表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/32

第三章 遺言



 三日後。

 朱音が意識を取り戻した。

「……朱音!」

 ちょうど瑚太朗は赤ん坊に粉ミルクを与えていた。

 いつ目覚めてもいいようにと朱音の傍にいたのだが、目を開けた朱音の横に赤ん坊をそっと置いて、彼女の額を優しく撫でた。

「ほら、俺たちの子だ。篝だ。無事に産まれたんだ」

 朱音はジッと瑚太朗を見つめていた。

 横にいる赤ん坊には一度も目を向けなかった。

 ただ瑚太朗を見つめていた。

「朱音……?」

 何か言いたそうに口を開けている。

 瑚太朗はうまく喋れないのかと思い、朱音の口元に耳を寄せてみた。

「どうした? 何て言って……」

「……て……」

「え?」

「守って、……ね」

 その言葉を最後に。

 朱音の吐息が途絶えた。

「あか……ね?」

 口元に手を当ててみる。

 息をしていなかった。

「……っ?!」

 瑚太朗はすぐさま口づけした。

 息を思いきり吹きこみ、鼻を摘んで首を押さえる。

 何度も何度も人工呼吸をした。

 だが。

「……おい……」

 脈もなく。

 心臓も、もう……動いていなかった。

「起きろ、……よ……」

 信じられない思いで朱音を見る。

 まだ。

 目は、見開かれたまま。

 ただその瞳は、濁って、もう何も映していない。

 穏やかな笑みを浮かべていた。

 とても死んだなんて信じられない。

 まるで生きてるときと同じくらい、頬も、唇も、……なにもかも。

 瑚太朗を魅了した美しさを宿したまま。

 朱音は眠るように息を引き取った。

「………………っっっ!!!!」

 声を押し殺す。

 涙は出なかった。

 ただ心の奥底から絶叫していた。

 唇を噛んで血が出ても、瑚太朗は顔を上げることができなかった。

(……バカ、……やろ……)

 罵倒しか思い浮かべない。

 朱音への呪詛が、胸の奥底から溢れてとまらない。

 死ぬなんて許せなかった。

 生きていこうと誓った。……なのに。

 一人だけで逝ってしまった。

(あんたは……それで……良かったのかよ……)

 もう二度と聞けないけれど。

 この世界で、聖女として、生きていくはずだったのではないか。

 それとも……もう転写は終わっていたと。

 ようやく顔をあげる。

 朱音の目を閉じた。

 満足そうな顔をしていた。

 きっと、……彼女はこれで良かったのだ。

 千里朱音として十分に生きた。最後は天王寺朱音として生きた。

 後はもう、彼女たちの意志に託すしかない。

(俺の役目は、もう……)

 そのとき。

 赤ん坊が泣いた。

 ひきつけでも起こしたかのように、激しく。

「ど、どうした?」

 瑚太朗は朱音の傍の赤ん坊を抱き上げ、優しくあやした。

 瑚太朗の襟に小さな手が絡みつく。

 まるで必死になってしがみついているかのようだった。

(そっか……。おまえがいるよな……)

 朱音の忘れ形見。

 せめてこの子を見守ることができれば……。

 瑚太朗は、もう一度朱音を見て、そして唇を寄せた。

 柔らかで温かい唇だった。

「さよなら……。朱音さん」

 大好きだったよ、と瑚太朗は小さく呟いた。






 朱音の葬儀はしなかった。

 ただ、自分で穴を掘った。

 精一杯気持ちをこめて、想いの丈をこめて、彼女を花で覆いつくした。

「…………」

 棺に最後の花を添える。

 朱音の手に握らせ、そして最後に別れのキスをした。

 土で埋めて、墓石を立てる。

 粗末なものだったけれど。

 それは瑚太朗なりの、最後の感謝の徴としての贈り物のようなものだった。

「守るよ。……篝を。朱音さんの最後の頼みだしな。今までさんざん我儘言ってたけど、最後の我儘くらい聞いてやるよ。その代わり今度こそ思いきり胸揉ませてもらう。……今度っていつかわからんけど」

