ込まれたみたいな気持ち悪さが襲った。それはすごく重くて、岩みたいにごつごつしていて体を内側から痛めつける。
彼女は明確に、ケイファスと彼女を同じ枠に入れ、アリサを弾いて境界線を引いた。
彼らは長いながい命を持つ。
アリサはなんの力もない、人間だから――。
「知っているでしょ、わたくし気は長いのよ。人間ひとりが死ぬまでくらい待ってあげる」
くすくすと、三ヶ月とか五ヶ月といった、働き蟻の寿命を話してるかのようだ。
「やめろ!」
まざまざとケイファスと自分は違う生き物なのだと突きつけられて、胸が苦しくなる。……わかっていたはずなのに。
時の歩みかたが違うのだ。アリサがこの世からいなくなってもケイファスは生きていく。そしてそこには、この麗しの君が隣にいつまでも立っているのだろう。
視界でケイファスの拳が震えているのは見えたけれど、アリサは彼女に対峙する力はなかった。精神面でも、肉体面でも。愛嬌がある自覚はあるし、そうであろうと努めているものの自分の容姿にそこまで自信はない。いくら愛嬌があろうとも、死んでしまえば……。
「お話し合いは、ちゃんとしたほうがいいよ、ケイファス……」
ケイファスの両脇から生えたしなやかな腕が、赤く染まった爪でアリサに向かってひらひらとした。ケイファスは胴体に絡まった腕を剥がそうともがくが、
――見てられない。
ケイファスの付き添いに来たのに、置いてきてしまった。ダルデュアがその役目を果たすのだろうけれど。
「お困りかな、お嬢さん」
カツンと杖をついて、くいと帽子を上げる。
「幻獣の世界じゃないのに、どうやって?」
「おや。ケイファスがワタシのことを教えてしまったかな」
「はい、ちょっとだけ」
そうでなくとも、彼は人間とは異質さがだだ漏れている。幻獣だと言われたほうが納得するほど。
「ふむ、話を聞こうか?」
「ナイトレイヴンさんは優しいんですね」
「優しい? ワタシが。ははは、お嬢さん、騙されやすくはないかね?」
夢譚夫婦にも騙されたし、アリサは他を信じやすすぎるのだろう。
「だって、あたしが困ってると思って声をかけてくれたんでしょう?」
「面白いものを見逃せないだけなのだよ。異端のケイファス然り、お嬢さん然り」
「あたしは、面白いことなんてないですよ」
「あのケイファスを受け入れているのだ。お嬢さんにはなにかがある」
「それはあたしが、ケイファスのことを好きなだけなんです。ケイファスはあたしを受け入れてくれないし……」
そっと目を伏せる。
「きっとあたしが、ただの人間だから」
まぶたに浮かぶのはダルデュアの姿だ。白肌に赤く滴るような紅が映え、人間離れしている。事実、幻獣だった。
あれだけ情熱的な赤をアリサも身に纏えたなら、違っただろうか。
「お嬢さんは、幻獣になりたいのかね?」
丸っこく人懐こい猫のような目は不思議と警戒心を解かせる。
「いいえ。ケイファスと同じになりたいです」
「ふうむ。まったく同じは難しいだろうが、似たようなものにはなれるんじゃないかね?」
「どんなふうに……ですか?」
「お嬢さんはケイファスをなんだと認識している?」
問われたのは人柄ではないだろうし、肩書きの話だろうか。
「軍人で、魔法使い、です」
「さような認識か。ならば魔力を宿さねば」
ついと指差すのは、アリサの胴体だ。自分でも手のひらを当ててみる。魔力とは、通常このあたりにあるものなのだろうか。
「アリサ!!」
背中からがばりと抱きしめられる。
「ナイトレイヴンになにを言われたか知らないけど、耳を貸してはいけない。所詮は幻獣、九割はからかって楽しんでるだけだよ」
「ははは! はははは!」
笑い声は肯定しているかのようだ。
ぶわりと起こった風に紛れるように、ナイトレイヴンは姿を消した。以前と同じくひらり、とフクロウの羽根が落ちてくる。それはアリサの鼻先をくすぐり、胸を降りてへそを撫でて、パチンと弾けて空気に溶けた。
息遣いの荒いケイファスの体は熱い。
「退院したばっかりなのに、走っちゃだめだよ」
ぎゅっと締め付けられる。さっきこの長身をあの人が包み込んでいたかと思うと、アリサからは抱きしめ返せなかった。
「僕は、アリサと一緒に帰りたい」
「……うん、帰ろ」
ケイファスの向ける目が優しければ優しいほど、アリサの胸は痛んだ。
並ぶ大小の影は、人と幻獣なんて分け隔てがない。




