『水路の都の蓮根農家 ~親王府の美少女侍女たちが、なぜか俺の泥仕事を手伝ってくれる件~』
アルストラーナ帝国東南部に広がる、セレスティア親王領。 その中心都市アクアパレスの周辺は、張り巡らされた水路と豊かな泥土に恵まれた、蓮根の一大特産地として知られていた。
春の兆しが水面にきらめき始めたある日。 広大な蓮池の中に、一人の青年の姿があった。農夫のカイだ。
今日は、新しい命を泥の中に託す第一の行程――『定植(植え付け)』の日である。
「よし、っと……」
冷たい泥に膝まで浸かりながら、カイは昨秋から大切に保管してきた『種蓮根』を手に取る。 芽がついた丸々と太い節を選び抜き、泥の深さ十センチほどの場所へ。斜め四十五度の角度で、慎重に、優しく埋め込んでいく。
「カイ、水の深さはそのくらいで大丈夫ですか?」
池の端から声をかけてきたのは、親王府から手伝いに派遣された侍女のロゼッタだ。 十八歳の彼女は、予知や念視の力を持つという異能者。けれど今は作業着の裾をまくり上げ、真剣な眼差しで水面を見つめている。
「ええ、ロゼッタ様! 植え付けの初期は水深を浅くして、太陽の熱で泥の温度を上げることが大切なんです。芽が日光を浴びて、元気に育つようにね」
カイが笑顔で答えると、ロゼッタは小さく頷いた。 そうしてカイの手によって、次々と種蓮根が温かい泥の床へと静かに横たえられていった。
やがて季節は巡り、第二の行程『生育と水管理』へと移る。
初夏を迎えると、水面には鮮やかな緑色の丸い葉――『立葉』が次々と立ち上がり、風にそよぐようになった。 カイの毎日は、水深の微調整と雑草取りに追われる日々だ。葉が大きく育つにつれて池の水深を深くし、害虫や病気から大切な葉を守り抜く。
そして、夏本番。 蓮池一面に、薄桃色と純白の大輪の花が咲き誇った。 甘い香りが水辺を包み込み、訪れる人々の心を和ませる。けれど、カイにとっての本番はここからだった。花が散ると、いよいよ地下茎――つまり蓮根が本格的に太り始める時期の到来だ。
「花が落ちてからが勝負です。葉で作られた栄養が、すべて土の中の茎へと注ぎ込まれていきますからね」
秋の風が吹き抜ける頃、地上部の葉は枯れ色へと変わり、栄養分は完全に地下の蓮根へと凝縮された。 さあ、いよいよ第三の行程『収穫』である。
晩秋の冷気が満ちる水田で、カイは胴長(水産用長靴)を身につけ、水中に分け入った。 かつては鍬で泥を掘り返していたが、今はアクアパレスの水路網を活かした『水掘り』と呼ばれる手法を使う。高圧の水流を噴出するホースを手に、泥の中に沈む蓮根の周りを洗うように削り取っていくのだ。
ドボボボ……!
激しい音とともに泥が跳ね返る。 すると、水底から真っ白で太々とした蓮根が、ぽっかりと水面に浮き上がってきた。
「やりましたね、カイ! 見事な蓮根です!」
手伝いに来ていたもう一人の侍女、エミーナが思わず歓声をあげる。 十八歳のエミーナは、念動や念創の異能を秘めた少女だ。彼女はその繊細な手つきで、浮き上がった蓮根を傷つけないよう優しく手繰り寄せ、船へと積み込んでいく。
泥の中から姿を現した蓮根は、みずみずしく、節ごとに張り裂けんばかりの生命力を蓄えていた。
こうして船いっぱいに収穫された蓮根は、第四の行程『洗浄と下処理』のため、作業場へと運ばれた。
まずは表面にこびりついた黒い泥を、大量の綺麗な水で丁寧に洗い流す。水路の清流に晒された蓮根は、驚くほど真っ白な肌を見せた。
「乾燥蓮根にするには、切り方と厚みが命になります」
カイは包丁を手に取り、洗った蓮根の節目を切り落とし、手際よく皮をむいていく。そして、五ミリから七ミリほどの均一な厚さに、リズミカルにスライスしていった。 断面には、蓮根特有の美しい放射状の穴が並んでいる。
スライスした蓮根は、すぐさま酢をわずかに加えた水に放ち、『アク抜き』を行う。 蓮根に含まれるポリフェノールが空気に触れて変色するのを防ぎ、美しい白さを保つための大切な知恵だ。
数十分ほど水に晒した後、ザルにあげてしっかりと水気を切る。 そして、沸騰した湯の中にサッとくぐらせる『ブリーチング(加熱処理)』を施した。これにより酵素の働きを止め、長期保存しても品質と風味が損なわれないようにするのだ。
湯通しを終えた蓮根からは、ほのかに甘く、香ばしい蒸気が立ち上った。
最後に迎えるのが、第五の行程『乾燥』である。
カイとエミーナ、ロゼッタの三人は、竹で編まれた平ザルに、重ならないよう一枚一枚ていねいに蓮根を並べていく。 規則正しく並んだ白い輪切りは、まるで大地の花が咲いたかのように壮観だった。
それらを風通しが良く、日の当たる干し場へと並べる。
「ここから数日間、じっくりと天日干しにします。水気を完全に抜き切ることで、蓮根の旨味と栄養が何倍にも凝縮されるんですよ」
秋の澄み渡る空の下、心地よい風が乾物ザルの間を吹き抜けていく。 一日が経ち、二日が経つにつれ、みずみずしかった蓮根の欠片は水分を失い、キュッと小さく縮みながら身を固く引き締めていった。 弾力のあった質感は飴色の硬質な状態へと変わり、触れるとカラカラと軽い音を立てるようになる。
そして、四日目の夕暮れ時。 カイは乾ききった蓮根をひとつ手に取り、指で軽く叩いた。
カンカン、と木片のような澄んだ音が響く。
「完璧です。水分は完全に抜けました」
完成した乾燥蓮根は、黄金色を帯びた半透明の美しさを持っていた。 水分を失ったことで長期の保存に耐えうるものとなり、水で戻せばいつでも収穫したてのような歯ごたえと旨味が蘇る。
「素晴らしい手際でしたね、カイ」
ロゼッタが完成した品を木箱に収めながら、心からの笑みを向ける。
「ええ。これならアクアパレスの親王府へ納めても、イリアード様やセシリア様、リゼリア様にきっと満足していただけます。冬の間の貴重な滋養となってくれるはずです」
泥の中に蒔かれた一粒の種から始まり、水と太陽の恵みを受け、人の手によって丹念に干し上げられた白き環。 セレスティアの風と光をたっぷりと閉じ込めた乾燥蓮根は、やがて来る冬の食卓を温かく彩るため、静かに木箱の中で出番を待っていた。




