↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/7

アルストラーナ辺境の里芋農家ですが、親王府の侍女様と最高の酒を造ります!

アルストラーナ帝国の東南部に位置する、セレスティア親王領。 親王府が置かれる中心都市アクアパレスの周辺は、街中に張り巡らされた水路の恵みを受け、蓮根やアブラナと並んで、極上の「里芋」が採れる特産地として知られていた。

春のやわらかな風が水面を撫でる、ある日のこと。 アクアパレス郊外の肥沃な畑で、農夫の青年・サクはしゃがみ込み、手のひらで土の感触を確かめていた。

(よし……今年もいい土だ)

今日から始まるのは、一粒の芋が極上の酒へと生まれ変わる物語。 その第一の行程――「種芋の定植(植え付け)」の日である。

「サク、準備は進んでいますか?」

凛とした、それでいて静かな声。 振り返ると、親王府から手伝いとして派遣された侍女・ベルナデットが立っていた。二十歳という若さながら完璧主義者として知られる彼女は、動きやすい作業着姿であっても一切の隙がない。背筋がピンと伸びた立ち姿は、畑の真ん中にいてもなお気品に満ちていた。

「ええ、ベルナデット様。土の湿り気も温度も、まさに申し分ありません!」

サクは昨秋に収穫し、冬のあいだ大切に保存しておいた元気な種芋(親芋)を手に取った。 里芋は水分を好む作物だ。だからこそ、畝(うね)を高めに作り、水はけと水もちの絶妙なバランスを整えてやる必要がある。 サクは三十センチほどの等間隔で穴を掘ると、種芋を深めに置き、温かい土をそっと被せていった。

「里芋はね、根を広げて豊かな水を吸い上げ、土の中でいくつもの子芋、孫芋を抱え込んで大きく育つんです。この最初の定植こそが、醸造したときの酒の『コク』を左右するんですよ」 「なるほど……。すべては土台から、ということですね」

サクの言葉に、ベルナデットは深く頷くと、驚くほど正確な手つきで作業を補佐し始めた。

*

やがて季節は巡り、第二の行程「生育と管理」へと進む。

夏を迎えると、里芋の畑には大人の背丈ほどもある大きな緑色の葉が、これでもかと青々と茂った。 夕立が降れば、撥水性の高い葉の上に大きな水滴がコロコロと溜まり、雲間から差す光を受けて宝石のように輝く。その光景は、まさに「水の都」アクアパレスの縮図のようだった。

しかし、美しいだけでは作物は育たない。 サクとベルナデットは、容赦ない猛暑の中で「追肥」と「土寄せ」を繰り返した。 里芋は土の中で、親芋の周りに子芋がつき、さらにその周りに孫芋が増えていく。成長に合わせて何度も土を寄せて根元を覆ってやらなければ、日光に当たった芋が緑色に変色し、一気に品質が落ちてしまうのだ。

「……土の中に、命が満ちていく感覚がありますね」

額の汗を拭いながら、ふと漏らしたベルナデットの言葉。 その横顔には、普段のクールで冷徹な印象の裏に隠された、生命への深い慈しみが滲んでいた。

*

そして秋。ついに第三の行程「収穫と選別」の時期が訪れた。

朝露が降りるひんやりとした寒気の中、青々としていた大きな葉が黄金色に枯れ始める。それは、土の中の里芋が完熟したという合図だ。 サクはスコップを土深く突き刺し、株の周りの土をほぐしながら、全身の力を込めて株全体を引き抜いた。

「うわっ……! すごい量だ!」

ゴボリ、と土の中から持ち上がったのは、巨大な親芋の周りに、丸々と太った子芋や孫芋が鈴なりに固まった特大の塊だった。

「わあ! こんなに大きな塊になるなんて、まるで宝箱みたいです!」

歓声を上げて駆け寄ってきたのは、手伝いに来ていた侍女のエミーナとロゼッタ。共に十八歳で異能を持つ彼女たちも、土まみれの大きな塊を前に目を輝かせている。 二人はさっそく手分けして、親芋から子芋、孫芋をひとつひとつ丁寧に手で外し始めた。土を落とし、毛羽立った皮の表面を綺麗に整えていく。

「醸造に使うのは、デンプン質が最も豊かで糖分をたっぷり蓄えた、この子芋と孫芋なんです」

サクは選り分けた極上の里芋をかごに収め、いよいよ醸造所へと運び込んだ。

ここからが本番。第四の行程「原料の仕込み(加熱と糖化)」である。

実は、里芋から酒を作るには、麦や米といった穀物酒とは異なる特殊な技術が必要になる。芋に含まれる豊富なデンプンを、酵母が食べられる「糖」へと分解してやらなければならないのだ。

