第二話 禁忌の変貌と、偽りのシンデレラ
昼間であっても太陽の光が一切届かない、皇都の薄暗い路地裏。
良家の令嬢ならば決して足を踏み入れないような場所に、看板すら出ていないその店をロザンヌは見つけた。
彼女を招き入れるように、ひとりでに開いたその扉の奥には、いくつもの仮面が飾られた薄暗い店内が広がっている。
彼女はキョロキョロと店内を見回し、店の奥、目立たない場所に隠すように置いてある思いがけない物を見つけた。
その仮面の造形は、セレニア公爵家の至宝と称されるセレスティアに似ていた。
(少し違って見える気もするけれど……この顔はセレスティア様よね?)
(あつらえなければならないかと思ってたのに、なんだ、あるんじゃない)
ロザンヌの口角が片方だけ上がった。
「何か、特別な物をお探しですか?」
店主が探るように見てくる。
ロザンヌは一瞬だけ迷ったが、答えは決まっていたため無言で頷いた。
「この顔が欲しいです」
目的の仮面を指さした。
店の空気が一瞬冷えた気がしたが、ロザンヌはそんなことなど気にも留めなかった。
「よろしいのですか? こちらは一般的な仮面ではありませんよ」
「はい」
「その顔の持ち主が持つ、良いものも悪いものもすべて降りかかってきますよ」
「なってみたいのです。この顔に」
店主は、肩をすくめ、あからさまに大きくため息をついた。
(売り物でしょ? 失礼だわ、まったく)
「貴方様のご要望は、当店の裏商品となります。その点ご理解されてますか?」
「説明はもう十分です。早く手続きをお願いします」
「顔の持ち主がどんな方なのか、プロフィールをよくご覧になり、後悔なさいませんように。取りやめることも、他の商品に変えることも今ならまだ間に合いますので」
「問題ございません」
店主が渡したプロフィールや魔法のペナルティに関する警告を、ロザンヌはろくに読みもせず、憧れの人の顔を手に入れた興奮だけで契約書にサインをした。
(私はついにあの顔になるのよ)
◇ ◇ ◇ ◇
数時間後、あの顔とスタイルを手に入れたロザンヌは、皇都の大通りを歩いていた。
行き交う人々が、誰も彼も自分を振り返る。
高級香水店の店主が「お美しいお嬢様」と揉み手をして出迎えてくれる。
その全能感と、脳内に溢れ出る周囲から認められる極上の快感に、ロザンヌは完全に酔いしれていた。
(やはり、私が美しいドレスを着て、この顔でありさえすれば、世界は私を中心に回るのよ!)
(期間限定のレンタル商品なのが残念だけど……)
ロザンヌは、この顔が、あの店にあるなんて思いもしていなかった。
少しの変身願望と興味で、レンタルフェイスを試してみたくて訪れただけだったのだ。
最初は単なる憧れでしかなかったセレスティアへの想いも、オルフェウス、ゼフィール、アルセリオンと国の名だたる貴公子にチヤホヤされているセレスティアに嫉妬が募った。
ロザンヌが良いと思った貴公子は皆、セレスティアを褒めることも彼女の嫉妬に拍車をかけた。
オルフェウス、ゼフィール、アルセリオンはロザンヌが欲しい人達で、男爵令嬢であるロザンヌは彼らに愛されるべき者だと歪んだ持論を振りかざしていた。
ロザンヌはセレスティアに可愛がられる妹分を狙ったが、なぜかうまくいかなかった。
どんなに頑張っても、セレスティアはロザンヌだけを見てくれなかった。
拗れに拗れたロザンヌの感情は、独自の妄想世界を構築していた。
オルフェウスの婚約者はロザンヌであり、セレスティアはロザンヌを可愛がるお姉様だと。
セレスティアの物は自分の物だと。
姉ならば、妹になんでもくれるよねと……
ロザンヌは我が世の春を皇都で満喫していた。
すると突然、
「あ、エリナ~!」
見知らぬ女に腕を掴まれた。
(えっ? 誰?)
「エリナ早くお店に戻ってよ。面倒くさい人が来てるのよ。エリナはいません、辞めましたといっても連れてこいとしか言わないのよ」
(? エリナって?)
