13.ウナの思い
ジェッドとケイファスを見送り、ウナは裏口から店内へ戻った。一見アリサは、元気なように見える。
アリサはウナにとって人生で最初にできた対等な友人だ。
ウナがカフェで働き出したのは学校を卒業した十六歳のときだ。跡取りではないものの社会勉強をするとなれば、乳母日傘で育った本家のお嬢さまを放り投げるようにそこら辺で働かせられない、と用意されたのが “ Steamy Bean Bistro ” だった。分家の者が経営するお店だ。
「叔父さま、叔母さま、お世話になりますわ」
「よろしゅうに。店ん中じゃマスターとマーサさんって呼んでくれへんか」
独特の方言は叔父が若いころ、ウナと同様に社会勉強として奉公先で身につけたもので、気安い響きがある。男だったから、国外を許された。本家の娘としては羨ましい限り。首都内ならともかく外ならばウナは護衛つきでないと国外には行けないから。
「ジュエレさまとてこき使うよってな」
「もちろんですわ。甘やかされては勉強になりませんもの。ですので名前もさまづけはやめてください」
「ジュエレさまはジュエレさまとしかお呼びできないかと……」
マーサは眉尻を下げている。
「いまや私は一般労働者ですわ。別な名前で呼んでください」
「なんや、偽名でも使うか?」
「いえ、ウナ、とミドルネームを使いますわ」
ファーストネームとファミリーネームはよく名乗るし知られているけれども、ミドルネームは役所の手続きなどよっぽど公式な場面に含めるもので、広まっていない。
「ほんならウナくんて呼ぶわ」
「ええ。マーサさんも、私のことは町娘のひとり、従業員として扱ってください」
「わかったわ、ウナさん」
「せやけどその喋り方や。高貴な方やてバレるよって」
「アレクサンテリ家のジュエレだとお客さまに知られなければよいのですわ。この話し方で礼を失するわけでもありませんし」
よく知る親戚でさえこのよそよそしい態度だ。実の兄とも育ての段階で差をつけられ、対等に話すことは許されなかった。ウナとてお嬢さまらしくわがままを許され裕福に包まれてきた自覚はある。しかし兄をそれ以上の者として敬うように躾けられている。兄は尊敬できる人だし、そこに不満はない。
学校に通っては実家が大きいからと遠巻きにされる。友人と呼んでくる者もいるにはいるが、心を開くよりも家の比べ合い、探り合いばかりで付き合いに飽いた。
孤独、だったのだと思う。父は厳しく母も厳しい。侍女は優しいが、親しいわけではなかった。体に触れることがあってもそれはあくまで世話であり、抱擁やなぐさめではないのだから。ウナから近づこうとすれば、分別がないと叱られるのは使用人のほうだ。そして彼らとは引き離される。
自分はずっと対等なトモダチが欲しかったのだと、アリサが気づかせてくれた。彼女は心を満たしてくれる。
新しい従業員を雇ったとマスターから紹介されたあの日だ。
「こんにちはウナちゃんっ」
ウナ「ちゃん」……! ちゃん……ちゃん。
裏もなく、人懐っこい笑顔で呼ばれる名前はいままで聞いたことのない、特別な響きをもっていた。
「あたしアリサ。一緒に働かせてもらうことになったの。よろしくお願いします」
どきどきしながら、彼女を真似た。これまで友人であっても「さま」や「さん」しか許されず、許さなかったけれど。
「アリサ、ちゃん?」
と、呼んでいいのだろうか。彼女は屈託なく笑い、なんでもないことのように受け入れてくれた。実際、アリサにとってはなんでもなかったようだ。
「うん! いろいろ教えてね。あたし田舎から出てきたばかりで、失礼なことしちゃうかもだけど、悪いところは直すから遠慮なく言って!」
いかにも甘そうな、黄熟した実の色をした瞳は身構える前に一直線に心を突き刺してきた。
ウナの実家のことも、ウナ自身のことも知らない娘は、無邪気に距離を詰めてくる。でもいやじゃなかった。
呼ばれ方一つで自分が別の、新しい人間になったとさえ勘違いしそう。
「わたしも、社会勉強中なのです。一緒にがんばりましょう」
手を取ったら、思わぬ力でぎゅっと握り返してくれた。
「うん、ありがとう!」
アリサに感化されたのか、マスターとマーサとも冗談を言ったりするほど、親しくなれたと思う。それこそ実の両親よりも話しやすい。この変化もアリサのおかげだ。
マスターもマーサも、田舎から出てきたアリサを気にかけている。
首都での生活には慣れたかと聞いたときにも、
「カフェと家の往復ならもう慣れたよ。堂々として見えるのかな、道をよく訊かれるの。やっぱりみんな道に迷うものなんだねぇ。あたしも買い物行ったらまだ迷うことあるし」
と。これがなんとなく引っかかって、ウナはにこやかな表情を崩さずに訊いた。
「アリサちゃんは親切そうに見られるんですのね。でも訊かれるのは男の人と女の人関係なくですの?」
アリサは手を止めた。
「……そういえば、男の人が多いかも?」
「訊かれるのは道だけですのね?」
「うん。あたしもわからないからすぐ警察に行きましょう、って連れてくし、よく見回りしてるジェッドとケイファスさんに任せることもあるかなぁ」
ナンパだと気づいていないわりにちゃんと対応ができている。
しっかりしているようでうかつなアリサを、守らなければ――とウナは覚悟している。幸い首都内なら手を下しやすい。自身も監視対象にあるため、父が命じた、ウナの知らない護衛たちがうろうろしている。
アリサの悩みだか病気だかが、ウナが解決できる範囲ならばいいのだけれど。
まだまだ、これからアリサとやりたいことが山積みだ。
カフェで着るお揃いの服も増やしたい。家へ招いてお泊り会も挑戦したい。家を見せれば驚かせてしまうかもしれないけれど、アリサは拒絶しないと思うから。旅行なんかも企画するだけで楽しそうだ。マーサから新しいお菓子作りを習うことも約束している。
「アリサちゃん、ずっと元気でいてくれなくちゃ……いなくなったりしたらいやですわ」




