40. I Got You.
アリサは幻獣の世界を小走りに突っ切っていた。
ダーとシャオは次第にぐったりとしてきて、アリサの肩にしがみつく力もなくなってきている。鞄の蓋をめくって中のタオルの上に乗せると、ダーがシャオを後ろから覆うように抱きしめた。二匹は脚を同じ方向に伸ばす。
「無理しないでね」
耳を撫でると、薄目になった。
「おやおや」
人の声に横を向く。
「おやおやおや」
肩が触れ合いそうな位置に、にやりと笑うスーツ姿の若い男性が紳士杖を握っている。ぎょっとして距離を置けば、軽く帽子を上げた。深い深い闇色の髪がさらりとしている。
「ごきげんよう」
「こ、こんにちは……?」
ずいぶんと演技がかった貴人だ。いまどき「ごきげんよう」なんて使う人に初めて出会った。時代劇から飛び出してきたみたい。
「見覚えのある魔力だと思ったが、人間のお嬢さんとはね。どうやって入ってきたんだい?」
弱った子猫を見つけてしまったときの顔つきをしながら、アリサの持っている鞄にまんまるとした目を落とす。
「はっはぁ、この魔力うさぎの散歩中かね? だが魔力も持たないお嬢さんが幻獣の世界を歩き回るのは関心しないな。よし、魔除けをしておいてあげよう」
あっという間もなくアリサの手を取り、指先に唇を近づける。手袋越しだからなのか、彼の手は硬くてひんやりとしていた。そしていちいち芝居くさい。
「……あの、あなたは?」
するりと抜いたため唇は指につくことなく、男は顔を上げて名乗った。
「夜さり鴉と呼んでおくれ、 お嬢さん。魔除けはあまり長続きしない、すぐに帰りたまえ」
すぐに、と言われても帰り道の保証なんてない。それにいまは探し人がいる。
うさぎの魔力に覚えがあると言ったこの人にケイファスを知っているか、と訊こうかどうしようか悩んでいる間に、紳士は音もなく消え去っていた。
ひらりひらり、鳥の羽根が降りてくる。先が丸っこくて、見上げたアリサの鼻をちょんと突いてそれも消えた。
「……え?」
紳士とは普通に会話できていたし、人間のようだった。強いていえば、整った鼻筋と唇のわりに丸っこい目がちぐはぐかも、というぐらい。幻獣だったとしたら、アリサの知る夢譚夫婦の持つ恐ろしさはなかった。
優しげな言葉とは裏腹に、凍気をはらんだ雷雲のような瞳だけが強く焼き付いている。
「……なんだったんだろう?」
こうなっては、うさぎの行きたい方角へ向かうのみだ。
どのくらい進んだのか。太陽も月も見当たらないのに、どうやって時間の経過をはかればいいのだろう。
うさぎはもう、撫でても反応がなくなってしまった。
平原から森へ入り、紫の葉の絨毯を踏みしめながら進み――
目を瞠る。
長身は木の幹にもたれかかっていた。前開きの軍服の下から覗くシャツの襟と袖はへどろか原油のようなものがまだらにこびりついて、見るも無惨な姿になっていた。
「……ええ? こんなときに、幻獣……? 」
どこかのんきな声だった。幻獣だと勘違いはされてはいても、警戒されてはない。
「あたし、アリサだよ」
近くに寄って座り込むと、ケイファスはふわりと笑った。
「うん。アリサに、見えるね、すごいな“ Baobhan Sith ”か……本物みたいだ。ダメだよ、僕の血肉なんて。言ってることわかる? 僕だって人間とは言えないからね、きっと美味しくないよ」
意識も朦朧としているのか、ケイファスのほうがわかっていない。なんだかとても不穏そうな幻獣だと取り違えられたまま、話は進んでいく。
「僕はもう魔力が尽きたから、なにもできないけど。いまどき簡単に人間の前に出てきちゃいけないよ。早く縄張りにお帰り」
言ってから「あー」、と首を傾げる。
「僕のほうが侵入者か。ごめんね。ここが安全そうだったから入ってしまったんだ。傷は塞いだからあとは魔力が回復するまで休ませてほしい」
出血はひどいのかと心配したが、怪我はないらしい。ちらと見渡す。ここに来るまでも、アリサは誰も軍人を見なかった。
とりあえずケイファスが見つかった。現実を確かめるようにアリサは鞄の肩紐を握りしめる。
ちょっと短いので次話(41話)も同時投稿します。




