22. 謝罪合戦
喧嘩を売られて、それを買ったうえに勝ってからアリサとケイファスは逃げる。
街の端の宿を選んで個室を二部屋取った。翌朝すぐに街を出られるように、だ。奴らと鉢合わせすることはないと信じたいが、こんなことは二度とごめんだ。
「アリサ、謝らせて」
荷物も置かずに部屋の前で話そうとするので、アリサはケイファスを部屋に押し込めた。
「ちょっと、お茶もらってくるから待ってて」
宿の食堂から戻ると、彼は足を折りたたんで床に座っている。お茶をお盆ごとテーブルに置いた。
「椅子に座ってよ」
言っても、動かなかった。気弱そうに見えても、その実頑固だ。
「すみませんでした。アリサを危険に晒しておいて『護衛』が聞いて呆れる……」
「あたし、怪我してないよ。それよりケイファスはよくあの人たちを倒せたよね。多勢に無勢だったのに」
「急所を突いただけだよ。見ての通り、力はないし。……相手は武器を持ち出さなかったのに僕が魔法を使ってしまったのは卑怯だったと思う」
思わず眉を寄せる。
「武器がないって……大人数で襲ってきておいて?」
「……でも、公平ではなかった」
どこが。
いくらケイファスが細いとはいっても、筋肉の多い軍人と比べて、だ。アリサよりはがっしり太いし、一般的な女性と並べば男らしさはある。
けれど騎士は肉体そのものが武器のようなもの。ケイファスが魔法で補ったとして、公平といえるのはやはり一対一になったときだけだろう。
最終的には魔法で反撃したとはいえ、射撃の拳を腹で真っ向から受け止めた。
「殴られたところは痛くない?」
「平気です」
痛そうにはしていないけれど。アリサも床に座って、膝を突き合わせた。
おもむろにアリサは手を伸ばし、ケイファスのシャツをズボンから引き抜いた。
「アリサっ」
すぐさまアリサの視界はすっぽりひとつの手で隠されてしまった。暗い世界はそのままに、衣擦れの音がするので、彼は服を整えている最中だ。
「ごめんなさい。アザになってるかと思ったの」
そっと手が顔から外れる。ケイファスの唇は子どもみたいに少し尖っていて、首が染まっている。
――まぁ、怒っては、いない。
「知らないかもしれないけど、僕は身体強化できるから……あれは魔法のハッタリ。嘘。ズルなんだ」
種明かしはおしまい、と腹を叩いてみせた。カンコンとまではいかないけれど、音はプニプニではなかった。鍛えているのは本当だ。
彼は自分を貶めて、不服そうに沈んだ顔をしている。
「アリサは怖かったよね。ごめん」
「……怖かった、よ」
正直に言うと、わかりやすく落ち込んでいる。
アリサは手を伸ばし、ケイファスの胴体に絡みついた。高い体温が布越しにでもじんわり伝わってくる。心臓が早い。アリサと同じ。でも、離れがたい。
「怖かったけど、ケイファスのことは信じてたよ」
「あの、これは……」
腕をそっと剥がされそうになって、逆に力を込めて抵抗する。
「悪いと思うなら抱きしめて。……安心するから」
筋肉質の胸にくっついていると、不安が溶けるように消えてなくなっていく。ケイファスからは抱きしめ返すことはせず、恐れるようにして手を肩に添えられただけ。その手の平もアリサの肩を覆い隠せるほど大きい。ささやかな触れ合いに自然と笑みがこぼれる。
「ケイファスはあたしを守ってくれたよ」
「ちゃんとした護衛なら、他人がアリサに触れることを許してはいけなかった」
「そもそもがさ、あたしのことがなければこの街には来なかったよね。あの人たちにも会わなかったでしょ。だからあたしが悪いの。ごめんなさい」
「そうじゃない! 僕がむかし彼らの恨みを買っていたからで、アリサを巻き込ん……」
体を離し、じっと春の緑を見つめていると、ケイファスはそのうち言葉を失った。
「……ね? この話やめよ? 謝り合戦になっちゃう」
そんな暗い空気の中、旅を続けたくはない。
「わ、かりました」
先に立ち上がり、ケイファスの手を引っぱり上げる。
「今日はもうご飯食べて、寝て、明日早く出発しよ?」
「うん」
いまだしょんぼりとはしているけれど、彼は納得したら前を向ける人だ。時間を置けば立ち直っているだろう。
食堂で夕ご飯を済ませて、それぞれの部屋で過ごした。
体も洗って、ベッドに倒れる。
お気楽に、呑気に、アリサは生きてきた。彼と比べれば。
ケイファスのシャツをめくって見えたあの一瞬。
薄いと思っていた体には割れ目のついた筋肉がついていた。あれ、と思っているうちに隠されて、色の異変――青かったり紫だったりという、内出血は見られなかった。今回の負傷はない。
ただ肌をいくつも這うみみず腫れに息が詰まった。動物の形をした幻獣もいると言い伝えられているから、おそらくはそれらの爪痕だろう。それがずっと、短長さまざまに走っていたのだ。
とにかくケイファスの壮絶な戦いの片鱗を意図せず暴いてしまった。そういう戦いに、これからアリサが引き摺り込んでしまう。アリサ一人では太刀打ちできないから。
ツキン、と胸が痛む。
ごめんなさいとありがとう、どちらの比重が傾くのか。その狭間で、アリサは眠りに落ちた。