 オカ研の頃を思い出す。

 あの頃はまさかここまで彼女に関わるとは思いもしなかった。

 そういえば、クエスト中に大あくびしてたっけ。

 妄想たくましく、俺が印税様のアドベンチャー野郎になっても絶対この娘彼女になんかしてやらない、とか……くだらないこと考えてた。

「なあ、篝。おまえはそういうとこ似るんじゃないぞ。ただのニートになるからな」

 籐の揺り籠で眠る娘に語りかける。

 気のせいか。

 昨日より幾分成長しているような気がする。

 生まれてまだ五日しか経ってないのに。

 どんどん愛らしくなっていった。

「……なんかすごい美人になるんじゃないか、おまえ?」

 親バカではなく、本音でそう思った。

 娘の頬に触れてみる。

 赤ん坊の肌がこれほど柔らかいものだとは思わなかった。

 眉もとても整っていて。唇は潤うように艶々で。顔立ちはそれこそ目を見張るほど可愛くて。

 我が娘ながら。

 何度見ても、それこそ一日中見ても、見飽きなかった。

「俺……駄目な親になりそう……」

 自然と顔がにやけてくる。

 朱音を失った喪失感は拭いようもないけれど。

 この娘のためになら、命だってなんだって賭けてもいい。

 そう思える自分が、確かにいた。






 朱音を看取ってから二週間後。

 大きな鷲型魔物が、定期便として物資を運んできた。

 以前から頼んでいた子供用の産着や、ミルク、おむつ、離乳食、等々。

 こんなに要らないのにと思うほど大量に次から次へと届く。

 おそらく朱音の状態を懸念してのことだろう。

 まだ亡くなったことを知らせる気には、とてもなれなかった。

「もう少し落ち着いたら……な」

 心の整理がついていない。

 今は人の同情すら痛みになる。

 篝の世話をする忙しさだけが、悲しみを紛らわせてくれていた。

「だ……あ……」

「どうした?」

 驚いたことに。

 篝はすでに這うことが出来ていた。

 それどころか片言でも喋ることが出来る。

 生まれてまだ二週間ちょっとしか経っていないのに。

(何が起きている……?)

 七か月の早産で産まれたわりに五体満足。そして急激な成長。

 瑚太朗はもはやこの状況を受け入れるしかなかった。

 疑問には思うが、しかし。

 余りにも可愛いのだ。

「ほら、たかーい、たかーい」

 持ち上げると、篝はきゃっきゃっと笑った。

 だんだんあやすのが板についてきたような気がする。

 自分で言うのもなんだが、この娘はとても賢い。

 人の言う言葉をちゃんと理解している。

 赤ん坊のはずなのに、もうその域を越えていた。

「そんな急におっきくなるなよ。……なんか寂しいぞ」

 篝の頭を撫でる。

 瑚太朗を見透かすような瞳は、深い深海色を湛えていた。

 綺麗だ、と思う。

 まだなんの穢れもない、純粋な瞳。

 今だけ自分に与えられた特権のようなものだ。

 こんなつぶらな瞳に見つめられる時期は、今だけしか存在しない。

「なあ、篝。……おまえを泣かせるようなやつが現れるのは、いつなんだろうな」

 恋をして、人を好きになって。

 この瞳が涙で濁るのは。

 そのときが来ても、自分は平静でいられるのだろうか。

「まだ……想像もつかないけど」

「だあ、……あ……」

「パパ、だ。言ってごらん?」

「ぱあ……ぱ……」

「うおおっ?!」

 まさか言うとは思っていなかった。

 いくらなんでもあり得ない。

 乳幼児って喋るのか?!

(いや、無理だろ……?!)

「……待てよ」

 もしかすると本当に喋れるのかもしれない。

 試してみることにした。

「こたろう。こたろう、って言ってごらん」

「こ……ぉ……」

「そうそう!」

「こ……た……ろ」

「言えたっ?!」

「こた、……ろう……」

「篝っ!!」

 ひしっと抱きしめる。

 もう不思議現象だろうと超常現象だろうと構わない。

 嬉しさのあまり飛び上がりたいほどだった。

 しかし。

 世の中の親の過程を一足飛びどころか百足飛びくらいしていないだろうか。

 ちょっともったいない気がしなくもなかった。

「まあ、……いいか」

 篝を撫でながら抱きしめる。

 ちょっと成長が早いけど、それはそれで。

 娘が美人になっていく様を早送りして見れるのは、なんだかとても心地よかった。






to be continued……

朱音さんですが、実は……。

後半に大きく関わってきます。朱音さんじゃないとこの話が書けませんでした。

ヒント:聖女継承

まあ、無理やりつじつま合わせたので……そのへん深く追求しないで頂けると……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