「なんで黙ってるの? 風邪でもひいたの?」
実は、この魔法の仮面は声まで変えるには別料金が必要だったのだが、契約書をろくに読まなかったロザンヌは、そのことに全く気づいていなかった。
様々な店を巡り、店員と会話した時に声が違うことに気づいていた。
声を出したくなかったロザンヌだが、話さざるを得なかった。
「貴方誰ですか? 人違いです」
町娘風に話してみたが、声を聞いた女はギョッとして、一瞬怯んだものの、人違いだとは認めなかった。
「エリナ? かなり声変わったわね?」
「だから人違いです」
「そんなわけないでしょ。この顔はエリナだよ。どこぞの貴族様と似ているって、自慢してたじゃないの。似てるおかげで、お得意さまが多くてかなり稼げるって」
(どういうこと?)
「エリナご指名のお客様なのよ。助けると思って来てよ」
揉めている事に気付いた、露店の女将さんが、こちらを見ていた。
助けを求めようとロザンヌは思ったが、女将さんの言葉で諦めた。
「エリナちゃん、仕事サボってはいけないよ。後でごほうび上げるからさ、頑張っておいでよ」
ロザンヌは逃げることも叶わず、有無を言わせず連れて行かれた先には、キラキラとした光が印象的な建物が建っていた。
そこは、良くも悪くも話題になる、高級社交サロン黒薔薇館だった。
店に連れてこられた後、予想外の事に茫然自失となっていた間に、周囲に身なりを整えられたロザンヌは段々と状況が理解できた。
彼女が、セレスティアだと思っていた顔は、この黒薔薇館の接客員エリナだった。
最近セレスティアを、この界隈でみかけたという噂話は、このエリナのことだったのだと納得がいった。
暗がりで見るとセレスティアと間違えるため、この館では黒薔薇姫エリナと呼ばれている。
(社交サロンの接客って何をすれば良いの?)
(私、お茶を淹れるのなんてしたことないわよ。ここは会話テクニックの見せどころかしら?)
黒薔薇館は、貴族や裕福な商人が通う場所。
客は安心して会話や遊興を楽しみ、交流する場所だった。
だが、裏では愛人探しの場所としても知られている。
教養高い愛人の斡旋仲介も行われているという。
意気投合すれば、一夜限りの相手や、報酬次第で何でも手に入り、大人の関係も許容されているとも。
黒と赤で彩られ金色の刺繍が所々に入り、胸元が大きく開いた、身体の線がわかってしまう豪華なドレスを着せられたロザンヌが、押し込まれた部屋には、貴族らしき若い男が背を向けて立っていた。
そして男が振り返り、ロザンヌへ値踏みするような視線を全身に巡らせた。
(えっ……この人ソルヴェ侯爵家の三男。マルク・ラゥ・ソルヴェ様!)
(きゃ~! 爽やかで人気の高い、私がオルフェウス様たちの次に好きな人だわ)
(オルフェウス様、アルセリオン様、ゼフィール様は不動の人気よね)
ロザンヌが、なんとも間の抜けた思考を巡らしていると、
「君か……確かに似ているね。黒薔薇姫とはよく言ったものだね。かたや本物は誰も触れることのできない、帝国一の白薔薇姫……いや真紅かな」
社交界で爽やか系として人気の男マルク。
だが、目の前のマルクが浮かべた笑みは、普段見かける爽やかさとはかけ離れた、ねっとりとした欲にまみれたものだった。
マルクはロザンヌの身体を、さらになめ回すように見つめ、低く笑った。
「瓜二つとはいかなくとも、あのセレスティアの身代わりとしては、色んな用途に使えるか」
(いやいや、何言ってるの?)
(マルク様、セレスティア様のこと好きなの? 悔しい!)
(なんで、あの人ばっかりなのよ!)
どこまでも、ロザンヌの思考はとんちんかんであった。
「こっちにおいで」
マルクは優しく諭すような声音でロザンヌへ手を伸ばした。
ロザンヌの思考が追いつかず、固まっていると、彼女の腕を掴み、マルクの腕の中へと引っ張り込んだ。
「あいにく焦らされるのは好きではないんだ。仕事だろう、会話もできないのかい?」
(なんで? セレスティア様に成ったと思ったのに。似た他人だなんて)
(しかも高級社交サロンの接客員って何するの?)
