31. Sleep Over.
ケイファスが旅立ってしまった空の家で、アリサは掃除をはじめた。なにしろ連絡船が修復を終えるまでにまだ日数がかかる。
昨日の夜、本邸でおもてなしした第五部隊からいろいろ説明されて、両親も姉もおののきながらもアリサに起こった事情を飲み込んではくれたようである。
自分たちの家族が「一歩間違えたら殺されてましたよ」と宣告されたのなら青ざめるというもの。
母と姉は泣くし、父からは、
「ばかっ、もっとちゃんと説明していかんかっ」
と愛の罵倒をもらってしまったけども。説明しようとしていたのに感情的になって聞いてくれなかったのはあちらだ。第三者の介入って大事だな、と実感した。
幻獣からつけられた印は消えたし、五体満足だし、終わりよければ〜とやらである。
家族間の衝突を越えて、のんびり家の手伝いをしながら船の修理を待った。
「結婚するときは事前に連絡を入れてから来るように。」と田舎の洗礼である的外れな別れの言葉を、ハイハイと流しておいた。二十歳を超えていまだ恋人のひとりもまともに作れない娘に気が早い。
姉の結婚が早かったせいか、余計な心配をされている。こんな無礼千万な言葉をケイファスの前で浴びなくてよかった。
そりゃあ警護してもらって、多少どころかかなり、とっても男性として意識しないでもなかったけれど。いつもの迷子みたいな雰囲気から一転、仕事となるとキリリと軍用犬のようにたくましくなるなんていっそずるいだろう。
でも勝手に勘違いしてはいけない。
ケイファスが親身になってアリサの事件を解決してくれたのは、仕事熱心だったからだ。
接客業をしていればたまにぶち当たる、女として品定めされる目線や狙われる感覚、口説いてきたりするような男たちとは異なる。
手を繋いだり軽く抱きしめられたりもしたけれど、ケイファスの挙動から伝わるのは戸惑いばかりで、あのねばつくねっとりとした特有のいやらしさがない。アリサは好みの範囲外なのかもしれないとさえ疑った。
どさくさにデートにも誘ったけれど、行くともごめんなさいとも言われていない。これまで通りカフェには通ってくれるだろうけれど。
冗談だと思われてたらどうしよう。
はう、と両頬を押さえる。
紳士と呼ぶには、困った顔が子犬みたいでかわいい人。
焙煎豆色の髪をこの手でくしゃくしゃにしたらどんな顔をするのかな、なんて考えてしまう。普通に立っていたら手がてっぺんまで届かないから、きっと触るまでに一工夫いる。
定期船が航路に着いたと聞いた翌日には、アリサは船に飛び乗っていた。
家族に持たされたお土産を両手に抱えて、 “ Steamy Bean Bistro“ を目指す。
「遅くなって申し訳ありません。ただいま戻りました」
「アリサちゃんおかえりなさいませっ」
「かまへんかまへん。オーナーの俺から里帰りくらい勧めなあかんかったのに、堪忍な」
「よく帰ってきてくれたわ。アリサさん、コーヒーとケーキはいかが?」
――ああ、やっぱりここが大好きだなぁ。
胸の奥と鼻の奥が熱くなるのを感じながら、うなずいて甘えた。エンゼルケーキでまた泣いてしまった。
幻獣の事件なんてなかったかのような日常が戻ってきた。
とはいえ、ケイファスとのデートはまだ実現していない。
ジェッドもケイファスも、店には客として来ている。コーヒーだったり、お茶だったりを提供して、軽い雑談を交わす。ただそれだけ。
ある日そろそろウナに相談すべきか迷ってると、
「春一番が吹いて数日、寒期を耐えた花々がつぼみをゆるめつつあります。日盛りも温かいと感じられるようになってきた今日このごろなので……」
手にした花が揺れるほど息を吸って、
「僕とデートしてください」
――言い切った。
薄桃色でまとめられた花束が彼の中にあるアリサの印象だったとしたら、自認と違って照れてしまうけれど。
「はい、こちらこそお願いします」
後ろでウナの拍手が聞こえた気がした。上品な音なのではっきり区別できる。
だからこれは現実だ。
ケイファスからデートのお誘いを受けたその日、ウナに腕を組まれ、ささやかれた。
「お泊まり会、しませんか?」




