25.ゴウラ市ゴウリ町ゴウル郷ゴウレ村
ゴウラ市ゴウリ町ゴウル郷ゴウレ村には標らしきものはない。しかしここで生まれ育ったアリサには標など必要なかった。
「ここ、あたしの村……ほんとに、来れちゃった」
「ちゃんと辿り着けてよかった」
なんと本来なら一昼夜かかるところを半日足らずで超えてしまった。ここまで来れたならあともう一息。
安堵からか、二人してしゃがみ込んでしまった。
「ごめん、ここまでの移動ですごく神経を使った……少し休ませてほしい」
「うん、あたしも休みたい。なんか緊張疲れしちゃった」
十五分は彼にとってじゅうぶんな時間だったのかわからないが、簡単な腹ごしらえに携帯食を終えて立ち上がった。
「ケイファス、こっち」
にこっとして、ケイファスの手にするりと自分の指を絡ませる。今度はアリサが引っ張っていく番だった。
誰かと手を繋いでこの道を歩くなんて、小さい頃に戻ったようだ。アリサはもう大人だけれど。
タオルを首にかけた男性が向かいからやってくる。
「お義兄さん!」
ぎょっとしながらタオルで汗を拭く姿は、やはり義兄だった。
「……アリサか?! 大変だこりゃ。なに軍人連れてんだ」
胡散臭そうに制服姿をじろじろと見ている。
「ちょっとね。お姉ちゃんは?」
「家だ。本邸のほう」
アリサ、アリサ姉ちゃん、と呼ぶ子どもの声に振り返る。姉の子だ。長男が来年十四歳、長女が十一歳になる。三年前、二人は生意気盛りだったが――。
ちらとケイファスの方を見て、遠慮なく残酷なまでに素直な感想を述べた。
「ヒョロガリー」
「背は高いね、背は」
少女は執りなしたつもりなのか、止めを刺したのか。
う、と微笑みかけようとしたケイファスは押されている。
「ごめんねケイファス。――こら! ご挨拶は!」
アリサが叱ってからやっとまともな挨拶をしてくれた。
そのままみんなでアリサの実家へ歩いていく。家に上がれば先に姉を見つけた。
「ただいま! あ、お姉ちゃん」
「アリサ? ハァ? ちょっと、――お母さん!」
振り向いた姉の背には、幼児がくくりつけられていた。アリサが都会に行っている間に生まれた子だ。
母が父を呼びに行き、家族全員が揃った場で、アリサはケイファスを紹介した。
おそるおそる、母はお茶を軍人に差し出した。
「あの、アリサは非行に走るような子じゃ……」
「補導とかじゃないです。それは警察の仕事かと」
軍人は、幻獣と戦うのが基本的なお仕事である。民間人同士のいさかいや青少年への指導なんかは軍人の管轄外だ。母だけでなく父も姉だって、軍人と警察を区別できていない。どっちも国のために働いていて制服を着ている、と返されるのが関の山だ。
「ハァ。そうなのねぇ。……じゃあ、なんでかねぇ?」
困惑している母へだけでなく、アリサはみんなに告げた。
「驚かせると思うけど……あたし幻獣に狙われてるみたいなの」
「僕は原因究明と解決のためにアリサさんに付き添っています」
聞かされたほうは微妙な空気が流れている。
「正式に一部隊を動かすとなると手続きに時間がかかります。しかしアリサさんの場合は緊急性が見られましたので、僕だけが先んじて対応に来ました」
隊を組んでの行動が主だから、軍人ひとりでの行動が怪しいと言われればそうなのだけれど。
「ハァ? なんだって……幻獣だと?」
父はじろりと片目をすがめて、ケイファスをねめつけるようにした。
「あたし、五年くらい前に山で迷子になったでしょ?」
「子どもの迷子なぞ珍しいこっちゃない。一人残らず帰ってきちょる。それが大人んなったいま、なんごつ関係があるがか」
もうとっくに終わったことなのに、という言い分もわかる。彼らはアリサが関わった幻獣についてまったく知らないのだから。軍人が助け出したとはいえ、ただの迷子事件として処理されていた。
「山で迷子になったときに、アリサさんは幻獣に囚われました。当時もいずれかの部隊に助けられたそうですが、そのときの幻獣がいまも彼女を連れ戻そうとしています」
「そんな訳ゃあなか」
「そうよ。アリサ、戻ってきても元気で変なところはなかったし」
両親は、愛を持ってアリサを育ててくれたものの、料簡が狭い。父はとくに、口の悪さが印象の悪さを後押ししてしまっている。
「ときどき、妙な声が聞こえたりこの世のものではないものが見えたり……は、してたの」
姉は末っ子を抱き直して、アリサへ厳しい目を向ける。
「なにそれ。嘘よ、アリサはそんなことお姉ちゃんにだって話したことなかったじゃない」
「アリサあんた、頭を打ったりでもしたんやね? そうなんやろ」
「その男にそそのかされたりしててるんじゃなかろうな」
三人が好きずき言ってくれる。
ふう、と生ぬるい息を吐いたアリサはケイファスと目線を交わす。
「……ね? あたしのこと信じてくれないの。頭がおかしくなったんだって、ここじゃ言われる」
ケイファスは眉をハの字にして黙っている。下手に反論すると火に油を注ぐだけだと見抜いたからこそ。
「ハァ? 親をバカにすっでねぇ!」
遮るように腕を伸ばしたのは義兄だった。
「ちょっとお義父さん、お義母さん、デイジーも。こじれるから落ち着いてくれ」
義兄に注目が集まった隙にケイファスの腕を引いて立ち上がる。
「とにかく、あたしたち家に泊まるから。勝手に部屋は用意させてもらうね」
それなら、と義兄が提案する。
「離れに泊まりな。俺たち、去年離れから本邸に移ったからいまあっち空いてんだ。そっちのがお互いのためにいいだろ」
子どもが増えてからお義母さんに手伝ってもらうにしても、本邸にいたほうがお互い楽だったからさ、と外へ促した。両親も別に客人を迎えることに関しては反対したりしない。ただ、アリサと幻獣を結びつけることができないでいる。
お世話になります、と告げるケイファスにも怪訝にするばかりだった。
義兄はともかく、他の家族が冷静になるまで話は再開できそうになかった。
離れで明かりや水が使えるか確認して、ケイファスとアリサは掃除をはじめた。定期的に掃除されていたためか、軽く掃いて、雑巾で拭くだけ。一部屋が物置のようになっていたから納屋に運んだ。家族を想定して建てられたものだから、寝室は二つあったのでケイファスと共寝するようなことにはならない。
客用の寝具は姉と義兄が持ってきてくれた。
「あんた、大丈夫なの?」
どうして姉妹なのにいままでなにも言わなかったの、と責めつつも、声につんけんしたものはない。
「ケイファスがついててくれるから、すぐには危険はないみたい。でも、あたしの言うこと今度は信じてくれるの?」
「幻獣だかどうだかはお姉ちゃんわかんないけど、妹が危ないってなったら心配するわ」
ふくよかな体で妹を満遍なく包みこみ、抱きしめる。
「お父さんとお母さんの言うことは気にしないで。使えるものはなんでも使って、解決すんのよ。結婚以外で心配させんじゃないわよ、もう!」
結婚での心労はかけていいんだ、と笑いそうになる。
ありがとう、と腕の中で返した声は小さくなってしまった。