(接客マナーや話題なんてわかんないわよ。どうしたらいいのよ)
レンタル前に説明を聞かなかったことをロザンヌは後悔した。
どうやってこの場をやり過ごそうかと、目まぐるしく考えるが、名案は思いつかない。
マルクの腕の中から逃れることも出来ない。
マルクが色んな難しい話をしているが、理解できない。
社交界のドロドロは多少興味があるけど、オルフェウスへの批判や嫉妬なんてロザンヌは興味がない。
そうこうしているうちに、マルクはロザンヌを腕の中に閉じ込めた。
言葉を紡ぎながら手に頬ずりしたり、身体のあちこちを撫でていた。
元々、お気に入りの相手の一人だし、優しいし、姫扱いは気持ち良い。
マルクの腕の中というのも、悪くないかもしれないとロザンヌは思いはじめていた。
「セレスティア」
難しい話を語り終えたのか、マルクの膝の上に座る体勢に変えさせられ、恍惚とした顔で、マルクはロザンヌをそう呼んだ。
とても大切な宝物を愛でるような瞳で……
「あぁ、セレスティア。『愛しいマルク様』と、そう呼んでおくれ。君にそう呼ばれたら、僕は何でも差し出すよ」
(本当にセレスティア様のことが好きなのね)
(セレスティアでなく、ロザンヌと呼んでほしいわ!)
(でも、これでマルクの弱みを握ったわ。これは使えるわね)
ロザンヌのおかしな思考など構いもせず、マルクの雰囲気が変わり始めた。
彼は、エリナの姿をしたロザンヌをセレスティアと呼び始め、確実にセレスティアの身代わりとして使い始めた。
「さあ、セレスティア、いやセレス。時間は短いんだ。僕の言うとおりにしておくれ。君は、もう僕なしでは居られないんだろう? 良い子にしていたら気持ちよくしてあげるからね」
「マ、マルク様……愛しいマルク様」
ロザンヌが、彼に望まれた言葉を言ったはずなのに、マルクの動きが止まった。
彼の瞳から熱が消えた。
(そうだった! 声はセレスティア様とは違うんだった!)
「その声……ごめん、萎えるからそれ以上喋らないでくれ。声まで似ていないことくらいわかる。大人しく人形の振りをしていればいいから」
(こいつ! なんてこというんだ!)
そう言い捨てたマルクは、ロザンヌを強引に引き倒して膝枕をさせると、彼女の耳元で、いかに自分がセレスティアにふさわしい男かをうっとりと独り言のように語り始めた。
そして、おもむろに起き上がり、ロザンヌの首筋に息を吹きかけた。
ロザンヌがビクッとする動きを、とても面白そうに見ていた。
「あぁセレス。愛しいセレス。もう君を離さないよ。君は僕だけの宝物だよ。誰にもやらない、オルフェウスみたいな、お子様とは婚約破棄してくれ。奴になど奪わせないよ」
さんざんロザンヌの身体を撫で回していたマルクは、彼女の蕩け具合を確認した上で、耳元でそう囁いた。
その状態をマルクは気に入ったのか、獲物を捉えた肉食獣の雰囲気を出し、舌なめずりをしていた。
「セレス、気持ちいいことする? 何でもしてあげるよ」
(あ、愛人契約するつもりですか?)
ロザンヌは、人間の欲望を目の当たりにし辟易していた。
自身も同じ穴の狢であるということは忘れていた。
「セレス、どうする?」
愛しげにロザンヌをみつめて、髪をなでるマルク。
(どうしたらいいの。私はエリナじゃない)
(断るしかないわ、怒るよね?)
その時、激しくドアを叩く音と共に廊下から「火事だ! 逃げろ!」と叫び声が響き渡った。
「チッ……使えない店だな」
マルクは即座にロザンヌを突き飛ばし、手早く身支度を整えると、偽物には見向きもせず、一人で部屋から逃げ去った。
置き去りにされたロザンヌは、彼の変わり身の早さに呆然としたものの、煙が立ち込める館から命からがら脱出した。
「ほんと、男なんてどんなに格好つけても、中身は猿ね。最低だわ。……でも、オルフェウス様たちは、あんな猿どもとは違うわ。待っていらっしゃい、オルフェウス様。私が直々に貴方をしつけて差し上げますわ」
オルフェウスは必ず手に入るという全能感に支配されているロザンヌは、火事の混乱の中、馬車を拾うと、意気揚々と御者に告げた。
「クラヴィス公爵邸までお願い」
爽やかな風がロザンヌの心を押し上げた。
根拠のない全能感にあふれ、恐怖など微塵も持っていなかった。
目指すはオルフェウスの腕の中。
どこまでも、自分に都合のいい思い込みを抱くロザンヌだった。
「オルフェウス様、貴方の運命の相手であるロザンヌが、いま参りますわ」




