4.幻獣退治
「水だ!」
どこからの自信なのかジェッドは断言して、繰り返す。
「水! 真水が要る!」
この付近には井戸はおろか、川すら流れていない。塩水の海だけだ。しかも、ナッケラヴィーは海から生まれた幻獣だ。水を恐れるとは思えなかった。けれども、この場で水を生み出すことはできなくはない。
「海水でなければいいんですか?」
「……そうだ! たぶん!」
根拠はよくわからない。しかしその自信に賭けてみようと思う。
「ケイファスくん、できますか」
訊いてきた隊長に肯定を返す。
地に足を踏ん張りながら、ケイファスは手を外へ向ける。
熱を加える。水蒸気が昇り、空中で固まっていく。見る間に白く密度が高まり続け、やがて飽和して雨の粒となり落ちてくる。ごく狭い範囲だが、ナッケラヴィーの周囲に雨を降らせた。
もっと、もっと、もっと――。
豪雨と呼べるまでの勢いをつける。
これだけ強ければ、人間だってまともに息もできない。
雨に触れたところから煙を上げて溶けていく。
どろどろ、ぼたぼた。破片が落ちてきた。
隊長が戦闘終了の合図を出すのを待って、雨を止める。全員ずぶ濡れだ。
「なぜ弱点を知っていたんですか?」
ジェッドは剣についた黒い水分をブンブン振り払いながら言った。
「ガキの頃にあった、故郷の隣村の状況と同じだと思った。あんな姿だとは知らなかったが。退治した軍隊が、井戸水を使ってたのは覚えていた」
「おかげで助かりました」
「こっちの台詞だ。水はどこから入手するかわからなかったからな。
魔法使いに自然現象を起こせるほどの力があるとは」
たいていは、仲間の身体強化だとか、防御壁を張るだとか、敵の動きを鈍くするのが魔法使いだ。
「僕はナッケラヴィーに飛びかかって斬りつけられる力はないです」
ジェッドとケイファスの間に割って入り、肩に手を回してくる太い腕があった。
「お疲れ会行こうぜ。酒、酒、メシー!」
「その前に、体洗いましょうよ……」
制服はぐっしょりと濡れている。幻獣の体液も雨も染み込んでいた。
「あ? 俺が体洗うのは女を抱く前だけだぜ?」
ザッ。
ジェッドとケイファスは同時に地面を蹴って真ん中の男から距離をとった。
なんと不衛生な。いやまさか毎晩女を呼んで遊興に耽っている……とは考えたくもない。幻獣を征伐する旅の間、この男が娼館に寄る暇などなかったはずだ。旅にかけた日数は五日間。不潔だ。任務次第でシャワーを浴びることが難しい場面も当然ながら出てくるが、できるうちに最大限清潔であることが望ましい。病気を防ぐ意味でも、人間としての礼儀としても。
「やっだねー。冗談通じねぇの、お前ら。昨日も同じ宿に泊まって湯を浴びたかどうかぐらい知ってるだろうがよ……」
宙に浮いた腕を寂しそうに下ろしながら、同僚は呟いた。
たしかに、大部屋を取っていたから全員ちゃんと夜にはベッドで寝ていたことは認める。寝静まった後に抜け出してでもいなければ。
「おやめなさい。冗談は他人が笑えなければ冗談とは言わないのですよ。卑俗な話題など下衆の極みです」
振り返った姿で、隊長がやれやれと肩をすくめる。
「同じ隊の誼で忠告しとくと、不特定多数と肉体関係を持つのはただでさえ短い軍人生命を縮めるぞー。魔法使いは、身体強化はできても怪我や病気の治癒はできねーからな!」
叫びながら魔法使いが浅瀬で砂浜を駆けた。
忠告された男は鼻の下を得意げにこすって追いかける。
「へっ、短い人生遊ばにゃ損ソン! ってなぁ!」
波打ち際に着くと、波を蹴り上げて水しぶきを魔法使いにかけていた。それから仕返しにと海水をかけられ、またかけて。
これを和気藹々、と言っていいものかどうか。男だけだと絵面の品に欠ける。幻獣を倒した興奮で分泌物にまみれているのだろう。
海でわちゃわちゃやっている隊員たちを、五十メートルも百メートルも離れたところから眺めた。彼らはケイファスとはノリが違うというか、価値観が合わないというか、……ついていけないのでとっとと宿に帰って寝たい。
何気なしに横を見たらジェッドも顔に濃い疲労を刻んでいた。
「僕、帰りたいんですけど……」
「俺もだ」
「お先にどうぞ。ある程度遊ばせたら宿へ連れ帰ります」
保育士の目をして手を振る隊長に、では、と会釈して足を踏み出す。
「第五部隊、任務、かんっりょ〜〜〜〜!!」
万歳をしている男を尻目に、ゆっくりと歩を進める。
月までの長い道がゆらめく真っ黒な海面は、ただひたすらに夜を深めていった。