まずは、集められた里芋を水路の清流で綺麗に洗い、泥を落とす。 それを皮ごと大きな蒸留釜へと投入し、火にかける。ゴトゴトと力強い音を立てて蒸気を吹き上げる釜。じっくりと時間をかけて蒸し上げられた里芋は、外皮がツルリと剥けるほど柔らかく仕上がった。

「熱っ、熱っ……! でも、この熱々のうちに剥くのがコツなんです」

皮を剥いた里芋を木臼に入れ、大きな杵で力強く突いていく。 ペースト状に潰された里芋は、独特の強い粘り気――ムチン質を放ち、やがて滑らかで真っ白な生地のようになった。

「ここで、蒸した米から作った『米麹』を合わせます」

サクは人肌ほどの温度まで冷ました里芋ペーストに、ほぐした米麹と、セレスティアの清冽な仕込み水を加えた。 米麹に含まれる酵素(アミラーゼ)が、里芋の強力なデンプン質と粘り気を優しく解きほぐし、甘みを持つ「もろみ」へと変えていくのだ。

仕込み桶の中で、里芋の素朴で甘い香りと、麹の芳醇な香りが混ざり合う。 暖かな部屋の中で静かに「糖化」が進み、数十時間後――あれほど粘り気のあった生地は、驚くほどサラリとした液状に変化していた。指先で掬って舐めてみると、舌の上に濃厚で優しい甘みが広がる。

*

そして、物語は最終段階。第五の行程「発酵・圧搾・熟成」へと移る。

糖化したもろみに蔵特有の清酒酵母を加え、ひんやりとした発酵室へと移した。 仕込み桶の中では、目に見えない酵母たちが糖を食べて、アルコールと炭酸ガスを生み出し始める。

プツプツ……プツプツ……。

静寂に包まれた蔵の中に、小さな命が息づくような泡立ちの音が響き渡る。 発酵のピーク時には、桶の表面が真っ白な泡で覆われ、爽やかな果実のような酒香が蔵いっぱいに満ち溢れた。

「温度が高すぎても、低すぎてもいけません。慎重に見守りましょう」

完璧主義者のベルナデットは、昼夜を問わず発酵桶の温度を点検し続けた。その真剣な眼差しは、まるで王宮の機密を守る騎士のようでもあった。

二週間後。 ようやく泡立ちが落ち着き、芳醇なアルコールの香りがピークに達したところで、サクたちはもろみを綿の布袋に移し、木製の酒搾り機――「槽(ふね)」に並べた。 上から重石をかけ、焦らず、静かに圧力をかけていく。

ポタリ、ポタリ……。

袋の目から滲み出てきた液体は、ほのかに白濁した乳白色の美しさを持っていた。待ちに待った、搾りたての里芋酒である。 しかし、まだ完成ではない。これを大きな甕(かめ)に移し、低温の貯蔵庫で数ヶ月間じっくりと寝かせて熟成させる。

長い熟成を経ることで、酒の角が取れ、液体は透き通った淡い黄金色へと姿を変えた。里芋特有のまろやかなコクと、米麹由来のキレのある味わいが、完璧な調和を見せた瞬間だった。

*

寒さが本格化する、冬のある日。 熟成を終えた酒が、美しく磨かれたガラスの壺へと注がれた。

「完成です……! 『セレスティア親王領特製・里芋酒』です!」

サクが盃に酒を注ぐと、とろりとした透明感のある黄金色の液体が、冬の柔らかな光を反射してきらめいた。 一口含めば、まろやかな旨味と独特の甘やかな香りが口いっぱいに広がり、喉を渡ると、体の芯からポッと温かな温もりが灯る。

「見事な出来栄えです、サク」

ベルナデットが盃を静かに見つめ、満足そうに微笑んだ。

「これならば、アクアパレスの親王府にてイリアード様やリゼリア様、そしてセシリア様をおもてなしする祝宴の席でも、最高の逸品として高い評価を受けることでしょう」

春の泥の中に植えられた、一粒の種芋から始まった物語。 夏の陽光と清流の恵みを受け、職人たちの手で紡がれた至高の一滴。 セレスティアの豊穣な大地の恵みが凝縮されたその酒は、人々の心と体を温めるため、今静かに、華やかな宴の時を待っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。